第十一件 喪失
目を開けると、そこには遠島の顔があった。
意識が朦朧としているため状況が分からない。そのため、今一度冷静に分析する。
私の頭は柔らかいもので寝かされていて、体は硬いものの上で横になっている。夜風が体に優しく触れ、辺りは暗くなっていた。明かりは点滅する電灯のみであり、遠島の顔はよく見えない。
徐々に感覚が普段へと戻っていく。それと同時に、恥ずかしさで顔が赤くなる。
頭の柔らかい感触、横になっている視界、そして上を向けばすぐ近くにある遠島の顔。間違いない。
これは膝枕だ。
私はなんだか耐えきれなくなり勢いよく体を起こす。
「あっ!まだそんな体動かしちゃ」
「いっ…!」
起き上がった途端、頭が割れるような頭痛がした。
なんだこれは。私は一体何をして、どうしてこのような状況に陥ったのか。
そう思考を巡らせれば巡らせるほどに頭は痛みを増していく。
「今は!…あんまり何も考えずに休んで、ほら」
遠島は手で優しく膝下へ私の頭を動かす。
恥ずかしさやら疑問やら痛みやらで何が何だか分からないが、今は取り敢えず彼女に従おう。
今はもう、なんだか良いや。
私はあまり深く考えず、心地の良い彼女の膝の上で身体を休ませる。
遠島は何も分からないままの私に気づいたのか、断片的で曖昧ながらも事を話してくれた。
どうやら私たちがファミレスから出た後に、コンビニの付近で不良共が屯していたらしい。その集団に私はみっともなく敗れ、挙げ句の果て気絶して駐車場で寝転がっていたとのことだ。その後チンピラたちが満足するまで私を痛ぶった後、遠島に襲いかかってきたところを返り討ちにし、今に至る。と言った具合だ。
なんとも情けない話である。女子の前で、しかも完膚なきまでやられた後にその女子に仇を取られるとは。墓場まで持っていく話の一つに入るだろう。
だがその様子を話す彼女はどこか悲しげであった。確かに、そばにいた男子が目の前で不良共にコテンパンにされる姿を見れば哀れに思うかもしれない。
しかしそれだけではないように感じた私は、未だ拭いきれない疑問が心に残っていた。
が、それを考える度に頭が痛くなるのでその疑問について思考するのはやめる。
私は素直に彼女の話を信じるほかなかった。
遠島の顔が、なんだかあまりにも暗く見えた気がした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
目の前で八ヶ八が倒れた。あまりにも突然で。現実味がなくて。しばらく動けずにいた。
先ほど、私は謎の男から目を見つめられた。というより、目を見せつけられたという方が正確かもしれない。
その目を見た途端、私の脳内に意味不明な情報と理解不能な光景ばかりが流れてきた。
吐きそうなほどの情報と無残な光景を脳裏に焼き付けられて、思わず息をするのも忘れていたのだろう。私はその後必死に酸素を追い求めて息をする。目の前は全く変わり映えしないコンビニの風景なのに、何故か嫌な匂いが鼻を通ってきた。
さっきの変なのが邪魔しているのだ。それで頭がおかしくなっている。
私は気持ち悪くて倒れそうになるところを、八ヶ八の腕にしがみついて耐えた。
けど、その後八ヶ八はアイツに目を見せつけられて倒れてしまった。アイツはペラペラと何か言っていたが、深く考えたくない。
だって、もしそれが本当なら。さっきのは…。
そう思う度に、また吐きそうになる。
そう思う度に、涙が出そうになる。
そう思う度に、また息を忘れる。
もう何も覚えていたくない。
そう思っても記憶は鮮明に私の脳内に残り続けている。今もなお、まるで少し前に見たかのように綺麗に思い出せてしまう。
私は何も考えたくなくて、八ヶ八を連れてすぐにコンビニを後にした。
その後は八ヶ八を膝に寝かせて、ただひたすら謝り続けた。
「ごめん…ごめん…ごめん…ごめんなさい…ごめん…なさい…」
