Day.17『空蝉』

 花楓かえでの食事処を出たあと、琥珀の兄がやっているという染色工房に火織と向かっていた。


「ご馳走様でした。すみません、奢ってもらっちゃって」

「いえ、気にしないでください……おっと、」


 突然火織が立ち止まる。と、路地裏からぴょっと管狐が飛び出してきた。

 ぬるんとした長い体の管狐はこちらを見ると、ミュッ、と甲高い声で鳴いて、家の柱を器用に登って行った。その屋根の上にも何匹か管狐がいて、ひなたぼっこしている。大きな蝉の抜け殻をくわえて歩いていたり、取っ組み合いして遊んでいる子もいて、微笑ましくなってくる。

 さすが狐の町。野良猫の代わりに野良管狐がたくさんいる。


「管狐ちゃん、多いんですね」


 火織も管狐を目で追いながら「百年ほど前に一斉保護した子たちです」と言った。


「近畿の霊媒師が育成に失敗したとかで、大量増殖してしまったんです。それで、手っ取り早く管狐を殺処分しようとしたそうで」

「それは酷いですね」

「ですよね……なので殺処分される前に母が介入して、保護したんです」


 だからこの町の管狐は二つの色に分かれていて、黄色に近い色がこの地に元からいた管狐、白っぽい色が保護された管狐だと教えてくれた。

 ふと、ブリーダー崩壊のニュースを思い出した。あれも商売のために犬や猫を繁殖させ、採算が取れず飼育を放棄してしまって起こる事案だ。

 葵の母の知り合いに猫の保護や預かりボランティアをしている猫又がいるが、先日保護した現場が、小遣い稼ぎ感覚でブリーダーをやっていたそうで、むちゃくちゃに怒っていた。


「この土地の管狐も、先祖が保護した子たちです。この辺りには、妖力を取り入れるために管狐を食べる鬼がらいますから」

「鬼、ですか……」

「はい。彼らは凶暴で、同じ妖怪を食べて己の力にしようとするくらい、気性の荒い妖怪なんです」

「食べ……食べちゃうんですか?」

「はい。だけど彼らはここから離れた街を拠点としているので、滅多に現れることはありません。山道は危ないけれど、この町にいれば、大丈夫だと思います。この町のすぐ近くに、九頭竜川がありますでしょう?」


 昨日、この町にどうやってきたのかを思い出す。この異空間から出たところは、九頭竜川の近くだ。


「昔からこの福井大野は、水神様を祀っていたそうです。その水神様は黒龍だと伝えられ、この町もその恩恵を受けています」

「黒竜……?」

「えぇ。龍神様とも呼ばれています。確か、ダムに沈んだ村に祠があったと言われています。祠はダムの底なので、もう確認出来ませんが」


 佳紅樂かぐらおじ様も言ってましたが、と火織は前置きした。


「俺たちが使う狐火は火の回りが早く、使い方を間違えてしまえば、大惨事になりかねません。ですので俺たちの祖先は、大きな川のある場所を拠点として、この大野の地を選んだんです。そのとき、龍神様の計らいで、土地を少し分けていただいたそうです」

「龍神様、お優しいんですね」

「えぇ。母はそう言っています。会ったことはないそうですが、そう伝えられているのだとか」


 すると火織の耳と尻尾が、何かを察知したようにピンッと立った。

 街の向こう側が騒がしい。悲鳴が聞こえる。逃げまどう足音と、禍々しい妖の気配が近いことを気配で察する。

 そんな喧騒の中、通りの向こうから黄色の一匹の狐がひょんと飛び出て、こっちに走ってきた。


「火織っ!!」


 ひゅうっ、と桜の花びらと風をまとって人の形に変化する。それは息を切らした琥珀だった。


「琥珀?」

「琥珀さんっ?」


 琥珀は駆け寄ってくると、火織と葵の袖をぎゅっと握った。どれだけ走ってきたのか、咳き込む彼女の背中をそっと撫でた。


「大丈夫ですか?」

「琥珀、何があった?」

「よかった、葵さんも一緒だった……火織今すぐ逃げて」

「琥珀、一体何が……?」


 衣服も顔も砂で汚れていたけれど、そんなことは気にもくれず、琥珀は早口で告げた。


「鬼が二人を探して暴れ回ってる。妖力の高いあなたたちを掴まえる気よ!」

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