第十三件 提供
今日でこの事件を終わらせる。そう意気込んだのは良いものの、私の方の状況はあまり芳しくない。
私の調査は三年生の先輩達にサッカー部や陸上部の部員についてや過去にあったことなどを聞いて回ろうと思っていたのだが、ここで一つ誤算があった。
前回東條先輩や将島先輩に話を伺った際は、事前に遠島が話を通していてくれたから教室で待っていたのである。
だが今回は誰にも呼び止めの連絡を伝えていなければ、テスト終了後なので直帰する生徒が山ほどいるのだ。詰まるところ、話を聞く生徒が人っこ一人も残っていなかった。
あまりの緊急事態に思わず詰みの一手を食らったような気持ちになる。が、ここで仁王立ちしたまま遠島の帰りを待つのも忍びない。
誰か、せめて一人くらいは居ないものか。
そう縋るような思いで私は三年生の廊下をただひたすらと歩いていた。
「何をしているんですか、さっきから」
「どぅえっ!?」
背後から突然声をかけられた私は、ついヘンテコな声を上げてしまう。
キャッ、などの可愛らしい叫び声ならまだしも、どぅえっ、とはなんだ。あまりにも不気味すぎるだろう。
私の奇行、というより奇声に少し引き気味な女子生徒は戸惑いながらも話しかけてくる。
「あ、すみません。驚かせてしまいましたね」
そう申し訳なさそうに謝るのは、とても見覚えのある女子生徒であった。
「山中小春…さん」
「そんな取ってつけたようなさん付けは要りませんよ」
思わぬ来客に私は度肝を抜かれていた。三年生の階になぜいるのかという疑問もあるが、驚いているのはそれではない。
それは、昨日と雰囲気がまるで違うということだ。前回会った際は私の立場的にも仕方がなかったが、中々に嫌われているような態度で接されていた気がした。
しかし今回は真逆、というほどでもないが、あまりに物静かでお淑やかな少女という感じがする。いやまあ最初に見かけた際は同じような印象を抱いていたが。まさか二度目の逢瀬でもそんな風に思うとは思わなかった。
何せその後のファーストタッチがアレだったからな。今でも思い出せば冷や汗をすぐかけるほどだ。
本来、人は他人の第一印象は良くも悪くも変わることはないと言われている。例えば、最初に優しい印象を抱けば多少忘れっぽい性格をしていても"天然"という言葉だけで済まされる場合が多い。しかし最初に嫌な印象を抱けばほんの少しの失態で"ズボラ"だの"間抜け"だのと言われてしまうかもしれないのだ。
これはあくまで例えばの話だが、実際にあり得てしまう話でもある。私も最初の印象で他人への態度は大きく変えてしまうため、この事象が当てはまる側の人間なのだ。
にも拘らず、今の私は山中小春にとても良い印象を抱いている。それは私が騙されているのではなく、今の彼女が本当に優しい雰囲気であり、昨日とは全く違うことを意味していた。
私はあまりの違いに驚いて言葉を失う。それに見かねた山中は私に再度質問を投げかける。
「で、何をしていたんですか?ウロチョロと廊下を行ったり来たりと…不審者みたいでしたよ」
ズバッと言われると中々に傷つくが、最近はもう一人ズバズバと無神経なことを言う奴がいるので何とか耐えることができた。今は感謝しなければならない。
私は彼女の二度目の問いに答えるため、乾いた口を開けて話しだす。
「ああ…えと、実は三年生の人達に色々と話を聞こうと思ってたんですよ」
「なるほどね…でも三年生のみんなはもう帰っちゃった、それで困ってたってことね」
「まあ…はい。お恥ずかしながら」
飲み込みが早くて助かる。私がわざわざ遠島の件だと言わなくても暗に察してくれるあたり、やはり彼女は賢いのだと気付かされる。
「それで…山中さんはなぜここに?」
「ああ、なるほど。先ほどから驚かれていたのはそういうことでしたか」
