第四件 整理

「なるほど。東條浩都っていうのか」

「だからそう言ってたじゃん。もしかして忘れてたの?」

「いや、そういうわけじゃなくて」

 ようやく東條先輩の書体を理解したということである。トウジョウと一口に言ってもこの日本には腐るほど名前の種類があるため、心の内では気になって仕方がなかったのだ。

 東條先輩との話を終えて教室を後にした私達は、一階に降りた廊下で横並びに歩きながらつらつらと話していた。主に先ほどの会話のことを。

「てかさあ、なんであんなこと聞いたの?なんか気まずかったんだけど!」

「いやまあ…申し訳ないと思ってるけど」

「ふん、どうだかね」

 実際、気まずさとやらは分からなくもない。しかしあの質問は結果的には必要な過程だったのだ。ご容赦いただきたい。

 廊下の窓側を歩きながら外を見る遠島。暫くは機嫌が良くなることはなさそうだ。変に声をかけてより機嫌を悪くさせてしまっては恐ろしくて敵わない。

 今のうちに考えをまとめておこう。色々と謎が増えたが、手掛かりが増えたのも事実だ。焦らず着実に解決を進めていくとする。

 そう意気込むも束の間。

 体操服を着た男子生徒が教師と揉めている現場を見つける。

 面倒事はもう勘弁なのだが。

 そう言っても行き道の真ん中に佇まれては避けようがない。仕方なくその男子生徒の隣を通る。

 遠くで聞いていたためよく分からなかったが、かなりの大声で話していたようだ。こちらの耳が飛び跳ねてしまいそうな程に。

 何やら必死な彼を横目に、ふと教室の看板を見る。

 生徒指導室。そう書かれた看板から目を逸らす。

 面倒事だろうと思ってはいたが、更に碌なものではなさそうだ。あまり関わらない方がいい。こういう話は大抵の場合、聞いていて気分の良くなる話題ではないのだ。

 そのまま静かに通り過ぎようとした時、喧しい会話が勝手に耳に入ってくる。

「だから!本当に俺じゃないんですって!」

「そうは言ってもなあ…お前しかいないんだよ」

 何やら言い掛かりをつけられているような物言いだ。少し気になったため耳を澄ませて聞いてみる。

「別に皆んなもそんな怒ってないから。早く返してくれ」

「本当なんですって!大体、俺って別に影山とそんな因縁がつくような程の関係性ないですよ!」

「って言われてもな。実際にユニフォームが消えてるわけだからな。お前が"たまたま"練習から外れた時に」

「でも!絶対に俺じゃないですよ!」

 徐々に声を荒げる男子生徒に困惑する教師。手で頭を掻きながら不思議そうに唸る。

「いや…どうしたものか」

 困り果てる教師を他所目に先の会話を反芻させる。

 恐らく、声を大にして訴えかけている彼は同じ部活動の部員、カゲヤマのユニフォームを盗んだ。それを決定づける証拠として、彼は練習から外れた時間があった。その際に盗んだのだ、と顧問の教師に咎められている。

