第二件 調査
徒歩三分程の距離にある公園へ向かった私達は話をするため腰掛けるベンチを探す。
一番に見つけた彼女は私の腕を引っ張って走って行く。同い年の女性に触られたのは初めてだった。しかしそんなことよりも腕の痛みに意識が移る私は引っ張られた腕を摩りながら話を聞く。
一通り話を聞くと、昨日の彼女の行動は至って普通であった。
朝の登校時には素早く教室へ着き、そのまま勉学に四時間の時間を費やした後昼食をとり、また二時間の時間を費やした。その後は陸上部で部活動に励む為部室へ向かい、部員三人と共に走ったとのこと。後は午後六時まで走った後に帰宅し、自室にて学生証がなくなったことに気づいた。これが彼女の証言である。
余談だが、先ほどの話で疑問に思った人も一部いるかもしれない。この学校はテストの一日前に部活動があるのかと。しかしこの第一立南ヶ丘東京校にはテスト直前まで部活を強制させるような校則はない。
なら何故テスト直前の日まで部活動をしていたのか。実は生徒側が部活に励みたい場合はその時の理由などから許可を下す場合もあるのだ。ただ成績の良し悪しから許可を下すかは変わるらしい。となれば彼女の成績は決して悪くないということになる。そんな彼女にとってのこの一件はやはり中々見逃すことのできない事案だろう。
彼女からの話を聞くからに怪しい点はないと感じる。しかし何も案が無い訳ではない。
私の中にある仮説を一つ述べてみる。
「部活動で着替えた際に無くしたんじゃない?」
「やっぱりそうなのかな?」
やはりそうだろう。最初は登下校の際に落としたものとばかり思っていたが、この一日の中で学生証を無くしたであろう出来事はこれしかない。午後四時から午後六時の部活動にて着替えの際に落としたか盗まれたかしたのだろう。
このまま部室へ向かい探せば見つかるだろう。もし見当たらなくても部員へ聞けば知っている筈だ。
「あんま落とした気はしないんだけどな…」
不服そうな彼女を横目に立ち上がる。その動きに合わせ彼女に声をかけた。
「まあ取り敢えず部室へ行ってみようよ」
「…わかった」
横の人物は見つかって欲しいと祈るような顔でゆっくり立ち上がった。その顔は少し悲しいように思えた。それは当たり前なのだろう。何せ、学生証が見つからなければ点数は大幅に減点されてしまうのだから。
しかしそれだけではないように感じた私は、その悲しげな表情に無意識に祈ってしまった。部室に置いてあってもらいたいと。
「どう?そっちにありそう?」
「私のとこにはなさそう。アンタの方は…って、まあ見つかってないわよね」
学生証を探しに部室の女子更衣室の中へ入った私は、その罪悪感を必死に消す。ドギマギした感情を表立って反応に出してしまっては彼女の気を悪くさせてしまう。それは一番避けるべきことだ。
ロッカーの中や裏、カゴなどの中や周りなども手分けして探したものの見つかる気配はない。ここで見つかっていればどれほど楽に終わっただろう。疲れで緩んだ口が開く。
「やっぱり他の部員が盗ん________」
「それは違う!」
突然声を荒げる。それは朝にも聞いた大きな声であったが、口調が朝よりもさらに怒気が強く感じた。私が驚く中、彼女自身も少し驚いたような様子で話を続ける。
「違うと…思いたい」
少し悲しげな顔で言う。心なしか涙を浮かべているようにも見えた。彼女は私より人情があるように思える。
友人や先輩を疑う事をしたくないという主張なのだろう。優しい人なのだと密かに心の内で想った。自分の所見としては真っ先に他人を疑ってしまうため、このような純粋な思考には少し気押されてしまう。
「…すまん」
バツの悪い顔をする私を見て、彼女も似たような表情になる。視線を下に向けたまま彼女は口を開く。
「別に…まあ、確かにその可能性もなくはないからね。一応」
自分に言い聞かせるように発言する姿は、見ていて少し心が揺れ動いてしまった。人が気を落としている姿を見るのは気が引けるものである。その原因が己のせいであるなら尚のことだ。
気を紛らわす為に開こうと手にかけた窓をゆっくり離す。このまま暗い部屋にいては気が沈みきってしまう。そう思い部室の扉に向かって歩き出す。
気を落としたり引いたりした私たちは陸上部の部室を後にした。
