第14話 封印の唄

津山の山奥。杉林の道を抜けた先に、朽ちかけた廃寺があった。

境内には落ち葉が積もり、風が木霊のように鳴いていた。


「ここか……昔、善一さんが務めてた寺……」


みきがつぶやくと、清は頷き、堂の引き戸を音を立てて開けた。


中にいたのは、白い袈裟に身を包んだ老人。目は鋭く、肌は年輪を刻んでいたが、どこか気配の柔らかい男だった。


「……清か。久しぶりだの」


「善一。頼みがある。ゆらゆら様のことだ」


善一は一瞬だけ目を細めた。


「……とうとう、来たか。あの唄が必要なときが」


みきが顔を上げると、善一は奥の納戸から、古びたカセットテープを取り出した。

ケースには手書きでこう記されていた。


――《ゆらゆら唄・後編》


「これは、私がまだ現役だった頃、村の老婆から聞き取った唄の断片じゃ。前半は今も屋敷で唱えられておる……が、後半は恐ろしくて封じられた。誰も歌おうとはしなかった」


「でも……なぜその唄が必要なんですか?」


善一は火鉢に炭をくべながら、静かに語りはじめた。


「“ゆらゆら様”の本質は、怨霊じゃ。もとはこの地に捨てられた女の霊――名を“ゆりは”といった。彼女は病と飢えで家族に捨てられ、この山中の小屋で一人死んだ。

やがて、その憎しみと孤独が、怪異となり、村人たちは恐れて“ゆらゆら様”と呼ぶようになった。だが本来は、供物や祈りでは成仏できん。“本人のために歌われる鎮魂の唄”だけが、彼女を還す唯一の方法だ」


「……じゃあ、このテープの中に……?」


「ああ。最後の唄の断片が入っている。だが――」


善一の声が低くなる。


「この唄を口にする者は、“ゆらゆら様”と深く繋がることになる。夢の中で彼女が現れ、記憶を喰らい、精神を蝕む……それを承知で、お主は唄う覚悟があるのか?」


みきの喉がひりついた。


だが、それでも彼女は答えた。


「私しか……できないんですよね。だったら、やります」


善一は深く頷き、テープをそっと手渡した。


「……ならば、唄を覚える前に、ひとつだけ言っておこう。

“ゆらゆら様”の本堂には、ある“印”が刻まれとる。その場所で、この唄を最後まで歌いきれば、彼女の魂は留まり、成仏の一端が開かれる」


清が低く呟いた。


「……そこまで近づく覚悟が、必要ってことか」


みきはテープを握りしめた。冷たくも、確かに重い。


その夜、みきはひとり屋敷の一室に戻り、録音テープを再生した。

機械の軋むような音の中から、かすれた老婆の声が、低く、呪文のように響いた。


 ♪ ゆらり ゆらゆら あの子の手――

  ゆらり ゆらゆら 赤の髪――

  ふたりで歩いた 川のほとり

  つないだ手さえ 忘れても――


どこかで聞いた覚えのあるような、哀しみを帯びた旋律だった。


そして、その歌声が流れる中――ふと、部屋の外から、畳を軋ませる音がした。


誰かが、こちらを見ている。


テープを止めた瞬間、みきの背後に寒気が走った。


振り返った先、窓の外――月明かりの中で、赤いワンピースが、ゆらり、と揺れていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る