Day.5『三日月』

 大野へは、葵も一緒に行くことになった。

 小豆だけ持っていっても、調理しなければ食べにくいし、長期で摂取するには飽きてしまう。それに妖怪だから問題ないと思うが、最近では小豆が苦手という人もいる。

 長い時代を生きてきたあーちゃんだけど、その料理スキルはそこそこだ。基本口に入ればそれでいいという主義。そんなあーちゃんが心配で、葵もついて行くことになったのだった。いわゆるシェフ要員だ。


 泊まっていくよう勧めたけれど、火織はすぐに帰ってしまった。

 宵の明星と三日月が見える時間帯。玄関先まで見送ると、火織は丁寧に一礼すると、駅の方へ歩いていく。そして瞬きをした瞬間、彼の姿は消えてしまっていた。


「ほほぅ、姿をくらましたか。ま、早く帰ってやりたいんじゃろうな」


 ほっほっほ、と微笑ましそうにあーちゃんは笑い声をあげた。

 慌ただしい来客に、ほっと一息ついていると、ところで葵、とあーちゃんが見上げてくる。


「お主、大野へ行くことは、蒼寿郎にきちんと伝えとくんじゃぞ」

「へ?」


 思わず変な声が出てしまって、あーちゃんは軽く眉をひそめた。けれど、当の本人である葵には検討がつかない。なんでここで蒼寿郎の名前が出てくるんだろう。

 葵の表情を見て、はぁ〜あ、とあーちゃんはわざとらしくため息をつく。


「あのなぁ葵よ。蒼寿郎は何に育てられたか、忘れたのか?」

「あ、」

「狸の番とあろう者が狐の里に行くなんて、あやつが許すわけなかろうて」

「だよね……」

 

「ねぇ、狐と狸って、そんなに昔から仲悪いの?」

「我も詳しくは知らん。けど……蒼寿郎んとこの狸爺は、狐とドンパチやって山一つ消し飛ばしたらしいわ」

「えっ?!」

「昔の話じゃとよ〜」


 ひらひらと手を振りながら、鼻歌混じりに食堂へ向かうあーちゃんの、なんとあっさりしたことか。番がどうの、という話よりも重大なことなんじゃないのか。


 ◇

 

 翌日。この日は終業式で、午前中で下校できる。

 とりあえず帰ったら、明日から大野行きの準備をしておかなければ。あとは、小豆で何かこしらえといた方がいいと、あーちゃんが言っていたからそれも考えないと。


(ん〜……それなら、みんなが試食できるものがいいよね)


