第五件 初会

 数分ほど歩いて学校の中へ戻ると、また三年生の教室へと戻ってきた。しかし、今回は一組ではなく二組である。

 今度は陸上部のキャプテンである将島杏子の元に足を運んだ。詳しく聞けば、彼女は昨年度、つまり二年生の頃までは百メートル走のタイムは彼女が一番だったらしい。それも群を抜いて。

 しかしその将島先輩がトップだったのも昨年度までである。理由は単純明快、遠島風華にタイムを上書きされてしまったからである。

 遠島がどれほどのタイム差で彼女を超越したのかは予想の域を超えないものだが、きっと陸上での少しの差は数字よりも遥かに高い壁なのだろう。そんな壁が一年生によって作り出されたものだというのだ。きっとさまざまな感情が湧き上がっていたのだろう。

 遠島もこの旨の話をしている際、罪悪感を背負っているような顔で話していた。その顔を思い出すに、当時はお互い複雑な関係であったに違いない。

 そんな思いをさせられた人物だ。遠島の学生証を盗んでやろうという怨恨の可能性は少なからずある。少なくとも、東條先輩よりも納得のいく人物なのは間違いない。

 ただ遠島からは、これまた彼女は優しい人だと聞いている。彼女の言うことを信じて良いものか今のところは半信半疑なのだが、今回は一度信じずにいく。何せ、信じずとも信じようとも彼女が犯人であるならば結果は同じだからだ。

 私は三度目かの扉の前での深呼吸を済ませると、ゆっくりと戸を開けた。

 ガラガラと静かに戸を開けると、教卓側の席に座っている女子生徒が二人いた。一人は背丈が平均ほどの女子であるが、もう一人はかなりの身長があるように見える。

 左側に座ってる女生徒はすこし大人しそうな雰囲気を感じるが、右側の女生徒はお淑やかに見えた。特にどちらとも大きく雰囲気に違いはないのだが、強いて言葉に表すならそのような具合である。

 また、左側の女生徒は三つ編みに髪を結んでおり印象通りの髪型といった具合だ。そして右側の女生徒もショートカットのような髪型であり、毛先を少しふわりと曲げているようなヘアースタイルである。