「これで誰も盗ってなかったらアンタが責任とってよね!」
何故この責任を負わなければならないのだろうか。しかし先ほどまでの事があったため何も言い返すことは出来ない。
教室の扉の前で仁王立ちする姿は戸を突き破らないか不安になる程逞しさを感じさせる。先刻の事はなかったかのようだ。
「えーと、まず山中さんだよね」
「そう!まあ山ちゃんは無いと思うけどね!優しいし賢いし」
山中小春。陸上部一年の部員である。速さは陸上部でもそれなりの実力を誇っているようだ。現に今度の高校生による陸上競技大会で出場することになっているとのこと。それにして勉学も優秀な成績を残しているらしい。山中小春の友人である彼女から聞いた話によれば允文允武であるように思える。
しかし、結局のところは口からの言葉だけでありこの双眸で見たものではない。私は自分で見て納得したものしか信じないタチなのだ。
何より、それで疑いが晴れる訳ではない。
半信半疑な気持ちで小さく呟く。
「そうだと良いんだけどね」
切実で大きな期待を胸に目の前にある扉を横に滑らせた。いの一番に視界に入ったのは教卓だ。それと最前列の廊下側の席から三つ目の机に一人ぽつんと座る女性の姿である。背を伸ばして教科書とノートに顔を落としながらペンを走らせる姿は所作だけで知的な印象を与えた。無意識にそのノートの文字に目を向ける。
其の内容は数学であり、私たちが習うには一、二ヶ月程かかるであろう範囲だった。予習というには前もって学習しすぎである。そんな先の範囲を彼女はテスト期間中に学んでいるのだ。それも筆が止まることなく。私は心の中で彼女に尊敬の意を表した。
放課後でも教室に残り勉強しているのは、少なくとも勉学に対して直向きに頑張ったことのない私にとって考えられない行動である。更に予習もしているなんてやや信じがたい。
また自然と彼女の足元も見てしまう。卑しい気持ちを感じたからではなく、先ほど彼女から聞いた話の真偽を確かめるためである。
脹脛には筋肉が見て分かるほどついており、とても女性の足と言って見せても信じてもらえないだろう。足に力を入れている様子もなく、素の状態で彼女は足に筋肉が浮き上がっているのだ。勉学だけでなく部活動にも励んでいることは一目瞭然である。そんな足を持ってなお上半分の体は華奢に見えた。国色天香で文武両道。私の目には山中小春という人物が漫画のヒロインのように見えてしまう。
早くも彼女から聞いた話と合致するものを感じた。しかしだからといって彼女の犯人の容疑は晴れる事はない。
私はこの気持ちを至急に消すため山中小春に声をかけた。
「あの、ちょっといいかな」
出来る限り温和な口調で喋りかけてみる。すると彼女も柔和な声色で答える。
「はい。何か用ですか?」
優しくも聞こえる声。しかし少し怖さも感じさせる。スッとこちらに向けた眼は品定めをしているようにも見えた。生徒ではなく教師に見られている気分になる。
暫くこちらを見つめると横に視線を動かす。その視界に入った人物に目を少し開きながら口を開ける。
「あら、風華ちゃんも一緒なの」
フウカ…と頭の中でその単語を反芻させる。暫く思考を巡らすとすぐに状況を理解した。よく考えてみれば私はまだ彼女の名前を知らない。会って数十分は経った筈だが相手の名前すらも知らなかった。唯一持っている情報は陸上部の少し喧しい女性というものだけだ。
隣のフウカと呼ばれる人物は相も変わらず大きな声で答える。
「そう!ごめん山ちゃん、ちょっとだけ話いいかな?」
そう聞くと山中小春は握るペンをノートに置く。
「ええ。大丈夫よ」
彼女に対しては声色が更に柔らかく感じる。やはり彼女らは仲の良い友人なのだと理解した。しかし私に対してのあの眼はなんだったのだろうか。またしても疑問が私の中で一つ増えた。
私が些かかいた汗を拭っていると、フウカは今までのいきさつを話しだす。
「━━━━━ってことなの。だから少しだけ話を聞かせてくれない?」
事の顛末を話し終えると山中小春は笑顔で口を開く。
「なるほどね…分かったわ。昨日私が何をしていたかを話せば良いのよね」
話を快く引き受けると彼女は昨日何をしていたか事細かく話してくれた。
