第5話 円卓の夜(5月1日・夜)
2025年5月1日(木)夜
月は薄く、風はない。湿った夜。
日が沈むと同時に、家の中の空気が変わる。
まるで、時間そのものが“切り替わった”ようだった。
「今日はせっかくだから、皆で囲もう」
そう言ったのは、当主・ひずみさんだった。
本館の奥にある大広間。
中央に据えられたのは、大きな円卓――直径二メートルはある古びた漆塗り。
その周囲に、家族が順に着席していく。
ひずみさんを頂点に、右回りにひかりさん、大介さん、美香ちゃん、翔くん。
反対側には成美さん、次朗さん、誠司くん、そして私。
円卓の中央には、季節の山菜や煮物が並べられていた。
見た目はどれも家庭的で美味しそうなのに、どこか無表情な料理だった。
色合いも匂いも、感情を拒むような整い方をしている。
誰も話さないまま、ひずみさんがゆっくりと立ち上がった。
両手を前で合わせ、目を閉じて、低く、古い歌のような声を出す。
「……みたまは揺れ、我らは守られ、命は回る」
円卓にいた全員が、ほぼ同時に目を伏せた。
成美さんと次朗さんまでも。誠司くんだけがちらりと私を見て、小さくうなずいた。
彼も、これを“形式”と割り切っているのだろう。
でも私は、まったく声を出せなかった。
しばらくして、食事が始まった。
会話は乏しく、ただ箸の音と食器の触れ合う音だけが続く。
静かすぎて、誰かの咀嚼音が耳に焼きつく。
その夜、最後の料理が運ばれたのは午後七時半をまわったころだった。
ひずみさんがまた立ち上がると、廊下の奥から白装束の若い男性たちが、一つの木箱を運んできた。
中には、きれいに洗われた野菜が並べられていた。
茄子、ピーマン、とうもろこし、にんじん――どれも艶やかで、けれどどこか不自然な色合い。
まるでそれは、献花のようだった。
「捧げてきなさい」
ひずみさんが美香ちゃんに告げると、彼女はうなずいて箱を抱えた。
誠司くんが立ち上がる。
「俺が一緒に行くよ」
「ダメ」
それを制したのは、ひかりさんだった。
「ゆらゆら様に捧げるのは“女の子の役目”。昔からそう決まってるの」
私はそのやりとりを黙って見ていた。
そして思った。
この家では、女の子は“差し出す側”なのだと。
美香ちゃんが白装束をまとい、裸足で廊下を歩いていくのを、全員が無言で見送る。
誰も彼女を止めない。
誰も、彼女を守ろうとしない。
成美さんだけが、食器を握りしめていた。
指の関節が白くなっていた。
……その夜、窓の外から、
「ずるっ……ずるっ……」という、何かが湿った地面を這う音が聞こえた。
みんなは食後の後片付けをしていたが、私はその音が耳から離れなかった。
それは、“野菜を捧げた”直後にだけ聞こえたものだった。
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