 見た目だけで判断するなら右側の女生徒が例の陸上部員だろうと思うが、今の段階ではどちらがどうか判断し難い。

 もしや陸上部はもう一人いたのか…と疑問を生じさせるも、すぐに横から訂正が入った。

「あっちの、ほら。右に座ってる人が将島先輩。左の人は…多分友達?」

 指をさしながらボソボソと遠島が耳元で喋る。

 わざわざ私に説明せずとも遠島が話しかけてくれれば良かったと思うが、そんなことを求めても仕方ないことに気づく。

 くすぐったい思いを我慢しながら将島先輩たちの元へ歩みを進める。

「あの…」

「はい?」

 弱々しい私の掛け声に反応したのは、右側の席に座っていた女子生徒…将島杏子である。

 続いて左側にいた女子生徒もこちらを振り向く。

 よく考えてみると、この空間は私以外は女子しかいないのだ。普段の生活であまり異性との関わりがない私にとって、少々刺激の強いものであった。

 少しばかり、ほんの少しばかりであるが緊張してしまう。あまり彼女らにはこちらを見ないでもらいたい。

 なかなか話し出さない私に痺れを切らしたのか、遠島が先に話しかけた。

「将島先輩!お久しぶりです!」

「あら、風華ちゃん!久しぶり」

 えらく親しげな雰囲気を感じる。やはり遠島はコミュニケーション能力がかなり高いようだ。主に私より。

 しかし私も会話に混ざらねば、ここがただの女子会となってしまう。私たちが来た本来の目的を思い出し、ちょいとばかり気分を落ち着かせて彼女らに話しかける。

「すみません…実は今回はちょっと聞きたいことがありまして」

「ん?聞きたいこと?…って君は?」

 それはそうだろう。可愛い一年生の女子部員と、何処の馬の骨とも知らない男が来ていれば不思議がるのも無理ない。むしろ不審がるべきだろう。

 私はできる限り無害な男を演じるような素振りで自己紹介をおこなう。

「申し遅れました。僕は一年生の八ヶ八優真と言います。今回は遠島さんの学生証が無くなった件についてお話を伺いに来ました」

 自分で自己紹介をしていて、ふと気づいた。今日で自己紹介を他人にするのは遠島風華を除いて初めてだ。

 東條先輩はあまりそういうのを気にしない人だったのかもしれない。ただ、山中小春は相手の名前なんかは知りたがるタイプだと思っていた。

 私は特段彼や彼女に詳しくないが、雰囲気でものを言えばそんな気がする。もしや彼女は私の名前を知っていたのだろうか…。

 変な想像にふけっていると、将島先輩が私に話しかけてくる。

「えっ!?学生証が無くなった?風華ちゃんの?」

 そう慌てだす姿を見て、どこか東條先輩と重ねてしまう。

 ほんの数週間前にその女に陸上の記録を塗り替えられたと言うのに、どうも優しい。何かしてやったり、といった具合に喜んだ表情をすれば分かりやすかったのだが。

 あたふたする将島先輩を落ち着かせようと隣の女子生徒が話しかける。

「大丈夫、その学生証を見つけるために私達に話を聞きに来たんだから、ね?」

 そうでしょ、と言わんばかりの顔でこちらを見てくる女子生徒。彼女に促されるかのように説明をしだす。

「実はですね━━━━━」


「━━━━━という経緯なんです。」

 そう話し終えると、将島先輩は納得したという具合に頷く。

「なるほど。そんなことが…よりにもよってテスト返却直前とは、犯人も性格が悪いね、ほんと」

 そう言いながら嫌そうに顔を顰める。こんな風に親身になる姿をつい数十分前にも見た気がした。

 それはそうと、口が渇いて仕方ない。口頭での説明というのも存外大変なものなのだと身に沁みた。遠島も中々すごいことをしていたのだと感心する。何せ、説明に加え話の面白さも添えているのだから。私には到底できる芸当ではない。

 私は渇きに渇いた口内を潤わすため、遠島に預けていた飲み物を出すよう合図する。

「飲み物…くれ…」

「え?飲み物?」

 聞き取りづらそうに私の言葉を繰り返すと、カバンの中からペットボトルをズカッと取り出す。手荒な仕草に少し文句を言いたかったが、なにぶん喉が渇いて声も出しづらいため無視することにした。

 素早く遠島に出された飲み物を、ゴクゴクと喉の奥の方へと流し込む。側から見れば暑さにやられての行動かと思うかもしれない程の勢いで麦茶を飲み干す。

 いや、麦茶…だっただろうか。

 想定していた喉越しと味わいではなかったような気もする。

 ふと、先ほど飲んでいた空のペットボトルに目をやる。それに貼ってあるラベルは麦茶の色である茶色…ではなく、爽やかな青色が塗られていた。

 そう、遠島の清涼飲料水を誤って飲んでしまったのだ。

「あっ!」

 あまりの大失態に思わず声が出てしまう。

「え、なに?」

「ど、どうしたの?」

 遠島と将島先輩が心配して声をかけてくる。心配するというよりも怖がっていると言う方が正しいかもしれない。

 私は先ほどの無害そうな自己紹介を台無しにしそうになったため、早々にこの話を切り上げることにした。

「いや、何でもない…です」

 恥ずかしさで少し顔が熱くなっているのを感じる。遠島には必ず後で説教をしよう。

 ただ、今の時点でバレるのも話が脱線してしまいそうだったので、手に持っていたペットボトルをすかさず手で隠してから話し出す。

「んっ、んん…では、お話を聞かせてもらいます」

 少々わざとらしく咳き込んでから、気持ちを真剣な気分へ切り替える。

 これから三度目となる事情聴取をおこなわなければならない。いくら命にかかわらないと言えど、大きく言えば一人の人生を少し背負っている程には大事なのだ。

 私は将島杏子に問うた質問への返答を慎重に記憶するため、大きく深呼吸してから顔を向き直した。

 息を吐き終わると同時に、彼女は話し始める。

「そうだね〜…私は昨日部活には行ってないからなあ。授業が終わった後はそのまま家に帰ったし…」

 そう口篭ると、照れるような素振りで頭をかきながら続けた。

「私、何も知らないんだよね。せっかく来てくれたのに、ほんとゴメンね」

 少し自虐気味に話す彼女を見て、ちょいと胸を痛める。

 これまでの私は、正直やる気がなかった。今までも何度かこういう類のものに巻き込まれることはあったが、どれも似たようなものばかりだったのだ。その為か、今回も類似した事件だろうと意気消沈気味で進めていた。

