Day.11『蝶番』
ふかふかの布団の上で、目が覚めた。ぼんやりとした視界に広がるのは、綺麗な和柄の天井。知らない場所の、知らない匂い。
――あ、そうか。狐の里にいるんだっけ。
目を擦って、布団の中でぐーっと伸びをする。
敷き布団だけれどマットレスでも入っているのかと思うくらいにふかふかで、寝心地がいい。それに桜の花柄が刺繍された分厚い掛け布団も、夏なのにまったく暑くない。
ずっとごろごろしていたい。
「葵さん、おはようございます。起きてらっしゃいますか?」
引き戸の外から声がする。この声は火織だ。
慌てて布団から飛び起きて、キャリーケースから着替えを取り出す。
「今起きたところです。すみませんっ、身支度だけ整えますね!」
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
夏用若草色のワンピースを被って、高級そうな木の櫛で髪を梳く。大丈夫だろうかと鏡台で確認すると、スカートの裾が変に折れていて、それを手で払ってから引き戸を開けた。
「お待たせしました、おはようございます」
少し離れたところで、火織は綺麗な所作で立っていた。
「いいえ、よく眠れましたか?」
「はい。むしろ寝すぎてしまったかもですけど」
「あぁ、それならよかったです」
空色の着物に紺色の袴の後ろで、ピンと狐のしっぽが立った。
「あの、母から申し付けられたのですが、町を案内させていただいてもよろしいでしょうか」
「わ、いいんですか? ありがとうございます、嬉しいです」
それならそーちゃんも一緒に……と思って、はたと気づいた。
「あの、そういえばそーちゃんとあーちゃんは……?」
「あ、先程、小豆洗い様が蒼寿郎さんを引っ張って、部屋を出ていきましたよ?」
「そうなんですか?」
「えぇ。かなり無理やり、みたいな感じでしたね……」
「あー……」
思い出した火織はちょっと気まずいものを見たようで、苦笑いしている。あーちゃんが蒼寿郎を引っ張っていく様が簡単に想像できた。葵の中では日常になってもはや違和感すらないのだけれど、初めて見る人は驚いただろうな。
「あはは、あーちゃん……力強いし、いつも強引だからなぁ。じゃあ、私ひとりでお願いします」
「承知しました。では、準備ができましたら玄関に来ていただいてもよろしいでしょうか」
「はいっ、わかりました」
嬉しくて返事をすると、火織の白い狐の耳がピンと立った。袴の後ろではふわふわしたしっぽがピンと立ったままだ。相手に対して友好的な気持ちを表していて、機嫌のいい状態だ。
(いや、それは猫か……あれ、狐のしっぽって、猫と同じなのかな)
◇
身支度をすませてから二人で向かったのは、町の呉服屋だった。古い建物だけれど、中から賑やかな笑い声が溢れていて、温かい空気がこちらまで漂っている。
「あの……ここは?」
「呉服屋です。俺の友人がいるんですよ……あ、」
ガラス戸の向こうに中に見知った顔を見つけたようで、火織がそっちに向かって手を振った。
「こんにちは、琥珀」
「火織~! こんにちは! いい天気だね。あれ、そっちの方は?」
ガラス戸を開けて顔を出したのは、黄色の狐耳の女の子だった。綺麗な橙色の花柄の着物を着て、朗らかな笑みを浮かべて外に出てきた。
「こちらは葵さん。今、うちに来ている小豆洗い様のお連れ様だよ」
「まぁ、そうだったの」
驚いたようにピンと耳を立て、ゆるゆると尻尾を振る彼女は、葵に向かってふんわりと笑いかけてくれる。
「こんにちは、葵さんっ、私はこの町で呉服屋を営んでいます、琥珀です。よろしくお願いしますね」
「葵です、よろしくお願いします、琥珀さん」
「ふふっ、可愛らしい方ですね。ねっ、火織」
琥珀がからかうような笑みを浮かべて火織の方を向くと、彼は少し恥ずかしそうに視線を逸らした。
「これから町を案内するんだけれど、よければ琥珀もどうかな」
「えー! 私もご一緒していいの?」
火織の提案に葵は驚いた。琥珀の方も驚いたようにピンッと耳が立つ。
「うん。ここは人間自体が少ないから。せめて同性の人がいるだけで、少しは彼女も安心できると思って」
この町は、窓から見る限りだけれど、狐の耳や尻尾が生えた者が多い。ダム建築の際に移ってきた人間も、今となっては妖狐の血も混じって耳や尻尾が生えており、完全な人間ではない。そんな中、完全な人間であり、尚且つ強い妖力を供えている葵は、ある意味異質だった。
火織のさりげない気遣いに、胸の内に明かりが灯ったようにあたたかくなっていく感覚を覚えた。
「ふふっ、もちろんっ!」
琥珀は快く承諾すると、尻尾を振ってぎゅっと葵の手を握った。
「ねぇ、あなたにぴったりな着物があるのだけれど、着てみてくれるかしら?」
「え、そんな、いいんですか?」
「もちろんですよ! うーんと可愛くしてあげます! さ、こちらです!」
そうして琥珀に手を引かれて、葵は呉服屋に入った。
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