第11話 戻っておいで、みき

交番を出たのは、夕暮れが始まる頃だった。みきは清と別れ、銀の資料室で録音テープを預かり、一人で町の小さなコンビニに向かっていた。

水とインスタントのスープを買った帰り、ふと、背後に視線を感じた。


振り返ると、道の向こうに立っていたのは――翔だった。


白いジャケットに、顔に絆創膏を貼ったままの無表情。その視線は、まっすぐみきを貫いていた。


「……おい」


みきは一歩下がった。


「翔……どうしてここに……」


「戻ってこいよ。婆ちゃんが呼んでんだ。みき、お前さ……選ばれたんだろ?」


声は静かだったが、何かが壊れかけているようだった。


「……私、もう戻らない」


「誠司が死ぬぞ」


その言葉に、全身が凍りついた。


「……誠司は……まだ生きてる。私が――」


「死ぬんだよ、あいつは。お前が戻らなきゃ、“ゆらゆら様”は宿る先を誠司に変える。もう決まってんだ」


「……それって……どういう……」


「お前の体は、もう“器”になってる。あとは帰って、儀式を受けるだけだ。俺たち、止めらんねぇよ」


みきは走った。背後から翔の靴音が迫る気がして、信号無視で横断歩道を渡り、路地裏に逃げ込んだ。とにかく、交番に戻るしかない。

だが途中――別の人影が、道の前に立ちはだかった。


それは、ひかりだった。


艶やかな黒髪。だがその目は焦点が合っておらず、唇はひきつったように笑っていた。


「……ごめんなさいね、みきちゃん。私、あの子(翔)がこんなふうになるなんて……でも、うちの家って、もうどうにもならないの」


みきは言葉を失った。


「ひかりさん……あなたも、“あの存在”を……?」


ひかりは、くしゃっとした笑みのまま首をかしげた。


「みんな、昔から見てるのよ。私も、小さいころから――“あれ”を。母さん(ひずみ)も、私に言ったわ。“女の子は見えるようになるんだよ”って。そういう家なの。うちは」


みきは小さく後ずさった。


「お願いだから、戻ってきて。……一度だけでもいいの。“本堂”に、来てくれれば……みんな、救われるの」


その瞬間――後方から清の自転車のベルが鳴った。


「おいっ、そこで何をしている!」


ひかりと翔は、電灯の影にすっと姿を消した。清が駆け寄ってきたときには、もう二人の姿はなかった。


みきはその場に座り込み、かすれる声でつぶやいた。


「……みんな、おかしい……あの家族、みんな……ゆらゆら様に……」


清はみきを支えながら、小さくうなずいた。


「取り込まれてる。すでに一部なんだよ。お前も、引きずり込まれかけたんだ」


みきは歯を食いしばった。


「……でも、誠司は違う。誠司は、まだ……戻れる」


その目には、恐怖と、微かな希望の灯りがともっていた。

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