第15話 夢の中の女

夜。静まり返った津山の駐在所。

粗末な布団の中で、みきは膝を抱えていた。

傍らには小さなポータブルプレイヤー。あの善一から渡された、例のテープが差し込まれている。


「……あの唄、覚えなきゃ」


耳元で再生ボタンを押すと、テープが古びた音を立てて回り始める。


 ♪ ゆらり ゆらゆら あの子の手――

  ゆらり ゆらゆら 赤の髪――


老婆の声が、冷たい霧のように部屋を包みこむ。

一度聞いたら離れない、重たく、悲しげな旋律だった。


清はデスクの奥で仮眠をとっていた。

彼の存在に、みきはわずかに安心していた。けれど、その安心は、次の瞬間すぐに砕けることになる。


不意に、プレイヤーが止まった。電池切れではない。むしろ……誰かに、止められたような感覚。


「……?」


みきが顔を上げたとき、天井が、ゆらりと歪んだ。


視界がぐにゃりと溶け、布団の感触が失せる。代わりに、ひんやりとした土の匂い。

気づけば彼女は、どこか見知らぬ洞窟の中に立っていた。


それは――ゆらゆら様の本堂だった。


提灯の明かりがゆらゆらと揺れ、赤い光が地面を照らしている。

奥の壇上に、ひとりの女が立っていた。長い黒髪、異様に細い手足、揺れる赤いワンピース。


“彼女”が、こちらを見つめていた。


――みーつけた。


声ではない。頭の中に、直接響くような音。


その瞬間、みきは動けなくなった。脚が床に縫い付けられたように重くなる。息が苦しい。

目を逸らしたいのに、それができない。


“ゆらゆら様”の顔が、じわじわと近づいてくる。

皮膚は透けるように白く、口元がひくひくと笑っていた。目だけが穴のように真っ暗で――

まるで底なし沼。


彼女が、みきの顔に指を当てた。


――わたしのなかに、おいで。


その瞬間、みきの身体がぐらりと崩れ落ちた。


「みきっ!」


清の声で目を覚ます。

額には冷たい汗。吐き気、震え、喉が渇き、鼓動が喉までせりあがっていた。


「……夢……だった……?」


清が手を当てると、みきの体温は下がりきっていた。唇は青く、瞳は焦点を失っていた。


「様子がおかしい……まるで、魂を吸われたみたいだ」


みきは、唄の断片だけを呟いた。


「……ゆらり……赤の髪……あの子の……手……」


清は顔をしかめると、棚の奥から何かを取り出した。

古びた資料。銀と共に長年調べてきた、「ゆらゆら様」に関する郷土文書。


その中に、善一の言葉と一致する記述があった。


――《唄いし者は、女霊と同調し、夢にて交わる。霊は夢にて心を喰らい、やがて肉体を奪う。》


「……これは、“唄い手の呪い”だ。みき、もう引き返せん道に入ってしまったかもしれん」


彼女は震えながら答えた。


「でも……あたしが止めなきゃ。誠司も……翔くんも……もう、誰にも死んでほしくない」


みきは手のひらで涙を拭い、テープをしっかりと胸に抱きしめた。


「この唄が、彼女を鎮められる最後の希望なんだよね……」


清は、みきの横に静かに座ると、重たい口を開いた。


「……なら、次に行くべき場所がある。ゆらゆら様の“本堂”……本物の結界のある場所じゃ。唄を完成させるには、そこへ行くしかない」


みきは頷いた。

恐怖が、もう逃げるだけでは終わらないことを彼女に教えていた。


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