 凡そはこんなところだろう。この会話から得られる情報で判断するなら、彼は間違いなく犯人だ。

 しかし、彼の必死さを見るに嘘をついている様には見えない。そのためか教師も本気で怒るに怒れないのだろう。

「うへ〜…こわっ」

 生徒指導の怖そうな先生を恐れる遠島。彼女にも恐れるものがあったとは。彼女を横目に生徒指導室の前の男子生徒に視線をやる。

 しかし、この学校はよく物が無くなるのだな。なんて物騒な高校なのだろう。

 そう他人事に思いながらその場から完全に過ぎ去る。階段に着いたところで漸く話し声は聞こえなくなった。

 階段の手摺りに体重をかけながら、先ほどの彼の体操服に書かれた名前を思い出す。

 西園。よく覚えておくとしよう。これ以上の面倒事は御免だ。

 この人物からの頼み事は今後受けない。そう深く誓った。


 時も午の刻を過ぎようとしている頃。

 時間は流れるのが早いものだ。約一時間もの間、私は遠島に自由時間を割いていたのだった。

 普段人と話すことのない私にとって他人とのコミュニケーションは心身が大変疲労してしまう。今は気分があまり優れない。少しの間休憩を取るとしよう。

 校内から出て再び近くの公園へ来た私達は、一時間ほど前に飲んだ同じ飲料水を手に持つ。

 背中を預ける様に勢いよくベンチにもたれかかる遠島。ベンチの損壊をものともしない姿にハラハラしながら隣へ座る。

「もう少し静かに座れないの?ベンチ壊れちゃうよ」

「はあ!?私そんなに太ってませんけど!」

 そういう意味で言ったわけではないのだが。

 グビッとスポーツドリンクを飲む彼女に次いで、麦茶をゆっくりと喉へ流し込む。

 体が適度に冷え心地良くなってきた。暫く座っていれば落ち着くだろう。

 その間に遠島へいくつかの質問を投げかける。

「そういえば、部員はもう一人いるんだよね。その人は何処にいるの?」

 私に話しかけられるまで止め処なく飲んでいた飲料水を口から離して答え出す。

「ああ、杏子さんのこと?」

「キョウコ?」

「うん。将島杏子先輩。大将の将に入江島の島で将島。銀杏の杏に子供の子で杏子」

 将島杏子。その名前をよく覚えるように頭の中で何度も繰り返す。

 今日で一体どれほどの人数の名を知り記憶したのか。急に交友関係が増えた気になる。しかしそんなことはない。

 日頃使っていない脳の一部を必死に働かせる。名前を忘れてしまっては問題の解決以前の問題だ。決して忘れてはいけない。

 靴先を見ながら名前を唱えていると、不思議そうに薄目で見ながら遠島が話しかけてくる。

「これ、毎回しなきゃ駄目?結構面倒くさいんだけど」

 ペットボトルの蓋を閉めながら嫌そうに言う。

「出来れば。これをしないと忘れちゃうからさ」

「どんな脳みそしてんのよ。そのくらい普通に覚えれるでしょ」

 昔からの性分であるため、いきなり治せと言われて治るものではないのだ。それに効果は確実なので私自身これからも辞める気はない。この覚え方は中々身につくのだ。

 例えば中学校の頃の同級生。よく話していた男友達の彼を思い浮かべる。懐かしいものだ。あの頃は毎日が楽しかった。今も楽しくないわけではないが、考えることや不安が増えてしまったからか心から笑えていない気がする。

