第八件 再び

 時刻は午後三時三十分。荷物を部屋の中に乱雑に配置した後、ネクタイを外して制服のままでベッドに倒れ込む。

 窓から差す日差しが暑くてカーテンを閉めるも、密閉された部屋の熱気に耐えきれず窓を開けて涼んでいた。

 風に乗って流れ込んでくる夏の匂いとやらに心を落ち着かせていると、途端に睡魔が私を襲う。

 あれ、寝ても大丈夫だっけ。

 そう心の中で疑念を抱くものの、人は三大欲求には抗えない。私は雑念を全て無視して瞼を閉じる。

 瞳に外の日差しが入らなくなってから本格的に眠気が増幅してきた。このまま眠りにつくのだろうと思いながら全身を毛布に委ねる。

 その瞬間、部屋の扉が勢いよく開けられる音が家中に響き渡った。

 私を包んでいた睡魔があと一寸といったところで逃げ出してしまう。その睡魔に物悲しさを感じるも、その余韻に浸る間もなく大きな声が脳内に響き渡る。

「ちょっと、制服のままで寝てるの!?ダメダメダメ!ほら、早く部屋着に着替えて!」

 そう言いながら制服のシャツを脱がそうとしてくる、というより、破こうとしてくる主は、私の姉である。

 名は八ヶ八灯花。年齢は二十歳になったばかりであり、私にはいつまで経っても姉として接して来る困った人だ。どうにも子供扱いをされている気がしてならないが、実際に今はまだ子供のため大きく言い返せない。

 そろそろシャツのボタンが飛んでいきそうなので、姉の手を振り解いて自分で一つずつ外していく。

「分かったから、自分で脱ぐから。マジで」

 そう言いながら制服から部屋着へ着替える準備を行う。服を箪笥から出そうと顔を覗かせて探す。

「あんたねえ、帰ってきて早々制服でおやすみとか…体たらくなダメ人間に成り下がるわよ」

 横からガミガミと小言を言ってくるが、いつものことなので特に気に留めず服を出して箪笥の戸を閉じる。

 ふと、制服を脱いで思い出す。

 明日またテストがあるが、翌日のテスト教科には私の苦手な英語があるのだ。帰宅後すぐ勉強をしようと思っていたのだが完全に頭から消え失せていた。

 なんとか思い出せたので、早速勉強に取り掛かろうと机に向かって座る。

「ちょちょ、制服脱いだだけじゃない!しかも上だけ!なんで!?」

「いや、英語の勉強しなきゃなーって思って」

「それで着替え途中に勉強しだすとか、まず着替えを終えるとか出来ないのかアンタは!」

 はあ、と大きなため息を吐く姉。何をそうイライラしているのか私には何も分からない。

 私の行動に呆れた姉は、出したままの服を私の腕に通して着させる。私はどこか気恥ずかしさを感じながらも、安心感を覚えながら何も言わずに服を着させてもらう。

 最後は自分でジッパーを上げて前を閉めると、姉は不思議そうな顔をして私に質問してきた。

「あんた、今日はテストなのにちょっと遅かったよね?それでこの疲れっぷり…また変なのに巻き込まれてるの?」

「ああ…まあ、そんな感じ」

 鋭い姉の疑問に、私は特に隠そうともせず正直に答える。それは隠すのが面倒だったから、というのもあるが、一番の理由は隠したところで絶対に見抜かれるからだ。何年も一緒にいるため、いつからか本能的に理解して姉に隠し事や嘘をつくのは諦めた。

 ちなみに、姉は今東京大学へ通っている。そのため私の数段は賢い。だからなのか、はたまた姉だからなのか、私は姉にロジックや知識勝負などの頭で考えるものには勝てた試しがないのだ。

 そして姉は、何かを思考することが好きな人のため、何かと事件に巻き込まれる私にとても興味津々なのである。

 今日もまた姉は私に聞いてくる。

「で、今度はどんな厄介ごとに巻き込まれてんの?殺人?世界征服?」

「そんな大それたことじゃないよ。今までにも何回かあったやつ、盗みごとだよ」

「あーね」

 納得したそぶりを見せるも、部屋から出る気配はしない。恐らくまだ聞きたいことがあるのだろうと身構えていると、姉は私の予想通りのことを尋ねてきた。

「ねえ、その内容教えてよ。最近何もやることなくて暇してたから」

「はあ…分かったよ」

 そんな気はしていたが、いざ聞かれてみると思っているより面倒に感じる。やはりあのまま寝ていれば良かったのではと少し後悔するも、それもそれで面倒になっていただろうと思ったので考えるのは諦めて大人しく話すことにした。


