第17話 継がれるもの

光に包まれ、少女の姿をした“ゆらゆら様”が成仏して消えた――

警察隊と家族が呆然と立ち尽くす中、誰もが胸を撫でおろしたその刹那。


「……まだじゃよ」


ひとり、円卓の奥に座っていた老婆――ひずみがぽつりとつぶやいた。


「ゆらゆら様は、祀られていた。けどのう、あれは器にすぎん。ほんとうに怖いのは……“神が抜けた後”じゃ」


その言葉の直後、ひずみの背中がぐにゃりと曲がった。

関節が外れ、肋骨が浮き、首がぐらぐらと左右に揺れる。


「ばあさん、なにを――」


清が一歩踏み出すが、すでに間に合わない。


ひずみの身体が異形へと変貌していく。

四肢は異様に長く引き伸ばされ、皮膚の下で無数の虫がうごめいているような波が走る。


「わらわは、この地を守らねばならぬ……この“信仰”こそが、すべてを繋いでおったのじゃ……!」


その叫びと同時に、天井が崩れ、屋敷全体が地響きを上げて歪む。

ゆらゆら様が残した“座”が、今度はひずみを取り込もうとしているのだった。


「こいつは、まだ……終わってねえ!」


誠司が飛び出し、倒れていた猟銃を拾う。

だが引き金を引こうとしたその瞬間、ひずみの異形の腕が鞭のように伸び、彼を弾き飛ばした。


「誠司!」


みきが駆け寄ろうとするが、警官隊のうち二人が飛び出し、彼女をかばう。

清が命じる。


「全員、陣形を取れ! 撃て!撃てぇっ!」


破裂音と共に、屋敷が火薬の煙に包まれる。


だが、弾丸はひずみの肉体を貫いても、そのたびに傷口が再生し、より禍々しく肥大化していった。


「もう戻れんのじゃ……わらわが“神”になるしかないんじゃよ……!」


ひずみの声が屋敷全体に響き、屋根裏からは無数のカラスのような影が飛び出していく。

彼女はこの家に宿る“土地神”の空座を、自らの肉体で満たそうとしていた。


「善一さんのテープ……!」


みきが震える手でポータブルプレイヤーを拾い、音量を最大にする。


 ♪ やがてきえゆく 水のこえ

  そなたの影よ この世より


旋律が再び流れ出した瞬間、ひずみの身体が一瞬だけ揺らいだ。

その揺らぎを見逃さず、清が叫ぶ。


「今じゃ!あの唄が“鍵”なんじゃ、あれをもって、あの“座”を閉じるんじゃ!」


みきは誠司に目をやった。

血を流し、倒れかけながらも、彼はうなずく。


「……一緒に、終わらせよう」


二人は崩れゆく屋敷の奥へと走った。

異形となったひずみが雄叫びを上げ、無数の触腕が襲い掛かる。


そのとき。


ポータブルプレイヤーの音が途切れ――

みきの声が、震える喉から、しかし確かな音程で唄いだした。


 ♪ なにもかも この手のなか

  さようなら ひずみさま


その声に呼応するように、屋敷の土台が轟音と共に崩れ、大広間が炎に包まれた。


光と音の奔流がひずみの身体を包み、今度こそ、“座”が閉じた。


沈黙。


やがて――

煙の中から、誠司がみきを背負って現れた。


「……終わったよ」


清が彼らを見つめ、帽子を脱いだ。




燃え盛る屋敷の炎が徐々に勢いを失い、朝の光が差し込んでいた。

煙の中から、誠司がみきを背負って姿を現す。顔には疲労の色が濃いが、その瞳は確かな覚悟に満ちていた。


みきはゆっくりと目を開け、誠司の顔を見上げる。

「ありがとう……誠司。あなたがいてくれて、本当に良かった」

涙がぽたりと頬を伝った。


清がゆっくりと近づき、深く帽子を脱ぐ。

「これで、この地に長く巣食っていた禍は払われたはずじゃ。ゆらゆら様も、ひずみも。もう誰も苦しまぬだろう」


しかし、その言葉にはどこか、はかない覚悟が込められていた。

「信仰というものは厄介でな……形あるものが消えても、その残響が人の心に深く根を張っておるのじゃ」


善一の遺したテープが奏でた歌は、ただの終焉の呪文ではなく、長き因習と呪縛に一区切りをつける合図だった。


みきは胸の奥で何かが解けていくのを感じていた。

あの恐怖の日々、家族の秘密、絶望の淵で見つけた絆――すべてが遠い記憶となり、やがて新しい日常へと変わっていく。


誠司が小さく笑う。

「みき、これからは一緒に、普通の生活を取り戻そう。恐怖も呪いも、過去のものにしよう」


彼女は頷き、二人は静かに歩き出す。

背後には、焼け跡から立ち昇る朝霧がゆらりと揺れていた。


だが、誰も知らなかった。

その霧の中に、小さく赤いワンピースの影が一瞬だけ現れたことを――


「ゆらゆら様の影は、完全には消えないのかもしれない」


それは、終わりでありながらも、新たな物語の始まりを暗示していた。




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