Day.4『口ずさむ』
シェアハウス・メゾンワンダーは、この辺りの住宅街の中でも広くて大きい。戦前に建てられ、世界大戦の戦火を逃れた、古い堅牢な洋館風の木造建築だ。三階建てで、屋根裏と地下室までついていて、十二人住んでいてもまだ余裕がある。天井も壁も床も厚く、遮音効果は他の住宅とは比較にならない。
そんな豪勢な洋館を譲り受けたのが、葵のクラスメイトの大樹である。詳しくは教えてもらってないが、なんでも父親の知り合いの形見分け、だそうだ。兄妹四人で完全に持て余してしまうということで、シェアハウスにすることを思いついたのだとか。
妖狐の青年を案内した応接室は、天井の高い玄関ホールのすぐ隣にある。
家と同様に古い重厚なソファーに腰を下ろして、青年はあーちゃんと向かい合った。
「改めまして、小豆洗い様、でよろしいでしょうか」
「いかにも。我は小豆洗いの
どっしりと構えるあーちゃんに少し気圧されながらも、青年は口を開く。
「母を……『ホノカ』という白狐を、覚えてらっしゃいますか?」
ほのか、白狐……と口にしたあーちゃんは、うーむ、と首を捻って、大きく仰け反ってソファーの背もたれに体重をかけた。
「あーちゃん、お行儀悪いよ」
「うーん、あともうちょいで思い出せそうなんじゃけど……美味しいお菓子でも食べたら思い出すかも?」
「これからご飯なんだからお菓子はダメです」
「葵のケチ〜」
ぶすくれていたあーちゃんだったが、ん? となにか思い出したように眉を跳ね上げた。急にソファーから立ち上がり、テーブルに手をついて身を乗り出す。
「おい! もしかして『
バンッ、と置いた手が大きな音を立てて、葵も青年も肩が跳ねる。
「はい、一時期そう呼ばれていたと……」
火織が全て言い終える前に、興奮したように頬に両手を添えたあーちゃんが「きゃ〜!」と叫び出す。
「な〜んだ《ほのちゃん》か! 懐かしい名前を聞いたわ〜」
「あーちゃんの知り合い?」
「あぁ、百年くらい前に半田にいた時の親友じゃった」
と、あーちゃんはふとなにかに気づく。
「え、じゃあもしかしてお主、ほのちゃんの息子か?!」
「は、はい」
「えーっ! そうかそうか〜! ほのちゃんの子どもなのか〜!」
キャーキャーはしゃぐあーちゃんを放って、葵が代わりに謝った。
「騒がしくてごめんなさいっ、えぇっと……」
「あ、俺、
「火織さん。すみません、あーちゃんが……」
「きゃ〜! 親友の息子に会っちゃった〜! ってことは我、おばさん?! お年玉やらなきゃのぅ! あ、今はお盆玉じゃったか? のぅ葵?」
まるでアイドルのライブにでも来たようなあーちゃんのはしゃぎっぷりに、火織は戸惑いを隠せないでいる。思わず「あーちゃんっ!!」と大声を出していた。
「真剣なお話かもしれないでしょう、そんなふざけたことしてちゃダメだよ」
大声が出るのも構わずに窘める。
怒られたにも関わらずあーちゃんは「ちぇ、怒られちった」と一瞬ふくれっ面をした。それからちらっと火織の方を見やって、軽く咳払いするとソファーに座り直し、改めて火織と向き合った。
落ち着いたと見ると、火織はゆっくりと名乗った。
「改めまして、大野狐の里当主・火乃香の長男、
「いや、こちらこそ取り乱してすまぬのぅ。ほのちゃん……いや、火乃香とは長い付き合いじゃったから、ついはしゃいでしもうた。して、お主は我にどのような用事じゃ?」
改めてあーちゃんが尋ねると、火織はどう切り出したらいいものかと言葉を選ぶように黙り込む。しばしの沈黙の後、ひとつ頷いてから、ゆっくりと口を開いた。
「妹を助けてください」
「……妹さん?」
「はい……」
火織の切実な声に、葵の方が聞いていた。あーちゃんは、先程のふざけた様子とは打って変わって、何も言わずに続きを促す。
「俺の妹は、生まれつき妖力が弱いのです。ですが、ここ最近さらに妖力が落ちてきて、寝込むようになってしまって……」
火織の妹は、彼と五十歳も離れているらしい。妖力が弱いといっても、生きることに支障はなかったという。他の妖狐よりもほんの少しだけ寿命が早い、という程度のもので、人間の血が混ざった妖狐とほぼ同じだったそうだ。
けれど、今年の春先頃から、少しずつ疲れやすくなって起き上がれなくなり、さらには食欲も減って、体を起こすこともしんどいと、火織は言う。
不思議だ。そんな短期間に妖力が減ることなんて、あるのだろうか。あーちゃんも同じことを思っていたようだ。「今年の春か?」と念を押すように聞き返している。
妹さんの看病に付きっきりになってしまった火乃香さんが『アズミの豆ならもしかしたら……』と呟いてたのを聞いて、火織は小豆洗いのことを調べていたのだという。
「なるほど、それで我を探していたということか」
話を聞き終えると、あーちゃんはゆっくりと腕を組んで瞼を伏せた。
「すみません。我々だけでは、対処できなくて」
「確かに小豆洗いの豆には妖力が宿る。それを食べることによって妖力を溜め込むことができるからな。確かに応急処置としては得策じゃろう」
最たる例が、葵とその家族だ。
葵は生まれた時からあーちゃんが家に居座っており、あーちゃんの小豆を使った赤飯をお食い初めにしている。毎朝小倉トーストにして食べていたおかげで、この体には並大抵の妖怪よりも遥かに強い妖力が備わっている。
「しかし要因が分からねば、対処できぬな」
若い妖怪は周囲の影響を受けやすく、妖力が増減することはある。けれども、数ヶ月で急激に妖力が減るのなんてありえない。それも妖力が落ち続けているということは、今もなにかが影響しているのか。あるいは体の内側から蝕まれているか。
「それにしても火織さん、あーちゃんがここにいるってよく分かりましたね」
「初めは一宮へ向かったのですが、今日は名古屋へ出ていると伺いまして。一刻も早く小豆洗い様にお目通りしたかったので、一か八か賭けに出たのです」
火織の話を聞くと、ふふん、とあーちゃんは面白そうに笑って立ち上がった。
「なるほど賭けか。それなら、賭けに勝ったそなたは報われねばならぬのぅ。分かった、一度、その大野の里に行ってみるとするか。要因も少し調べてみよう」
「本当ですか?!」
はっと息を呑み、震える声で火織が顔を上げる。
「あぁ。他ならぬ、ほのちゃんの息子の頼みじゃからの。任せておけ」
「ありがとうございます……小豆洗い様」
ほっと目元が緩み、安堵の笑みが火織の顔に広がっていく。涙混じりの声で何度も礼を言って頭を下げた。
妹さんのこと、本当に大事なんだな。妹思いの良いお兄さんなんだな、と微笑ましく見ていると。
「あ〜、ほのちゃんに会えるの楽しみじゃ〜! お土産なんにしようかのぅ〜」
口ずさむように、またあーちゃんがはしゃぎ出す。問題解決しに行くというより、友人に会いに行くことが目的なんじゃないか。
(……あーちゃん、威厳が台無し……)
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