それでも光は届いていた

第一件 起点

 五月十八日。風が暖かく、ブレザーを羽織るには少し余分な程である。

 今日は最初の定期考査、中間テストである。学生の気分を沈めるには大き過ぎるものであり、暑さと共にやってきては憂鬱になるのも致し方ない。

 私は気だるい身体を前進させながら足を進める。身体に足が追いつく姿は猿人を彷彿とさせる。我ながら惨めなものだ。

 あと数十メートルといった所で、何やら蠢く物体を見つける。どうやら正門前で何か探しているような様子だ。

 ただでさえ気分が沈んでいる中、こんな状況に出くわしてしまっては体調に影響が出てしまう。テストに影響でも出てしまえば洒落にならない。いや、洒落話にはなるかもしれないが。

 私はその音源に目を伏せながら身を丸める。すると自然に足の形が忍び足になっている。ついでに手もお化けのように胸の前にぶら下げていた。まるで漫画のキャラクターの様なポーズをとってしまった。気配を消すつもりが警戒している騒音よりも目立ってしまう。

 私はこの時の行いを一生戒めるであろう。

 正門をくぐり抜けた所で、まだ起きてから間もなく慣れていない耳に大きな声が入り込んでくる。

「ねえ!待ってよ!」

 その怒気ともいえる声色で思わず身体を止めてしまう。しかし、正門を通る生徒は他にも数多くいる。その中で自分が選ばれる確率は低い。もしやこの声は私に向けているものでは無いのでは。

 そんな空想にふけているとまた大きな声が聞こえた。今度は足音もセットで聞こえてくる。コツン、コツンととても大きな音が。

「聞こえてないの?助けてよ!」

 先ほどは"待って"と言っていたはずだ。どうにもこの人物は物事をすぐに忘れるようだ。しかし、これ以上無視しても声をかけることを辞することは無さそうだ。

 私は踏ん張りをつけ、踵を返す。

 視界に入った"それ"は、背丈は少し小さいばかりであり幼さを感じさせる。しかし顔つきは気が強い女性という印象を与え、そこらの男子なら一掃してしまいそうな程の気迫を感じさせた。

 髪型は少し短めのポニーテールであり、肌の色から見て運動部に所属していそうにも見える。それが水泳か陸上か何らかなのか。そこまで推測することは出来ない。

 目の前の彼女は手を腰に当てながら口を大きく開く。

「ほら!聞こえてるじゃん!」

「一体何ですか。朝から大きな声で」

「え、そんな大きかった?」

 その人物は顔を紅潮させ少し恥ずかしそうに口元を隠す。そんなことを気にする様に見えなかったため、思わず目を見開いてしまった。

 しかしそれを表情に出してしまっては突かれてしまうだろう。目元を緩め、咳払いをする。

「それで、何か用なんですか?何も無ければ早く教室に行きたいんですけど」

 時刻はおそらく八時二十五分を過ぎた頃。八時三十分までに教室に行かなくては担任に怒られてしまう。面倒事は避けて生きたいのが一般的な考えだろう。

 私は少し冷たく言葉を発した。しかし彼女はどこ吹く風という顔で話を続ける。

「私、学生証を落としちゃってさ。今探してるの」

「はあ…」

 何か嫌な予感を感じる。早くも逃げたかったが、返事をしてしまった手前去ることは出来ない。

「だから、それを一緒に探して欲しいの!」

 少し間が生まれてから質問を投げかける。

「それは…見当はついてるんですか?」

 彼女は首を大きく横に振りながら答える。

「ううん!だから一緒に探して欲しいの!」

「……」

 私は生来初めての無理難題を突きつけられた。

 少し頭を落ち着かせて思考を巡らせる。先ほど言われたそれは、日本の中で人口が特段に多く土地も複雑な場所で無くした物を共に探そう、という解釈で良いのだろうか。しかもその物は大きいものでもなく、ましてやすぐに見つけられるものではない。薄っぺらい板一枚である。

