第16話 儀の夜明け
深夜零時。
津山の山中を、十数名の警官隊が無言で進んでいた。
先頭を歩くのは、老警察官・清。
その手には、猟銃ではなく、銀が残した霊符と、善一から託された最後の唄の断片を握っている。
「目標地点まで五百メートル。屋敷の南口を強行突破する。抵抗があれば最小限の制圧だ」
静かに発せられたその言葉に、隊員たちは一斉に頷いた。
かつて「何か」がいると噂されていた旧家。
それが今、実際に“現世と異界が交わる結節点”として口を開きつつある。
隊の背後で、みきが清に駆け寄る。
「私も……行きます。私、唄を完成させられる気がするんです」
清は数秒だけ彼女を見つめ、うなずいた。
「お前が前に立て。これは“信仰”じゃない、“儀式”じゃ。魂で終わらせるしかない」
そのとき、背後から足音が迫る。
草を踏み分け、ボロボロのシャツを着た男が走ってくる。
「みきっ!」
――誠司だった。
その目は赤く、だが以前のような怒りや混乱ではない。
冷えた湖面のように澄んでいる。
「夢の中で……見たんだ。お前が、あいつに捕まるところを」
みきの目が潤む。
「……ごめんね、助けられなくて」
誠司は微笑んだ。
「違うよ。助けに来たんだ、今度は俺が」
彼はそのまま、清に向き直る。
「俺も行きます。戦わせてください」
清は深く頷き、こう告げた。
「“因果”を断ち切るのは、血筋の者でなくてはならん。“あれ”は、お前たちを待っておる」
屋敷――。
提灯の火が赤々と揺れる本堂。
大広間の中央には、ぐるりと円卓が並べられ、そこには家族たちが沈黙のまま座っていた。
ひずみ、ひかり、翔、美香、大介、そして善一が遺した白装束。
そしてその中央、天井から逆さに吊るされた、ぐったりとした翔の身体。
鼻は折れ、額に無数の裂傷が浮かぶ。あの夜、誠司が殴り倒したままの姿。
円卓の中央に、“それ”が座っていた。
赤いワンピース。黒い髪。
人間の形を模しているが、骨格は微妙に歪み、関節は逆に曲がり、常に「揺れて」いる。
――ゆらゆら様。
目のない顔がこちらに向けられる。
「こえ……こえを……きかせて……」
その声と共に、屋敷の外から、破裂音が鳴った。
清の放った照明弾が、屋敷の上空で白く輝いたのだ。
「突入!」
十数名の警官がなだれ込む。
大広間に突入すると、異様な冷気が肌を刺した。時間が止まったような、異空間。
みきは一歩前へ進み、ポータブルプレイヤーにテープを差し込む。
――カチリ。
♪ ゆらり ゆらゆら あの子の手
赤の髪ふれぬように 水面の奥に消えましょう
「ゆらゆら様――あたし、あなたを……成仏させる」
音が空間に満ちると、霊体が苦しげに揺れはじめた。
「まもって……あたし、あの子を……」
「もう充分です。あなたの役目は、終わったんです」
誠司が一歩、ゆらゆら様に近づく。
「あなたが守ってきたものは、今、俺たちが守ります。だから――」
そのとき。
ゆらゆら様が絶叫した。
空間が歪み、警官の一人が吹き飛ばされる。
家族たちは血の涙を流し、机が宙に浮く。
「唄を……さいごまで……」
テープがノイズを吐いた。
――しかし、みきの口が自然と開き、旋律を紡ぎだす。
♪ やがてきえゆく 水のこえ
そなたの影よ この世より
響き渡る純粋な声。
その瞬間、ゆらゆら様の身体がぐらりと傾き、涙を流した。
「ありがとう……」
微笑んだ顔が、幼い少女に変わっていく。
白い着物に結ばれた、あの日の姿。
彼女は光に包まれ、音もなく、静かにその場から消えた。
――儀式は、終わった。
夜が明ける。
屋敷は封鎖され、村には再び静けさが戻った。
誠司はみきの手を握ったまま、こう言った。
「ありがとう……本当に、ありがとう」
みきは微笑んで応えた。
けれど――屋敷の奥、誰も立ち入れなかった北の蔵の奥底で、まだ微かに揺れる影がひとつ、眠っていることを、誰も知らなかった。
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