 そういえば彼の名前はなんだっただろうか。確か山なんとかという名前だったような。広なんとかだった気もするが。

 …どうやら、この覚え方は良くないらしい。今後は新しい長期記憶の方法を試した方が良さそうだ。

 自分自身に呆けながら、目前の奥に大きく聳え立つ木々に目を向ける。

 小風に揺られ様々な葉の音を鳴らす。夏に移ろうとする空を後ろに踊る樹葉。風に耐えきれず枝から揺れ落ちる木の葉。

 その中でも風に負けんと枝に縋り付く葉を見ながら考える。この葉っぱは何を願っているのかと。

 このまま枝葉共々春夏を乗り切りたいと思っているのだろうか。だが、今を乗り越えたとしてもいずれ枯れてしまう。衰え、いつか来る終わりを迎えてしまうのだ。

 生きながらえようとする気持ちはよく分かる。誰だって消えたくない。生きれるものなら生きる筈だ。

 ただ、その命の灯火を燃やし続けることで得られる時間が、無意味だとしたら。

 このまま風に耐えたとして、枯れてしまうまでの残りの時間を使い、彼等は行動することが可能なのか。いずれ来る未来を遠退け、何か意味ある行動を起こせるのか。

 何もせず縋りながら生きることは、果たして幸せなのか。

 きっとあの木の葉たちはそんなことを考えて日々を過ごしているわけではない。しかし、仮にもあの樹葉たちが今も必死に生きようと耐え続けているのなら。

 それは本当に正しく、苦しくない行動なのか。

 その選択によって生じる未来を、責任を持って生きることは辛くないのか。

 落ちた葉が楽をした、なんて言っているのではないのだ。ただ、自ら苦渋の選択をすることで何か変えられる未来があるのか。

 終わりの時を引き延ばしているだけの行動に、何かの意思や意味があるのなら。それは何をするために作り出すのだろう。

 神や仏に願うためだろうか。祈るためだろうか。

 万が一そうだとするなら、彼等は何を祈願するのだろう。

 そんな突飛な想像をしていると隣から騒がしい声が聞こえてくる。

「ねえ!聞いてんの?」

「ああ、ごめん。ちょっと考え事をしててさ」

「ボーッとしてただけなんじゃないの?」

 いやいや、と手を扇ぐ。実際にはその通りである。

 図星を突かれてしまい気恥ずかしいためか、無意識に別の話題をふる。

「そういえば、東條先輩の話で少し分かったことがあるんだ」

「えっ本当?」

 首を縦に振る。

 足を大きく開き、その隙間に組んでいた手を置く。そのまま指を遊ばせ、それを見ながら話し続ける。

「恐らく、東條先輩は今回の件の関係者だ」

 静かに言うと、遠島が呆けた声を出す。

「はあ?アンタ、何言って」

「まあまあ。一旦聞いてくれ」

「いーや聞かない。まず喋らせて」

 私の言うことなんて紙屑のように吹き飛ばしてしまう。遠島は私の言葉を遮りながら間髪入れずに話し続ける。

「一つ。山ちゃんと東條先輩は二人で走ってた。だから私の学生証を盗るなんて出来ない。それは私も見てたしね」

 その証言に反論しようと口を開けるも、遠島はピースの状態の手を私の目の前に突き出してくる。

「二つ。山ちゃんが放送室に行った時は部室に向かう様子はなかった。それは絶対。そして東條先輩が保健室に行った時も確実に部室へは行ってない」

 立てた二本の指の間から私の顔を睨みながら答える。

 遠島はその手の力を抜き腕をぶら下げながら、膝に力を入れてベンチから立つ。

「その後も東條先輩が部室へ向かう様子はなかった。ただの一度もね」

 体を捻り、胴体を私の方へ向けながら話す。

 そのまま真ん中三本の指を立てて言葉を繋ぐ。

「そして何より、東條先輩は『何も知らない』って言ってた!なのにどうしてそんな無鉄砲なこと言い出すの?」

 私はすぐそこまで迫ってきた彼女の顔から目を背ける。それは恥ずかしくなったからか、はたまた彼女の純粋な目から背けたくなったからか。

 少し誇張気味に咳き込み、遠島と同じように座っていたベンチから立つ。

 彼女の抜け穴だらけの証言に私は物申す。

「確かに東條先輩を信じたい気持ちも分かる。けれども、やはり彼が何も関わりがないなんて考えられない」

「なんで!」

「だから、それを今から話すから」

 ものすごく不服そうな遠島をなんとか黙らせる。今にも手を噛みちぎりそうな眼光でこちらを見る姿に毛を震わせながら、丁寧に話す。

「まず一つ目の証言。東條先輩と山中小春が二人で走っていたこと。これに関しては事実だろうし、その際に盗ってないだろうとも思う」

 そのまま遠島を見ながら話を続ける。

「が、二つ目の証言。山中小春の行った放送室は部室の隣にある校舎の中だ。もしかするとバレないように部室へ行ったかもしれない」

 私の物言いに怒りを感じたか、遠島は反論しようと口を開けようとする。しかし私はその言葉に被せながら話す。

 このくらいの仕返しは許して貰いたい。

「それに、東條先輩も部室へ行くことは出来ないことはない」

 保健室へ行く際、彼にも部室へ行くことは可能なのだ。ただ、これはあくまで可能性の話であり、あまりにも現実味のないものでもある。

「アンタ何言って…まさか、本気でそう思ってんの?」

 コクリ、と小さく頷く。少しばかり、いや大変馬鹿らしい話だ。普通の人間なら不可能なものであり、運動神経が良い悪い云々の話でもない。しかし、この学校の伝説が私の馬鹿げた推理を確信づける。

「あのねえ、部室から保健室までは少なく見積もっても三百メートルちょっとはあるのよ?それを人目を避けながらなんて…」

 そう、常人なら不可能だ。しかし━━━━━

「だけど、東條先輩なら、東條浩都ならば。出来ないことはない」

「いやいやいや」

 少し呆れ気味に笑いながら遠島は私の推論を否定する。

「そりゃ東條先輩はめっっちゃ速いよ?ただいくら速いといえど、よ。みんなにバレないようにグラウンドを走って、あまつさえ部室へ行くなんて…大体、アンタ東條先輩のタイム知らないでしょ?」