 だが今回は、この事件は違う。何せこの学校は第一立南ヶ丘東京校である。様々な伝説があり、噂の生徒はどれも個性的な人物だった。色々な有名人や偉人を輩出してきた高校で、このような事件が起きたと言うのだ。

 平凡なわけがない。

 つまらないわけがない。

 滾らないわけがない。

 私は興奮とも違う何かを再び灯すと、将島先輩に向けて再び言葉を投げかける。

「そうですか…では、二つほど質問をしても宜しいですか?」

「はい。何でもどうぞ」

 笑顔で快く私の提案を引き受ける将島杏子。そしてその隣で私に睨みをきかせるもう一人の女生徒。そして後ろで少し不安げに私を見つめる遠島風華。

 彼女たちの視線など気にもせず、私の聞きたいことを率直に問うた。

「では、一つ目。貴方は東條先輩…東條浩都さんと恋人関係にありますか?」

「ちょ…!」

 後方で大声を上げる遠島に肩をグイと掴まれるが、そんなことには気にも留めず将島先輩の方へ顔を向け続ける。

 驚いたような顔をしながらも、ゆっくり眉を眉間に寄せて辛そうな顔をしだす。

 私の中での仮説がまた一つ現実味を帯びてきたと思うと、隣に座っていた女生徒が口を開いた。

「ちょっと、いきなり何なの?あまりにもプライベートなことすぎて、デリカシー疑うんだけど」

 またもや後ろから、そうだそうだ、と大きな野次馬の声が聞こえる。

 少しは覚悟していたが、まさか遠島ではなく見知らぬ女生徒に言われるとは。遠島なら扱いやすかったのだが、イレギュラーが一人いるとは思いもよらなかった。

 私は彼女の正論な言い分に対してではなく、彼女の存在に対しての自分の疑問を投げかける。

「えっと、あなたは将島先輩のご友人…ですか?」

「はい、そうですけど」

 なにか?と言いたげな物言いでこちらに不機嫌な顔を向ける。

 私だってあまり他人のプライバシーを侵害したくないが、こう聞くのが一番手っ取り早いのだ。やむを得ん。

 私は彼女の言い分に答えようと謝罪から言葉にしようとすると、将島先輩が割り込んで話し始めた。

「ええっと、ごめんごめん。そんな怒らないで桃ちゃん。大丈夫、そんな何も思ってないから」

 彼女をなだめるように手をあわあわと振って話すと、将島杏子はこちらに顔を向けてゆっくり話し出す。

「あのね、私と浩都…東條はそういう関係じゃないんだ。…ただ、私が好きってだけ」

 私が好きってだけ。それはつまるところ、

「片思い…ってことですか!? えー!全然分からなかった!」

 今度は今日では一番といっていいほどの大声を出す遠島。いい加減外に追い出してやろうかと怒りがこみあげてくる。

 ただ、これは大きな手がかりの一つだ。私の仮説のままで話を進めていれば大きな歪みを生みかねなかった。

 一つ新たな情報を手に入れて一安心すると、また一つ怒りの視線を感じる。

「…」

 こちらを見つめ、今にでも胸ぐらを掴みにかかってきそうな女生徒に、私は恐怖を覚える。女の怒りとはどこで発せられるのかわからない。男がそれを完璧に把握するなど今後の世界では不可能だろう。それも初対面の人間の心理など、男や女など関係なく理解できないものだ。

 だからここでは、彼女との冷静な対話を試みる。

「ありがとうございます、先輩。では、もう一つの質問は…あなたに聞いてもいいですかね」

 指を揃えて伸ばし、親指を添え、掌を少しわん曲させるように手を形作る。

 丁寧な口調で提案してみたものの、断られては次の質問こそ聞きづらいものなので、どうにか私の誘いに乗ってもらいたい。

 そう半分ほど祈った状態でいると、彼女は私の手を払いのけることはなく、しかしその手を取ることもなく。ただただ見たまま答えた。

「…で、何を聞きたいの?」

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