いやはや、察しがいいのも勘弁だな。あまりに見透かされている気がして少し不気味だ。
山中は合点がいった様子で納得すると、理由を説明するべく私の前に一歩踏み出してくる。
「実はですね、丁度あなたを呼び出すよう言われたばかりなんですよ」
「え?」
私を呼んでいる、しかも三年生の生徒で。確かに昨日で三年生の顔見知りはたくさん増えたが、呼び出されるような覚えは何一つない。
もしや上加世田だろうか。
そう思うも、すぐに私の中の記憶がその考察を否定してくる。思えば、今日は陸上部の三年生方には空き教室に待機してもらうよう頼んでおいたのだ。その中には、上加世田桃香も入っている。
こうなると私の知り合いはもういないのだが、一体誰が私を呼び出しているのか。
「それって、僕の知ってる人ですか?」
「そうね…あなたは知らないと思いますよ。ただ…」
「ただ…?」
なにか含みのあるような言い方で言葉を切ると、その後に思いがけない名前が私の耳に聞こえてきた。
「あなたのお姉さん、八ヶ八灯花さんの知り合いではあるわ」
「俺の…姉?」
なぜに?
などという言葉が出かけるも、喉元でぐっと堪える。
どうせその人物に呼び出されているのだ。ならばその者に会ってから聞けば良い。
「急なことで申し訳ないけど、着いて来てくれるかしら?」
私は山中の要求に迷いなく答える。
「ええ。構いません」
彼女の呼び出しに応えて着いた先は、まさかの生徒会室であった。
「少し待ってて下さい」
そう言うと山中は先に室内に入る。あまりにも予想外な事態のため、再び頭の活動を停止させてしまう。これではそのうちオーバーヒートしてしまうのではないか。
冗談はさておき。
生徒会の者から呼び出しとは、一体何があったのだろう。創作物の中に出てくるような大きい組織ではないと理解しているが、いかんせんここは第一立南ヶ丘東京校である。その高校の生徒会なんて、身構えるなと言う方が無理な話だ。
そして一番の驚きは私を召集したことである。何の意図があって私を呼んだのか、今は考えてもそれらしき案は出てこない。
さらにその者は私の姉と顔見知りだと言う。ますます分からなくなるが、これも今考えても仕方ない。強いて言うならば、姉の顔見知りはどれも変人ばかりだったので身構える分には良いだろう。
そろそろかと思い始めた頃、目の前の扉が開いた。
「お待たせしました。どうぞ、中へお入り下さい」
そう丁寧な御招きを受け仰々しい部屋へと足を踏み入れる。
踏み込んだ先には山中小春と、さらに先に横長の少し大きめの机があった。一人で使うには随分と大きすぎる気がしたが、よく見てみると両端に立て掛け名札や照明、置物など様々なものが鎮座している。そのため実際の作業スペースは普通の机と大差がないように見えた。
私はその席に座る者の顔を見るが、やはり顔では判別できない。青色という派手な前髪で目が隠されているのもあるが、そもそも私が知らない者だと分かる。
机の上の名札は黒色の板の上に金色の文字でこう書かれていた。
『生徒会長 覡蒼太』と。
「生徒会長…!?」
思わず声を上げる。生徒会役員だと分かっていたつもりだが、流石に生徒会長だとは思っていなかった。
私の驚きっぷりを見て彼、覡蒼太は少し微笑む。
「そんなにおっかなびっくりとしなくて良い。もう少し肩の荷を下ろせ」
肘をついていた片方の手で左半分の髪を掻き上げる。そこからチラリと見えた瞳は真っ白で、吸い込まれそうなほどに綺麗だった。
優しい物言いと綺麗な顔立ちで、生徒会長は緊張をほぐすように言葉を投げかける。
だが張り詰めた緊張はそうもすぐにほぐれることはなく。
ことは、ないはず。だった。
「…あれ?」
「ふっ、どうした。八ヶ八の少年よ」