少しでもこの苦痛を和らげようと、眠る彼にその想いをぶつける。何も知らなくて何も分からない彼にこんなことをする私を、私はとても嫌いになった。
彼なら、事情を話せば笑顔で許してくれるだろう。だけどそれは出来ない。私の気持ちの問題でも、彼の制約の問題でも無理なのだ。
彼はあのフードの男に暗示のようなものをかけられたのだろう。アイツは僕のことは忘れるだのなんだの言っていたので、きっと八ヶ八の記憶は先ほどの時間だけすっぽり抜けているはずだ。そしてその時間を思い出してしまえば、ペナルティが待っている。その内容も嫌なほど詳細に見せられた。
これから彼に色々と聞かれるだろう。きっと自分でも考えるだろうし、疑問に思う点が多く出るかもしれない。でも、私は真実を話せない。
話しては、いけないのだ。
辛くて苦しくて裂けそうな胸をギュッと強く掴む。そのまま縋るような思いで、ポツリと呟く。
「…助けて…優真…」
彼が目を覚ましたのは、そのすぐ後だった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
時刻は午後七時三二分。日は完全に落ち、すっかり夜の景色に街は溶けている。窓から差し込む夜風が心地よく、エアコンをつけずとも涼しさを肌で感じられるのでとても効率が良い。
私が外に出ていた一時間弱。なんだかんだとあった気もするし、なかった気もする。記憶が曖昧で、覚えていないことがこんなにも恐ろしいとは知らなかった。
失われた記憶は遠島が補完してくれたが、やはり他人からの情報だけでは物足りない。普段自分で記憶を生み出して所持しているのだから、それが当然である。
だが彼女の言葉を信じないのも失礼である。彼女の情報の真偽がどうであれ、その後に私を介抱してくれたのは事実なのだ。それに、彼女の情報のみがあの空白の記憶を補完できないので信じるしかない。
いつか、あの時の記憶を取り戻すことはできるのだろうか。
思い出したところでつまらない、というより、彼女の話が本当ならば恥ずかしい記憶なのだが、なぜか思い出したくて仕方がない。何がそんなに大事なのかは分からないが、直感でそう感じるのだ。
それに、遠島の顔を見ていたらどうにかして思い出したくなってしまった。あの顔がどのような感情で、思いで引き起こされたものなのか知りたいのだ。
とはいえ、このようなことを考えれば考えるほど頭痛がひどくなるのでここら辺で切り上げることにする。これ以上この痛みに耐えられそうにない。
記憶喪失自体が初めてだが、ここまでひどい頭痛も初めてである。
これは医療学的なヤツで大丈夫なのか判断してもらいたいところだ。あわよくば喪失した記憶を思い出せたら良いが、そう簡単にはいかないだろう。
まあ、慌てることはない。ゆっくり、着実に取り戻していこう。こういうのは変に意識して考えてはいけないというから。
私は思考時間を終えると、夕御飯を食べにリビングへと足を運んだ。
余談だが、今日は姉が作った料理を食べた為寝つきが悪かった。おかげで英語の勉強が捗ったのは内緒である。
五月十九日。時刻は午前七時を少し過ぎた頃である。
起きると少し体が暑くなっているのを感じる。恐らく寝ている間に毛布をかけていたのが余計だったのだろう。ちょっと汗をかいている気もするが、シャワーを浴びる余裕はないためそのまま着替えることにする。
小窓を少し開けると涼しい微風が優しく部屋の中に流れ込む。もう少し体に浴びていたいが、朝食を取らなければならないので物悲しいが去るとしよう。
朝に料理をするほどの技術は私にはないため、基本的にはトーストにマーガリンを塗ったもので腹を満たしている。これが一番手っ取り早いのだ。
少し焦げ目がついたトーストを胃の底へ流し込む。続けて水を飲んで喉を潤す。