「葵ちゃん」

「ん?」

「あれ」


 同じクラスの大樹が気まずそうな顔をして窓の外を指さしている。そっちの方を見て、え、と思わず気の抜けた声が出た。

 この学園の制服は、男女共にセーラーを着用することが決まっている。けれど、その人物はセーラーではなく、夏用の学ラン制服だ。


「またそーちゃん入り込んでる……」

「あはは、彼もよくやるなぁ」


 大樹は慣れたもんだと朗らかに笑っているが、葵は額に手をやった。放課後は外で待っててほしいと伝えたのに、たまに蒼寿郎は校内まで入ってきて葵を探すこともあった。

 蒼寿郎は持ち前の目の良さで葵を見つけると、足早に階段を昇ってきて、あっという間に目の前にやってきた。


「よっ、ダイキ」

「一応ここ他校なんだけどな」


 軽く窘めるように言うと、大樹は「騒動を起こさないように」と手を振って先に行ってしまった。


「もう、そーちゃん、外で待っててって言ったのに」

「すまん。なんか変な匂いがしてたから……ん?」


 なにかに気づいたのか、蒼寿郎の顔が急に険しくなった。

 顔が近づき、首筋に鼻を寄せる。首筋や耳の後ろをすんすんと嗅いでいた。が、何を思ったのかそのままべろっと首筋を舐められ、変な悲鳴が出てしまった。


「びゃッ?!」


 これには葵だけでなく、近くにいた他の生徒もぎょっとしてこちらに視線が集まる。


「ちょっ、こっち来て!」


 他校の制服を着た生徒が入ってきただけでも目立つのに、人前でこんなことされたら、次からどんな顔で学校にこればいいのか分からない。

 空いている教室に連れ込むと、引き戸を閉めて呼吸を整える。


「もう、いきなり来てどうしたの……なにか、」


 葵が言い終わる前に、蒼寿郎の顔がまた近づく。

 腰に手を回し、体を隙間なくぴったりと抱き寄せると、容赦なく首筋に顔を埋めてくる。自分の匂いを付ける猫のように、すりっと熱い肌を擦り付けてくる。


「ひゃっ、そーちゃん?! どうしたの?」


 蒼寿郎が引っ付いてきて匂いを付けることはよくあった。メゾンワンダーに来ては、みんなの前で威嚇か牽制するみたいに抱きしめてきたり、軽く肌を擦り付けたりするのは、既に日常になっている。けれど、ここまで激しいのは初めてだった。


「ちょ、くすぐったいって……」


 体をよじって逃れようとすると、さらにぎゅっと抱きしめられる。そして、今まで聞いたことないような、低く重たい声が耳元で囁かれた。

 

「アオイ、アンタ狐に体を触らせたか?」


「狐?」


 なんのこと、と言いたかったが、心当たりに心臓が跳ねる。


「……あ」

「やっぱりか」


 蒼寿郎の声が荒くなる。


「いけすかねぇ匂いがすると思ったら……しかもこれ……雄だろ。オレの番に手を出すとは、いい度胸だ」

「ちょ、ちょっと待った! これには深い事情があって……」

「事情もへったくれもあるか」

「あるんだよそれが! いいからちょっと一旦離して!」


 

「は? 狐の里に行くだァ?!」

「そう。あーちゃんの付き添いでね」


 なんとか体を離してもらって昨日起きたことを話すと、案の定、蒼寿郎の額に青筋が浮かんだ。一瞬、威嚇する猫みたいに髪の先が逆だったように見え、金色の両目が野性的に鋭く光り、睨みつけるように目を細めた。


「必要なのはあの小豆洗いだけだろ、なんでアオイまで行く必要があんだ」

「あーちゃんは小豆は研げるけど、料理がほら、壊滅的だから」

「いつまでいるんだ」

「わからないかな……とりあえず、火織さんの妹さんの容態次第ってとこ」


 あーちゃんも、どのくらいの期間行く、と明確にしていなかった。それに妖力低下の原因も突き止めるのを手伝うと言っていたから、二日や三日ではないだろう。


「わかった」


 わかってくれた、とほっと息をつく。

 とすぐに、


「オレも行く」

「え?!」

「大事な番を一人で野蛮な狐の里に行かせるわけにはいかねぇ。アイツら、いつもヘラヘラと変な薄ら笑い浮かべて、何考えてんだかわかんねぇからな」


 いったい、狐と狸にどんな因縁があるのだろう。蒼寿郎のそれはまるで親の仇みたいに聞こえる。本当に昔、狐と狸の争いでもあったかのようにも思えた。


「それに、アオイを盗られかねん」

「盗られるって、そんなモノじゃないんだから」


 でも、着いてくることで蒼寿郎の気が済むのなら、と思っていたら、乱暴に抱き寄せられる。顔を上げようとしたけれど、頭を押さえつけられたまま声だけが聞こえた。


「アンタはオレが守る」


 何度も口にされた蒼寿郎のそれは、紛れもない『愛』で。

 何度も聞かされた葵がその言葉に弱いのも事実で。


 結局、あーちゃんに相談したところ「ちょうど荷物持ちが欲しかったんじゃ!」ということで、蒼寿郎も着いてくることになったのだった。

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