 話し終えると姉はベッドの上に腰掛けて少し考えだす。数秒ほど経った後、私に語りかけるように口を開く。

「なるほどね。あんた、入学早々また面倒なのに絡まれたわね」

「はっ、まあね。おかげで退屈しなそうだよ」

 自虐気味に嘲笑しながら話す私に、姉はニヤニヤしながら話しかける。

「ねえ、まだ犯人分かってないんでしょ?」

「は?いやいや、分かってるから」

 急に見下された発言が飛んできた。驚きながらも姉の的外れな意見に素早く物申す。

「てか、普通に考えたらその人だけでしょ。今回は簡単な部類だったから流石に」

「ふっふっふ。違うんだなーこれが…私の目には真犯人がしっかり見えてるよ」

 得意げに私の意見に反対する。

「へえ…そこまで言うなら、誰が犯人か教えてよ。俺の推理が間違ってるなら、その正しい推理を聞かせてもらおうじゃないか」

 そう強気になって聞き返すも、姉は首を横に振りながら私の要望に言葉を返す。

「それは違うんだよね〜。ま、明日もまた考えるんでしょ?なら、まだ教えることはできないかな」

 少し薄目で私を見ながら嘲笑うかのように話す姉。益々私が子供扱いされている気がするが、この性格は恐らく注意して治るものではないため諦めることにする。

 しかし、姉には本当に真犯人が分かっているのだろう。悔しいことに姉の推理は今まで一度たりとも外れたことがない。

 そして私の推理はと言うと、実のところ何度か間違っていたことがある。その時も、姉に助け舟を出してもらって事件を解決へ導いたのだ。

 つまるところ、姉の発言に嘘や偽りは無い。何か文句を言うところがあるとするなら、喋り方くらいだ。

 何か見落としていたか頭の中で思い返すも、今の時点で引っかかる点は無い。だがやはり一度間違っていると言われると何か違和感があるのではと変に勘繰ってしまう。

 今の時点での私の推理を整理する。

 まず、今回の事件の主犯格は山中小春だろう。そう考えられる理由は二つある。

 一つ目はユニフォームを盗む犯行時刻のアリバイがないこと。

 彼女は授業終わりに部室へ向かい、部屋の鍵が使われていなかったため自ら職員室へと取りに行った。その際に恐らくサッカー部の部室を開けるための鍵も取りに行ったのだ。もしくはその鍵だけを取りに行ったのかもしれない。

 その後に部室へ帰ってくるも、その時点では東條先輩しか居ないため誰にもバレずに犯行が可能だ。

 そして二つ目。その盗んだユニフォームをどう使ったか。用途は簡単だ。東條浩都に着させてサッカー部員へと紛れ込ませたのだろう。

 部活動の最初に行う運動は大概がグラウンドを走るものだ。サッカー部ならまずそれだろう。たとえ最初に走り込みをしなくとも、サッカー部員が一斉に動き出すタイミングを見計らえば良い。

 もし陸上部のように部員の人数が少なければこの作戦は不可能だが、サッカー部なら容易いことだ。サッカー部の部室を拝見した際、部屋の大きさからして人数が多いことが分かった。

 また、今の時期はまだ新入部員たちが多くて先輩達も後輩の名前や顔をいちいち覚えてない者も少なくないだろう。それにより、部員一人が知らない者であっても注意する人はいない。

 犯行時刻は東條浩都が保健室へ行った時だ。恐らく彼の耳鳴りは嘘である。もし本当に耳鳴りを起こしたとして、それは共犯の山中小春が放送の機材トラブルを故意的に起こしたため結局保健室へ行くことが作戦の一つだったのだ。

 ここからはあくまで推測である。

 保健室へ向かった東條先輩は体調の不良を装い、ベッドへ横になりに行った。その後、保健室の先生が業務に励んでいる間の隙を狙って室内から逃げ出す。ベッドにいる時にユニフォームの着替えは済ませているので、その後の東條浩都は大勢いるサッカー部員の内の一人として校内を活動する。