「昨日は部室に向かったら私が一番だったの。だから鍵を取りに職員室に行って、それで部室にもう一度向かったわ」
顎を小さく縦に動かすと、彼女は話を続ける。
「それで、部室に向かったら東條先輩が居たの。だから二人で部室に入ってユニフォームに着替えて、それから暫くは走ってたわ」
言い終えたかと私が口を開きかけると彼女は口を閉じる事なく話し続ける。
「ああ、そういえば一回放送室へ行って放送をかけたわね」
「放送室?」
あまりにいきなり出たワードにおうむ返しをしてしまう。私の頭に浮かぶ疑問を見かねたフウカは説明口調で語りかける。
「山ちゃんは放送部員でもあるの!そういえば確かに昨日放送室へ行ってたね」
一度その情報を舌でゆっくり味わうと再び山中小春へ質問を投げかけた。
「走り終わってからはどうしたんですか?」
「その後は部室で制服を着て、そのまま家に帰ったわ。なんにも無かったわよ。何か力になったかしら」
話を聞く限り彼女が嘘をついている様には見えない。しかし、その証言が真かを確かめるすべはない。例えば、放送室へ行く最中に部室へ寄り学生証を盗んだ、だったり。もしくはフウカが部室へ向かった後に陸上の走りから抜け出して犯行に及んだ、という可能性もある。他にも彼女ほどの聡明な人なら多種多様な方法を思いつくだろう。
疑いを晴らすにはまだ彼女のアリバイは確実性がない。
「その証言を証明できる人は…?」
「…貴方、私を疑っているんですか」
ギロッと向けられた眼はこの身体に恐怖を思い出させる。私は怯えたことを声色に出さないよう必死に取り繕う。
「いやいやまさか。ただ、アリバイ…というには些か信憑性がないんです。放送室に行く際や部活動中に盗む事も可能なので。一応、です」
「ふむ…」
顎に手を当て思案する姿はかの有名な石像を私に思い出させる。しかしその石像よりも遥かに恐ろしく見えた。どうやら私は彼女に対して本能的に恐怖を覚えてしまったようだ。
怯える私に隣の女性は声を荒げて話しかける。
「山ちゃんはそんなことしないよ!第一、放送室に行く途中に部室はないし!」
「そ、そうか」
突然、隣から唾が飛んできそうな勢いで弁護する彼女に私はまたもや尻込みをしてしまう。何故こうも彼女の味方につくのか。フウカを怒らせてはいけないと心の中で感じる。同時に山中小春とは別の意味で怖いものを感じた。
しかし自分の中にあった疑いを一つ消す事が出来た。どうやら放送室へ行っている際に盗んだという事はなさそうだ。やはり人を疑うのは気分が良くない。私は少し気持ちを楽にする。
山中小春は暫く考えを巡らせた後、再びこちらに目を向けて話し出す。
「東條先輩なら私の行動を証明できると思うわ。何せ、昨日は二人でずっと走ったり、帰ったりもしたから」
「そうですか」
トウジョウ先輩という人物とも親密な関係らしい。誰かと帰宅なんて仲の良い者でなければ中々しないものだ。恐らくではあるが。
聞く事は聞いたと思い、教室をあとにしようとする。これ以上彼女と話していてはストレスで寿命を奪われてしまいそうだ。
「では、勉強中に失礼しました」
身体を真後ろに翻し扉へ向かおうとした。しかしタダでは返してくれないようだ。後ろから優しい声が聞こえる。
「ああ、待って」
「はい?」
不意に呼び止められてしまったため、翻した身体は即座に彼女の方へ向けることはできなかった。背中で言葉を聞くかたちになると山中小春はその恐ろしく感じる眼を私に真っ直ぐ向けながら言葉を継ぐ。
「東條先輩は二階の教室にいると思うわ。多分、私みたいに勉強しているでしょうから。それと…」
彼女は矢継ぎ早に話す。
「先輩には、"私にはもう既に貴方たちから話を聞かれた"という旨を話しておいてくれない?」
どういう意図か。考えようとするも口は先に動いてしまう。
「分かりました。では、失礼します」
私はそのまま彼女を背に歩き始めた。
扉の前まで来て、ふと彼女の方へ目線を送る。今なお山中小春はこちらを静かに見続けている。冷や汗を少しばかりかいた私は扉を開く。
開いた戸をゆっくり閉じていく。完全に閉じ切ったところで漸く彼女の視線を感じなくなった。
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