心が軽い。だけではなく、緊張感がまるで無くなっている。それは最初から存在していなかったかのように、私の体から影も形もなく無くなっていた。
「なんか…落ち着きました」
あまりの自身の急変っぷりにたじろぐ。その様子を見た覡蒼太は何も言及することなく話を続ける。
「そうか。なら良い。では本題に入ろう、八ヶ八の少年」
まだ異変に慣れきっていない私をよそに彼は話の本題の準備をしだす。
あと八ヶ八の少年という不恰好な呼び名はやめて欲しいが、今言っても話の腰を折ってしまうので渋々断念する。
「最初に言っておく。これは私の純粋な情報提供だ。なにも疑わずに、そちらも純粋な気持ちで受け取って欲しい」
そう言って差し出してきたのは、一つの封筒だった。大きさは大体ノートの一回り大きいぐらいのサイズである。中には何枚かの紙が入っている感触があり、彼の言う通りならばそれはなにかの情報がしっかりと入っていることになる。
だが情報提供だと言っても何の情報だろうか。
そう疑問に思い始めると彼は私の思考を読んだかのように都合よく答える。
「それは君たちにとって大事な情報だよ。今回の事件の、ね」
今回の事件。そう聞いて固唾を飲む。
まさかそこまで知っているとは。あまりにも知りすぎていて少し怖く感じる。
「えと…なぜそんなものを?」
私はまず疑問に思ったことを問いただす。
「ああ、確かに説明しなければならないか。とは言っても、ただ私が自ら聞き込みをしたまで」
「ああいえ、それじゃなくて」
私は言葉の齟齬を感じ取りすぐ訂正する。
「なんで僕にそんなものを渡すんですか?」
こう言う意味だ。
なぜ生徒会長が、何の関わりもない私たちに協力してくれるのか。それがただ一つの疑問である。
もちろん情報を得た過程についても詳しく聞きたいところだが、そちらは大体想像できる。仮に私が生徒会長殿に何か一つ聞かれでもした場合、やましく無いことなら全て話してしまう気がする。
彼にはそんなオーラがあるのだ。だからこそ警戒してしまう。何か裏があるのではと。
私は多少の警戒を表情に出すまいと素直な青年を演じる。
「…なるほど、そう言う意味か。いやはや、国語が弱くてすまないな」
あなたはどの教科も成績優秀だろ。
とは口には出さず、彼の言葉を待つ。
「そうだな。理由と言っても確証的なものはないのだが…」
そう言葉を選んぶ素振りをして暫くすると、彼は答えを話してくれた。
「強いて言うなら、贔屓目に見ての行動、かな」
答え、というには微妙にズレたものだ。
贔屓目に見られているなんて何も感じなかったが、一体なぜだろうか。そのようなことを聞いても尚、私は彼とは面識がないように思える。いくら私が忘れっぽいからと言えど、ここまで覚えやすそうな人物をそうそう記憶の彼方へほっぽり出すことはないだろう。
だがどうにも私のことを彼は知っているような印象だ。それに山中が私の姉とは知り合いだと言うことも言っていた。
もし姉から私のことを聞いていて、尚且つ興味深く私を思っていたのなら先ほどの話は納得できる。
私は姉との関係について率直に問う。
「あの、そういえば僕の姉と顔見知りだと聞いていたのですが…それが理由だったりします?」
私の度重なる問いに、彼は困惑することなく淡々と答える。
「ああ、そのことも知っていたのかい。もしかして小春から聞いていたかな?お察しの通り、私は彼女と少し知り合っていてね。それで君を特別視していたって訳さ」
最後まで粛々と答える。答えるからこそ、何か裏を感じる。
言っていることはただ知り合いの弟に手助けをしようとする優しい人間のセリフだ。しかし、どこか含みがある気がする。
彼の言葉に偽りはない。だが企みはあるかもしれない。
