第12話 銀、禁域へ

その夜――銀は山道を歩いていた。

月も雲に隠れ、手にした懐中電灯だけが、足元の獣道を頼りなく照らしている。肩から下げた古びた猟銃と、腰の弾薬袋がカタカタと鳴った。


「……清、お前があの娘を守るなら……俺は“根”を断つしかない」


銀は、かつて山の地質調査官だった。地元の廃神域や、戦前の風習に詳しく、清とは正反対の“現場派”だった。今回も、資料をあさり、地図を睨み、そして一つの答えにたどり着いた。


――ゆらゆら様は、あの本堂に棲んでいる。


牧田家の屋敷から延びる地下道の先。

明治以降も手入れされ続けている禁足地。


銀は裏山から直接“本堂”に向かっていた。


獣道を三十分以上歩いた頃――石の鳥居が朽ちかけながらも姿を現した。

その奥には、岩肌にめり込むようにして黒ずんだ社殿が口を開けていた。


「……ここか」


懐中電灯を消し、月の明かりだけを頼りに銀は静かに社殿の中へ入る。

床は苔と腐葉土に覆われ、壁にはかつての儀式の記録らしき血の痕跡がにじんでいる。


奥へ――


奥へ――


すると、祭壇の手前に、何かが“ゆら”と揺れていた。


影があった。

そこには、誰もいなかったはずの空間に、白くひび割れた皮膚と赤いワンピースの女が、背を向けて立っていた。


「……っ!」


銀は咄嗟に銃を構えた。


その女は、かすかに笑ったように首を傾けた。

ギリ……ギリギリ……と、歯ぎしりの音が響く。


「これが……“ゆらゆら様”か……!」


引き金を引く。


発砲音が、空間に破裂した。


だが――。


女の体は、まるで“揺らめき”のようにぼやけ、銃弾はそのまま空を切った。


「っ、もう一発……!」


だが銀の背後に、何かが立っていた。

影――長い髪、ざらつく肌、粘ついたような空気。


振り返る間もなかった。


口が裂けたように開き、銀の耳元に声が囁いた。


「――おまえは、“器”にはなれないんだよ」


ドン――と何かに突き飛ばされた。


銀の体が、岩の柱に叩きつけられる。

肋骨が砕け、息ができない。視界が赤く染まる。


最後に見えたのは、ゆらゆらと揺れながら、こちらに顔を向ける女の瞳――それは、どこか、嬉しそうで。


「……こいつは、女じゃない……“女だった何か”だ……」


その言葉が最後だった。


静寂の中、本堂には再びゆらゆらと揺れる影だけが残された。


そして、銀の懐から転がり出たボイスレコーダーは――微かな録音音を残したまま、沈黙した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る