 こんな案件は警察犬に引き渡すのが先決だろう。

「ごめんだけど、もう時間が」

 私がその場しのぎの言葉で逃げようとすると、またしても大きな声が耳を劈く。

「お願い!それがないと私まずいの!」

 お願いと一言言われても、簡単に首を縦に振るには難しい頼みである。だが、それがないと"まずい"のは理解できた。

 第一立南ヶ丘東京校は高校の中でも異彩を放っており、テストの方法にもその異常さが顕著に出ている。

 テストの受け方や時間、教科などは他の高校と何ら変わりないのだが、その結果の出し方がかなり変わっている。その方法が学生証を担任に提示しなければ返却がされないのだ。そして学生証を提示できなければ点数は大幅に減点され、最悪返してもらえない場合もある。その昔に替え玉事件でもあったのだろうか。一体どういう計らいでこのような校則ができたのか見当もつかない。

 詰まるところ、彼女はこのまま学生証が見つからなければ点数が無いものと同然の答案用紙が返却されてしまうのだ。それは何としても避けたいだろう。

「まあ気持ちは分かるけど、流石に厳しいんじゃないかな」

 そうである。今日テストを受け明日もテストを受けてしまうと休日に入ってしまう。その休日が過ぎればもうテスト返却日なのだ。休日を除けばたった二日しか猶予がないのである。その期日に対して難易度は最高ともいえるものであり、"無茶振り"と言っても過言ではない。

 しかし彼女はそんな私の言葉を聞く由もなく、

「厳しいとかそんなん言ってたら始まんないじゃない!」

 と顔を近づけながら言う。眉を顰めて睨みつける表情は飼いたての大型犬のようだ。

「とはいえ、思いつくような場所がないんじゃ探しようがないですよ」

 宥めるような口調で答える。

 現実的に考えて不可能だ。東京という大規模な街の中で小さな物を探すなど、超人か動物で無ければ数週間、数ヶ月かかる大捜査になる。

「申し訳ないですけど、先生とかお巡りさんに頼むのが賢明だと思いますよ。僕に頼んでも限界があるので」

 そう足早にこの場を去ろうとすると、目の前に少し小さい物体が回り込んで立ち塞がる。

「お願い!」

 お願い。一瞬でも心が揺らぐ言葉である。

 頼み事はよく任されるタチではあるが、何でもかんでも受けるという訳ではない。私にも自分の限界が分かるのだ。無理に引き受けた依頼を失敗して相手の気を落とす方が失礼だろう。無理なものには無理と言うのが一番だ。

「…あの、やっぱり僕には難しい______」

 すると、その言葉を遮るように機械音がなった。聞き馴染みがあり、聞くたびに気が引き締まる音だ。

「って、もうこんな時間!?急がないと!じゃ、また後でね!」

 彼女はチャイムを聞くとすぐに駆け出した。走る姿はまるで陸上選手の如く綺麗なフォームである。少し見惚れながら私も焦りを覚え足を大きく開く。

 なんと騒々しい朝だ。私はため息を大きく吐きながら教室へと走った。

 なんとか担任に叱責される前に教室へ着き、テストを受ける準備をする。少しかいた汗を拭いながら鞄の整理をする最中、ふと彼女の最後の言葉が頭をよぎる。

「"また後で"…?」

 どういう意図で言ったのか暫く考える。またもや嫌な予感がする。面倒事が嫌いな私にとって考えつく最悪の事態には備えておきたいものだ。しかし、テストを目の前にして考えが一切まとまらなかった。

 私は疑問を多く抱えたままテストへ挑んだ。


 時刻は十二時過ぎ。テスト一日目を終え下校する最中である。

 テスト内容は高校といえど一年の最初の定期考査なので簡単なものが多く、余裕綽々と解いている者も少なく無かった。

 私は少し芽生えた安心を胸に正門へ向かう。

「…あれ?」

 何か見覚えのある人物が手を振っている。一体誰に振っているのか後ろを振り向くも、誰もいない。

 先ほど芽生えた安心感はどこかへ逃げてしまった。

 私は恐る恐る足を進め、目を凝らす。

「おーい!」

 その声と明るい口調に思わず唇を歪める。あの時に言った"また後で"は本当だったのだ。

 正門の外は日差しで明るい筈が私には深淵のように恐ろしいものに見えた。この先に足を進めれば必ずと言っていいほど面倒な事が起きるに違いない。しかし、何故か私の足は歩き続ける。歩き続けてしまう。

