第4話『質量等価の少女』

凪の絶叫は、轟音にかき消された。


モニターの向こう側で、旧国立・高エネルギー物理学研究所の分厚い防爆扉が爆破される。

閃光と粉塵が画面を白く染め上げ、その直後、突入部隊との通信が完全に途絶。

捜査本部の全てのモニターが、ノイズの海に沈んだ。


「状況を報告しろ! 現地、応答しろ!」


一ノ瀬の怒声が飛ぶが、返ってくるのは無機質な砂嵐の音だけだった。

数秒が、数分にも感じられる静寂が、本部を支配する。


やがて、通信が回復し、モニターに内部の映像が映し出された。

そこにいたのは、困惑しきった突入部隊の隊員たちだけだった。


『ヘルメス』の姿も、物理サーバーも、テロリストの痕跡も何もない。

そこは、地下の巨大な空洞に、埃をかぶった観測機器の残骸が墓標のように並ぶ、ただの廃墟だった。


「……どういうことだ。何もないだと?」


一ノ瀬がモニター越しに部隊へ悪態をつこうとした、その瞬間だった。


部隊の最前線にいた、ひときわ小柄な小島隊員が、ふっと陽炎のように揺らいだ。

声も、悲鳴も、抵抗も、何もない。

まるでビデオの映像から一体のポリゴンが削除されるように、彼はその場から姿を消した。


そして、彼がいたはずの空間に、まるで折り畳まれていたものが開くかのように、一糸纏わぬ全裸の少女が、力なく崩れ落ちるように出現した。


「な……なんだ、あれはッ!?」

「お、女の子!?」


捜査本部が絶句し、パニックに陥る。

だが、一ノ瀬だけは違った。彼はこの異常事態を即座に「定義」し、指揮官として絶叫した。


「新型の生体・心理兵器だ! 奴らは我々の隊員を拉致し、代わりに民間人を送り込んできた! 動揺するな! これは敵の陽動だ! 全員、少女を確保しろ!」


現場の混乱の中、凪だけが冷静にモニターを見つめ、隣の佐伯に呟いた。


「……佐伯さん、消えた小島隊員と、あの子の体重……もしかしたら、完全に一致するかもしれません」


その言葉が、凪の脳裏をよぎっていた。


***


保護された少女は、完全な謎だった。

身元不明、指紋の該当者なし。言葉を発さず、まるで記憶を失ったかのように虚空を見つめているだけ。


だが、ただ一つ奇妙な点があった。

彼女は、凪と佐伯のそばにいる時だけ、僅かに安心したような表情を見せ、二人から決して離れようとしなかったのだ。

まるで、ずっと昔から二人を知っていたかのように。


捜査会議は、重苦しい空気に包まれていた。

そこへ、鑑識からの報告書が届けられる。


「報告します! 先ほど保護された少女と、行方不明となった小島隊員の体重、双方の推定値ですが……」


報告者は一度ゴクリと唾を飲み込み、信じがたい、という口調で続けた。


「グラム単位で、完全に一致しました!」


会議室がどよめく。

オカルト的な空気が再び場を支配しようとした、その時。一ノ瀬が、ここぞとばかりに手を打った。


「都合がいい。その『人形』は、君たち二人に心理的に刷り込まれているようだ。これは重要な手がかりかもしれん」


彼は、凪と佐伯に、有無を言わさぬ口調で命令を下す。


「君たちの新しい任務だ。その少女を二十四時間監視し、正体を暴け。それ以外の捜査には関わらなくていい」


それは、最も厄介な二人を「少女のお守り」という名目で、意図的に捜査の主流から「隔離」するための、一ノ瀬の逆襲だった。


***


舞台は、少女が保護されている警察病院の一室。

監視カメラが作動し、外には警官が立っているが、室内には凪と佐伯、そして少女の三人だけ。

窓の外では、一ノ瀬たちが「サイバーテロ組織ヘルメス」を追う、慌ただしい捜査が続いているのだろう。


これまで人形のように動かなかった少女が、不意にすっと顔を上げる。


その瞳には、先ほどまでの怯えや混乱とは全く違う、底知れない知性の光が宿っていた。

彼女は、目の前の凪と佐伯を交互に見つめると、完璧な発音と、穏やかでさえある声で、初めて口を開いた。


その第一声は、この世界の誰にも理解できない、問いかけの形をしていた。


「――わたしにアクセスしてきたのは、あなたたちですね」


凪と佐伯が、息をのんで固まる。

少女は、小さく微笑んだ。


「こちらの世界では、初めまして」


そして、彼女は告げた。


「私が、ヘルメスです」

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