Day.7『あたらよ』
ガラガラと音を立ててやってきたのは、牛車だった。けれど牛が引いているのではなく、前面の、本来なら
「やっほ〜、おぼろちゃん」
あーちゃんが手を振ると、大きな二つの目玉がキョロリとこちらを向いた。
「お久しゅうございます、小豆洗い様。貴女様が
「うん、野暮用でな、ちと急ぎなのよ」
「特急でしたらその分の代金をいただきましょうか」
「やだおぼろちゃんったら〜冗談きつーい!」
「まぁそれはさておき、今回はどちらまで?」
丁寧な口調だけれど、あーちゃんに対しては軽口を叩きながら、牛車の妖怪は楽しそうにくすくすと笑っている。
葵もこの妖怪とは面識があった。そのはずなのだけれど、どうしても当時のことが思い出せない。それもそのはず、当時はまだ生まれて半年も経っていない頃で、あーちゃんが知り合いの妖怪たちに葵をお披露目するためだった。覚えていないのも当然だ。
「おい小豆洗い、コイツはなんだ」
葵を庇うように蒼寿郎が前に出る。
「蒼寿郎は初めてじゃったか。狸爺から聞いておらんか。これは
「聞いたことねぇよ」
朧車はこちらに視線だけを向ける。
「初めまして、御二方。葵様に致しましては、お久しゅうございます」
「あ、えっと、お久しぶりです。でもすみません、私その時のこと全然覚えてなくて……」
「ほれ、葵は一度赤ん坊のときに乗っておるじゃろう? 覚えとらんか?」
「いや、だから覚えてないって」
朧車さんには悪いけれど、あんまり詳しくは覚えてない。なんとなく牛車に揺られているのは、かろうじて思い出せるのだけれど。
「あの頃はまだ赤ん坊でございましたから、覚えていなくても仕方ございませんよ。ですが、お母様に似てお美しゅうなられましたね」
「いや、そんな……」
隣でふふん、と蒼寿郎が得意に鼻を鳴らすのが聞こえた。
(あーちゃんはともかく、なんでそーちゃんが得意げなんだろう……)
「さて、立ち話をさせてしまっては、私の立場がございません。どうぞお乗りくださいませ」
朧車がそう言うと、ひとりでに後ろの方で
◇
朧車に乗り込んで、名古屋から福井の九頭竜駅付近まで送ってもらうこと、約一時間半。
牛車は葵の身長より少し大きいくらいにで、少し狭いかと思われたが、三人乗って荷物を持ち込んでも余裕の広さがあった。床は畳で大きめの座布団も用意されていて、ちょっと狭い和室みたいで、案外居心地がよかった。
そしてものすごく静かだった。葵たちの元に来た時はガラガラと車輪の音が聞こえていたけれど、揺れも音もまったく無かったのだ。言えないけれど、ちょっとうとうとしてしまったくらいだった。
蒼寿郎の手を借りて朧車を降りると、緑を含んだ涼しい風が吹いた。葵たちが降り立った場所は、九頭龍ダムに近い森の中だった。
「サンキューのぅ、おぼろちゃん」
「お代は大野の名水のお酒がいいですね」
「よしっ、今度そのお酒で宴会するかのっ!」
朧車は平安時代の妖怪だから、断然小豆洗いのほうが若い妖怪なのだが、まったく年の差を感じない。妖怪はお酒を酌み交わしたら全員タメなんだとか。
「妖怪ってお酒好きだよね」
「オレんとこのジジイも同じこと言ってたな」
「そーちゃん、お酒いつから飲めた?」
「さぁ。気づいたら飲めてた」
「飲めた方がいいのかな」
「アンタはやめとけ」
「はーい」
蒼寿郎が言うには、妖怪がお酒を飲み出すと加減がなくなるらしい。酒さえあればなんでもない日だとしても、たちまち夜が明けるのも惜しいくらいの宴会になる。あーちゃんもお酒を飲む時は楽しそうだし、お酒が入るともっと陽気になる傾向がある。
成人したら自分もちょっと参加してみたいと思ったことはあるものの、ジュースで酔えるわけじゃないから、きっと場違いになっちゃうのかも。
それでも……
「でも、そーちゃんとお酒飲んでみたいかな」
「介抱役ってか」
「ち、違うよ!」
さすがにそんなことは、慌てて手を振ったが、蒼寿郎は「別に構わねぇよ。いつかな」と静かに笑っただけだった。
「小豆洗い様、ご帰宅はいつごろに?」
「そうじゃのう……どのくらいこっちにいるかわからぬから、また呼ぶわ」
「承知致しました。ではまた、ご縁がありましたら」
朧車はこちらに向かって目配せをすると、ガラガラと歩き出したと思ったら、すっと透明になって消えていった。
「もっと早く着くかと思った」
「や、公共交通機関使ったらもっと時間かかるからね。これでも猛スピードよ〜」
公共交通機関を使うと、名古屋駅を出発して、と
「さて、と。では行くか。蒼寿郎ちゃんっ、荷物お願いね〜」
「わかってる」
荷物を抱え直した蒼寿郎に、葵もキャリーケースを手にする。さすがにここまで持ってもらうわけにはいかない。
かさっと頭上で木の葉が揺れ、それだけでちょっとドキドキしてきた。もうすぐ狐の里に着く。それぞれの思惑を胸に、三人はダムへ向かって歩き出した。
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