 目の前に来たところで作り笑いを必死に保ちながら口を開く。

「…待ってくれてたんですね」

「当たり前じゃない!これから一緒に探すんだから」

 やはり、と思った。今の今まで私は嫌な予感が外れたことはない。しかもその大半は碌なものではない。

「ね!」

 まるで断ることは許されないような物言いだ。私は一度も承諾した覚えはないのだが。

 何とか事情をつけて帰ろうと思ったが、どうにもお人好しの部分があるらしい。分かった、とつい首を縦に振る。諦めがついたのだ。

 ニコッと笑う彼女。思わずトキメキそうになるも、私の愚行を思い出して気を深く落とす。

 昔から人に頼まれる事が多いためか自然に了承してしまった。断れない己を憎らしく思う。そんな性格が自分を自分たらしめているのだと思うと呆れて言葉が出ない。

 それでも言葉を発さなければ話は進まない。私は肩を落とし溜息を吐きながら彼女に問う。

「で、どこを探すつもりなんですか?」

「取り敢えずここら辺の交番に全部行ってみるの!」

 なんという力技だろうか。これが所謂"パワープレイ"と言うものなのだろう。

 私の中で彼女のくらいが一つ落ちた気がした。

 東京には文字通り数えきれないほどの交番がある。彼女の帰り道の付近にある交番をあたるにしても膨大な時間がかかることには違いない。

「あの、ちなみに家ってどこらへんに住んでるの?」

 一応家までの道を聞いておかなければ、交番に寄るだけで私はミイラになってしまう。すると彼女は指を横に向けて話した。

「ここ!」

 その指が指す家は徒歩二分もしないような場所にあった。

「…マジ?」

「大マジ!」

 目と鼻の先にある住宅は彼女の家だった。

 まさかこの距離で物を落とし、あまつさえ見つからない事があるのかと驚く。ここまで唖然としたのは初めてだ。

 そんな気配に気付いたのか彼女は口を開く。

「もしかして、羨ましいとか思っちゃった?」

 何一つ気づいてはいなかった。

 口元を緩ませながら喋る姿は幼さを感じさせる。

 だが彼女が自慢げに言うのも無理はない。一般人からすればこの住宅は豪邸とも言えるであろう。かく言う私もここを通るたびにこの家には尊敬の念を抱いていた。こんなにもお金を使えるとはどれほど凄まじい人なのだろうかと。

 しかし蓋を開けてみればその住居人はお金持ちの風貌を全く感じさせず、それどころか最初の理想とは大きくかけ離れた人物像であった。

 少々落胆した私は今一番の大きな疑問を彼女へ問うた。

「羨ましいは羨ましいけど、それよりさ」

「ん?」

「この距離で君は学生証を無くしたのか?」

 僅か二分、そんな短時間で学生証を手放すことはそうそう無い。登下校の間に出す事なんて常人なら有り得ない。

 私はさらに増えた疑問を抱えて頭を悩ませる。

「もしかして外に出かけた時に落としたとか?」

 例えば彼女が友人と映画館へ行く機会があったのなら話は変わる。そうであれば遠い道すがら映画代金の割引きの為持ち出した学生証が無くなる事も考えつく。

 だが彼女は期待している回答を返してくれない。

「いやー、今まで何回か映画とかは行ったけどさ。無くしたのは昨日なんだよね」

 益々増える謎。思考が追いつかず、考えるより先に質問を投げかけてしまう。

「それじゃあ、登下校のこの道で学生証を落としたの?」

「あはは…まあそんな感じになるのかな?」

「二分でどうやったら落ちるんだい」

 それが分かると苦労はしないのだが。

 私は少し考えを落ち着かせる為に近くの自動販売機へ足を運んだ。まだ日差しは強く、時間を要するだろう。

 ジュースのボタンを押すと気持ちが少し晴れた気がした。

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