そうしていると、突然ある事実に気づく。
「…社会の勉強やってねぇ」
私は急いで食事を済ませると、すぐに支度をして学校に登校した。
午前七時四十五分頃。少し早めに学校に着いた私は机の上に社会の教科書を開いて着席していた。
テスト前に取り組む勉強が一番身が入る。唯一の欠点は記憶するにはあまり向かないことだ。改めてテスト勉強は余裕を持って取り組むのがベストなのだと気づく。今度からは気をつけよう。
そんなことを考えながら筆を進めていると、一つ昨日のことを思い出す。
上加世田桃香がサッカー部のマネージャーをしていたという情報。それは果たして今回の事件に何か関係があるのか。
彼女は今陸上部に入っているわけではない。だが将島杏子との仲は良好のように見えた。それも普通の友人の関係値ではないくらいに。恐らく親友に近しい間柄だったと思う。
そんな陸上部の部長と関わりの深い彼女が昔サッカー部のマネージャーをしていて、さらに今回の事件は陸上部とサッカー部の両方が巻き込まれているなんて、勘繰るなという方が無理な話である。
今の今まで私は東條浩都と山中小春が今回の事件の犯人だと思っていたが、そもそも実行犯が違う可能性すら出てきた。
もしそうであるなら、彼女にサッカー部の侵入は可能なのか。また、ユニフォームを盗んだ意味はなんなのか。どちらも今のところ何も分からないままである。
だが上加世田桃香が今回の犯人ならば一つだけ腑に落ちることがある。それは遠島の学生証を盗んだ動機だ。
恐らく彼女は将島杏子と大変仲が良い。そんな友好関係にある将島が三年生最後の大会に出られないとなれば、なんとか出られないものかと奮闘するかもしれない。そう考える中で思いついたのが学生証を無くさせ成績を落とし、大会への出場権を剥奪しようというものだった。ということは考えられなくもない。
これならば東條浩都と同様の理由で肩がつく。
しかし、なぜサッカー部を巻き込んだかの明確な理由は全く分からない。どうしてわざわざ今回の事件でサッカー部にちょっかいをかけたのか。それさえ分かれば、今回の事件は大凡解けたと言って差し支えないものになるだろう。
テスト開始数分前にこんな厄介なゴタゴタを考えてしまうほど、私は今事件に夢中なのだ。
少し自分でも気味が悪いと思う。だが一度火がついたものは仕方ない。
今回の事件は少々厄介なものだ。今までもこのような厄介ごとに遭遇することはあったが、今回は面倒な事件の部類に入る。少し前にあった給食のカレールー消失事件の方が楽だった。確かあの時は複数人が手を組んでタッパーに入れ替えていたのだ。犯行方法は給食委員だった犯人の一人が事前に休み時間の間でカレールーをタッパーによそっていた、というシンプルなものである。そして動機は…なんだったか、そこまでは思い出せない。
そんなことを考えていると、一つ思い出したくないことまでも思い出してしまう。
それは今までの事件で一番厄介な事件でありながら、一番記憶に残っている嫌な事件でもある。
あの時にもし戻れたなら、きっとやり直せたなら、私はもっと平凡な道を歩んでいたのだろうか。
ミツキ…。
懐かしくも呪いのように頭から離れないその名前を久しぶりに思い出す。
途端に胸が痛みだす。それは比喩ではなく、実際のことである。
その痛みで今日もまた彼女のことを考えてしまうのだろう。きっと明日も。もっと長引くかもしれない。
私はいつもと違いどうにも身が入らないまま勉強をしていると、チャイムの音が校内中で鳴りだす。
気がつくともう八時三十分になっていた。あまりに早すぎる時間の経過に、私は焦燥して急いで社会の教科書内に書いてある単語を頭に詰め込んだ。
その後のテストの結果はわざわざ言わなくても良いだろう。
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