 その通りだ。私は彼の記録など何一つ知らない。彼の好みも、彼の出生も、彼の本当の性格さえも。

 ならば全て調べてしまえばいいのである。文字通り、彼のすべてを暴こうとしよう。

 もし彼が犯人で無ければ、私は極悪非道な人間だと責められるべきだ。しかし、そんなことは今となってはもうどうだって良い。私の中の何かに火が灯ってしまった。

 どうせ巻き込まれた厄介ごと。解決してしまうなら徹底的に明らかにしてしまおう。

「なら、東條先輩のタイムを教えてくれない?」

「教えてって…他人のタイムなんてそんな細かく覚えてないっての」

 そんなものなのか。と心の中でがっかりする。

 一度付いた火は勢いを無くしてしまった。しかしながら、その火は消えることはない。まだ私の中で灯ったままである。

「まあ、あくまで可能性の話だからね。誰が犯人かはまだこれから調べないと」

「はあ…」

 ため息をつきながら、さらに呆れた顔をする遠島。彼女は疲れたのかベンチにもう一度座りなおす。

 ドカッと体を椅子へ委ねると、すぐさまペットボトルに残っていた残りの清涼飲料水を飲み干す。ゴクゴクと飲むさまを見るからには、よっぽどのどが渇いていたのだろう。

 私も久しぶりに話したせいか、のどの渇きが止まらない。その乾燥を抑えるべく、手に持っていた麦茶をゴクッとのどの奥へ流し込んだ。

 もう一度頭を冷静にして考え直す。

 彼、東條浩都は何かしらの嘘をついている。しかし、その嘘が今回の学生証紛失事件と直接的に関係があるとは限らないのだ。もしかすると彼の嘘は山中小春に関する嘘であり、我々に言うには後ろめたい何かでもあったのかもしれない。

 だがその線はないとみて間違いないだろう。確かに彼が犯人だと言う確信的な証拠はないが、彼がこの事件の関係者であることは絶対である。

 その証拠ともいえない曖昧な何かは、私の中でまだ留めておくとしよう。本来こういう調査は勘やら気持ちやらで進めてはいけないのだ。

 しかし、今回の一件は失敗してはならない重大な任務というわけでもない。もしテスト返却日までに犯人を見つけることができなくとも、その後日に犯人を見つけてしまえば学校側も事情を把握し、彼女のテストの点数の安全は守られることになるだろう。

 つまり、彼が犯人であろうとなかろうと、他の部員が犯人であろうとなかろうと。私達には思いのほか時間と余裕があるのだ。私のような探偵崩れの男にもやれる案件というわけである。

 ただ、事件を解決するには証拠を集めるべきであり、その方法は大きく分けて二つある。

 一つは聞き込み調査。これは先ほどの問答で半分ほど終えてしまっている。まだ残り半分をしなければならないので、それも今日中に済ませてしまおうと思う。

 もう一つは物的証拠の調査である。犯人がいくら超人じみた能力を使っていおうと、まだ一端の学生なのだ。なにも証拠を残さないで犯行を済ませるというのは少し確率が低い。何かしらの証拠がまだ校内に残っていると考えて良いだろう。

 私は頭の中で今後の予定を作ると、閉じたペッドボトルの蓋をもう一度開け、残りの麦茶を全て飲み干す。

 冷水を体の中に目一杯流し込むと、勢いよく立ち上がる。

「よし…やるか」

「え?」

 キョトン、とした遠島を横目に私はゴミ箱へと歩いて行く。しっかり缶とペットボトルの仕切り分けを確認して捨てると、遠島の方へ向き直して口を開く。

「残りの部員に話を聞きに行こう!」

 こうなったらやれるまでやるのみ。一人であったならまだしも、今回はコミュニケーションを図ってくれる便利なヤツが隣にいるのだ。どうせ彼女に頼まれた面倒事ならば、思う存分彼女をコキ使おう。

 いきなりやる気に満ち溢れた私に訝しげな表情を向ける遠島。訳もわからないまま膝に力を入れ立ち上がる。

「なんかイマイチついていけてないけど…まあ付き合ってあげるわよ。これで東條先輩の疑いが晴らせるならね」

 上から目線で話す彼女だが、この件に私を巻き込んだのは君だと言ってやりたいものだ。

 ただそんなことを一々口に出していては疲れてしまうため、口を閉じたまま歩き出した。

 歩き出した私について行きながら、遠島が一つ私に問う。

「そういえば、三個目」

「え?」

「私の三個目の主張、その反論。まだ無いけど…もし私の主張が正しいなら、二個正しいってことで私の勝ちになるけど」

 何を無茶苦茶なことを言うのだろうか。だがしかし、三個目の主張だけ無視してしまうのも気持ちが悪い。何より、負けた気分になってしまう。

「そうだね。その主張については…」

 私はしばらく間を置いてから、ゆっくり、そして少し強く、言葉を続けた。

「何も知らないなんて…そんな無責任な言葉を信じてはいけないんだよ」

 私は真面目な顔をして答える。

 遠島の方へ目をやると、何か文句の一つでも言うかと警戒していたが、どうにもそんな気はなく。

 ただ、私の顔を見たまま何も言わなかった。

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