 保健室から出た後はサッカー部員たちが一斉に、もしくはまばらに動き出したタイミングを見て自分もグラウンドへ飛び出す。その後はまるで走り込みをしているかのように平然とグラウンドの上で風を切る。

 ただその時にあまり時間をかけてはいけない。一番危惧すべき点は遠島風華の存在である。彼女もグラウンドに居たため、バレないように一瞬のスピードで部室へ行かなければならない。

 本来ならこの時点で難易度は相当高いものになるためまず無理だとなるが、東條浩都ならばそれは可能だと考えられる。彼のタイムこそ聞いてはいないものの、遠島本人が速いと言うくらいなのだから相当速いのだろう。ここは曖昧であるものの、実際に聞けばすぐ解決する話である。

 部室へ移動した後は簡単だ。扉は鍵をかけられているため侵入可能な窓から部室内へ入る。その後に遠島のカバンから学生証を持ち出してすぐ退出した後、またもや猛スピードで保健室へ向かう。着いた後はまた気づかれないように室内へ入り、ベッドのあるカーテンで仕切られた個室で着替えてしまえば陸上部の東條浩都に戻ることができる。

 そして最後に犯行動機。山中小春が共犯者である理由は謎だが、東條浩都の動機なら分かっている。それはきっと将島杏子への恋慕だ。

 彼は恐らく将島先輩のことが好きだったのだろう。互いに走りは学内で一位であり、意識し合っていたのだ。

 しかしそこで遠島風華の登場である。女子の百メートルのタイムが一年生によって全て書き換えられてしまった。それに伴い数少ない大会の出場権が無くなった将島杏子は悲しみに暮れただろう。

 好きな女の悲しんでいる姿を見た東條浩都はそこで考えついた。遠島風華の大会出場を無くしてしまえば良いのだと。

 改めて言うが、これはあくまで推測である。その為ところどころ穴のあるものにはなっているが、凡その推理は間違っていないはずだ。

 この推理では犯人の犯行時刻や犯行動機、アリバイの無いことなどが全て示されていると思うのだが、姉の言う通りならどこかが違うのだろう。そのミスを見つけることは想像以上に難しい。何せ私の中ではもうこの推理で固まっていたのだから。

 また一から推論を立て直さなければならない。

 その事実を渋々認めるが、まだその改善をする気力は起きそうにないためやはり少し寝ることにする。

 英語の勉強もしなければならなかった気もするが、そちらは後にしても問題ないだろう。

 いつの間にか姉が居なくなっていた部屋で、私はベッドに寝転んで睡眠をとった。


 何分か、何時間か。時間の経過も曖昧な感覚で目が覚める。

 直感的に長い間は寝ていないだろうと心で思う。

 寝ている間にくっついてしまった瞼をこじ開けるように手で擦る。

「んー…」

 まだ消しきれていない眠気を感じながら体を起こす。体温で暖かくなった毛布を横へ移動させながら枕元に置いてあったスマホを手に取る。

 時刻を確認すると午後六時を迎えようとしていた。

 私が思っていたよりもずっと長い間眠っていたらしい。これでは英語の勉強をする時間がないため、明日の朝に予定を変更しておこう。仕方がない。

 私はスマホのリマインダーに英語の勉強をする予定を入れる。

 すると、通知欄の場所に一件のメッセージが届いていた。

 時刻はおよそ二十分前。私に連絡をよこす人物など両親や姉以外に思い当たらないので、少し妙に思う。

 恐る恐るそのメッセージを開くと、そこにはフウカという名前のアカウントから以下のメッセージが送られていた。

『学生証盗んだ方法分かったかも!』

『ってことでココで待ち合わせね』

 その下には押上駅から徒歩五分ほどの距離にあるファミレスのリンクが打たれている。

 私の家からは約十五分後に着く場所であり、今から足を運ぶには少し面倒な距離だ。

 しかし、このメッセージが二十分前に送られているのなら恐らく遠島は先にそのファミレスに到着しているだろう。ならば今断りの連絡をいれても無駄な気がする。

 私は嫌々ベッドから降りると、外出用の服を箪笥から出して着替えだす。着替えている最中、もう一件メッセージが送られてくる。

『来ないとかないからね!!絶対来てよ!!!』

 私はため息を吐きながらシャツのボタンを一つ留めた。

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