私は頭の中で丁寧に言葉を選んで文章を作る。
「…なるほど、やはりそうでしたか。なんかすみません。尋問みたいに色々と聞いてしまって」
「いやいや、こちらこそ説明不足のまま話をしてしまって申し訳なかった。事件解決、今後とも期待している」
そう言って覡蒼太は期待の眼差しを私に向ける。
その視線に私は応えず、自分の本心を答える。
「いえ、そちらは受け取れません。やはり事件は僕一人で解決しようと思います」
「…ほう?」
ピクッと彼の手を組んでいた指先が跳ねた。
同時に先ほどまでの生優しい雰囲気が消えるのを感じる。
「理由は二つあります。一つはやはり信用ならない。色々と僕に情報を提供してくれる理由を話してくれましたが、どこかで信じきれないんです。どうして、と聞かれても困りますがそういう訳なんです。まあ…強いて言えば、僕が勝手に知られているだけであなたを全く知らないからとしか」
私が彼の厚意を拒絶する理由を述べると、彼は静聴したまま話を遮らずにこちらを見続けてくる。
これが所謂無言の圧力というものか。特段私が悪いわけでもないのに、なぜか冷や汗をかいてしまう。まあ、失礼な行為に変わりはないかもしれないが。
スッと私の視界の左側を見ると、山中小春が今にも意義を呈してきそうにこちらを睨んでいる。
どちらも何を真剣に私の顔を見ているのか。そんなに見ていて面白いものでもないのに。
そんな冗談を脳内で思い浮かべた後、私は再び理由の説明に入る。
「それでもう一つなんですが…これはただの僕の我儘です。自分が解決する事件なら、証拠集めも推理も何もかも自分で行いたい。なので、他人の手を借りるのは嫌と言いますか…自分が気に食わないんです」
そうやって自分の本音を全て吐露すると、覡蒼太は小さく笑いだす。
「ふっ…やはりそうくるか。流石、八ヶ八の少年だ」
「だからその呼び方やめてください」
「ああ、すまんすまん。ついな。二度言われれば私とて反省するさ。次からは気をつけよう」
気をつける、であってあくまでも言わないとは断言しないところがいやらしい。やはり彼は中々厄介な人物だと思う。
私の不躾とも取れる発言に山中は何か言いたげだったが、覡の様子を見て一つばかりのため息で済ませた様子だった。きっと自分の中での感情を落ち着かせることが出来たのだろう。
しかし睨む眼光は止まらず、私を瞳に写し続けたままだった。その目に写る私はたいそう嫌そうな顔をしていた。
なんだか疲れた割に何も得ることは無かったな。
そう心の内で一人ごちると、またもや都合よく彼が口を開きだす。
「…バレー部の三年生、香山香織という女子生徒がいる。その者にあたってみると良い。まだ部活動中だろう」
急に出てきた情報に思わず黙ってしまう。
なぜだか彼と話していると話している気がしない。スムーズに話が進むと言えば聞こえは良いが、悪く言えばコミュニケーションが微妙に取れないまま会話が進んでいるのだ。気味が悪くて仕方がない。
どこぞのニュータイプかというツッコミを留めておき、私は彼の情報にまた疑問を投げかける。
「なんでまた…さっき断りませんでした?」
「いやいや、先刻のは書類の受け取りを拒んだというものだ。今度は口頭での情報提供。それに、さほど大きく干渉はしていないだろう?」
彼の屁理屈っぷりを見て私は先ほどの発言を撤回する。
「…やっぱり、国語苦手なんですね」
「ふっ、よく言われるとも」
開き直って話す姿を見ると、私は初めて彼のことを知れた気がした。
あれ、そういえば生徒会長に八ヶ八の少年という呼称について二回も注意したっけな。
私は生徒会室を出てから、薄ぼんやりとそう思ったのだった。
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