紫陽花の朝
その朝、いつもより三十分早く目が覚めた。
目覚ましより先に目が開くなんて珍しい。
まだ誰も起きていないような静かな朝で、ふと思い立って、少し遠回りをして駅まで歩くことにした。
住宅街の中を抜ける、細い道。
雨上がりの空気が、ほんの少し肌を冷やす。
昨日の夜に降った雨の名残が、葉や花びらに残っていた。
塀の外にせり出した紫陽花が、朝の光を受けて、しっとりと揺れていた。
青。紫。ピンク。白。
朝露に濡れて、それぞれの色が少しずつ透けている。
「…こんなに違ったっけ」
思わず足を止めて見入る。
まるく咲いたもの、平らに広がるもの。
花びらの先がとがっているもの、ふわふわと丸みのあるもの。
少し背が高くて見上げるような株もあれば、地面すれすれに咲いているのもある。
どれも紫陽花。
でも、こんなにも違う。
ふと、小学校の図工の時間を思い出した。
クレヨンで「空」を塗ったとき、青一色にした自分に、先生が言った。
「空にも、青にも、たくさんの色があるよ」って。
そのときは、よくわからなかった。
でも今なら、わかる気がする。
見えているようで、見えていなかった色たち。
感じているようで、受け取れていなかった違い。
ほんの少しだけ早起きしただけで、こうして世界の細部に目が向く。
いつもの道も、時間が変わるだけで、まったく違う風景になるんだなと思った。
また少し歩くと、小さな白い紫陽花が目に留まった。
かがんでよく見ると、中心だけほんのり青みがかっていた。
控えめで、でもきちんとそこにいるという花。
「これ、きれいだな」
誰に言うでもなく、ぽつりとつぶやいた。
ふと、心がすっと軽くなる。
駅が近づく頃、空はすっかり明るくなっていた。
通勤時間が始まり、少しずつ人の足音が増えてくる。
でも、自分の中にはまだ、静かな朝の時間が残っていた。
なんでもない朝。
でも、ちょっと違う朝。
目を凝らせば、同じように見えていた景色が違って見えて、自分の中の静けさが、ほんの少しだけ深くなった気がした。
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