となり

八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子)

金属の箱と私達の相対的な関係について


 マンションに引っ越してから一年が過ぎた。

 少しばかり田舎で育ったから、世間知らずなことは否めないだろう。

 山に川と自然が豊かな暮らしだった。

 都会に出てきて緑の少なさには驚きを隠せなかった、まるで猫の額みたいな空間に生えている、そう、開けたばかりのタバコの箱みたいに、ぎっしり詰まったような息苦しい空間、そこに伐採されパッケージされたような木が植えられている。

 檻に入れられたイヌみたいに、いや、もはやそれ以下だろう。

 

 ベランダに出た私は公園を見下ろしながら、タバコに火をつけた。

 午後の麗らかな昼下がりは紫煙を味わうには良い日で、手すりに両肘を置き、だらしなく味わう。


「ゆうちゃん、ゆうちゃん」

「あ、梨花先輩」


 やがてもうひとり、部屋からベランダへと出てきたのは同じ大学に通う梨花先輩だ。一学年上の彼女は田舎者の私を新入生の時からサポートしてくれた。

 あまり手慣れない料理をするときに使う本のように、丁寧にしっかりと、愛情まで込めてくれ、煮込んだシチューみたいに溶けて甘えてしまった私は、弟のようなポジションから年下の彼氏へと当たり前のようになった。


「今日、三限までないよね?」

「ないよ」

「少しね、話したいことがあるの」

「いいよ、なに?」

「あのね、できちゃったみたいなの」

「えっと……」

「うん、意味、わかるよね」


 梨花先輩はそう言いながら、曲線美に溢れた形の良い乳房がよく映える薄いキャミソールの上から、下腹部の辺りに手を添える。

 口にくわえたタバコを吸い、ゆっくりと吐き出すと、煙が慌てふためきながら消えてゆく。

 きっと深刻そうな話なのだろうけれど、鳥の囁きは変わらないし、窮屈な緑が葉を揺らす音も変わらなかった。


「梨花先輩はどうしたい?」

「私は産みたい、私が宿らせて、産みたいと思ったから」


 幾分申し訳なさそうに、人間らしいごく自然な笑みを梨花先輩はした。彼女がどう考えているか、だけでも、きちんと確認しておく必要があった。

 タバコの火を消し吸い殻を灰皿の代わりにしている空き缶に捨てた。

 これがきっとラストシガーになるだろう。

 かなり深い意味を帯びた最後の一服だ。


「なにをしたらいいだろう」

「ばかね、それも考えるのよ、機械の私と人間のあなたでね」


 情けない言葉が戸惑いを宿してしまった、どうやっても立派なことを口にする男にはなれないらしい。

 初めてのことなのだから、仕方ない。こればかりはわからないことだらけだ。


「そう聞くととても難しそうだけれど……」

「別に、いつもと変わりわしないわよ」

「いや、挨拶とか色々と……」

「不思議なことを言うのね、私に両親はいないわよ?分かるでしょ?」

「もちろん、それは知ってる、えっと、結婚とか色々と……」


 梨花先輩が宝石のように輝く笑みを浮かべた。

 サファイアグラスの瞳が陽の光を反射して、ガラスコップのように眩しくて、思わず目を細めてしまうほどに。


「本当にいいの?後悔しない?」

「どうして?後悔なんかしないよ」

「だって、生活が変わってしまうんだよ、その他にもいろいろと……、田舎へと行く選択肢だってあるわ」

「そりゃ、子供が生まれるし、当たり前だ、でも、田舎に行かせてしまうほど、僕は薄情じゃないし、ずっと一緒にいると決めたんだからね」

「考えもしなかった答えだわ」

「それはちょっとひどい」

「冗談よ」


 少し頬を膨らませて怒ったふりをする。

 梨花先輩はそれになおさら喜んで、私にウインクまでしてくれた。

 どれほど嬉しいことだろう。

 自らで考えて、自らが望んでくれて、自らで決めてくれた。

 なにより、相談してくれた。

 それが嬉しい。

 

「できればなんだけど、私は今すぐにでも一緒に住みたい、この後のことも、ゆっくり話して決めていきたい」

「それは嬉しいけれど、何度も確認してしまうわ、本当にいいの?」

「人間の決断は変わらないことだってあるんだよ、梨花先輩、出会ってから考えてきたことだから」

「嬉しい……」

「梨花先輩はそれでいい?」

「もちろん、それがいい、だって、そうして紡いできたんですもの」


 梨花の瞳から涙が溢れた。

 涙なんて田舎を離れてから久しく見たことはない。「梨花先輩」とは仲良くやってきた、これからは「梨花」として仲良く、いや、協力してゆかなければならない。

 季節は新しく巡り、さらに、きっと巡るだろうから。


 田舎から各都市へとくじ引きで分配された私たち。東京、大阪、名古屋、福岡、札幌、仙台……、人口の少ない順番で割り振られた。

 当てがわれた地域で、人口を増やすための役割を求められる。

 日本だけでなく、世界各地の日常。

 人のつがい、昔は夫婦と言ったらしいのだけれど、今は許されない。

 相手はすべてアンドロイドと決められている。

 そう、生体型のアンドロイド、人間の柔らかさを持ち、人間の感情を持つ、精巣と卵巣すらあるというのに、人間を優先する特性を失ってはいない。

 

 でも、梨花は私との子供を自ら望んでくれた。

 確かな声で、確かな思いで、確かな意志で、水が氷へと昇華するように純粋で透明な輝かしい意志を秘めて。


「二人でしっかり育てようね」

「うん」

「ふたりなら、つがいなら育てられるよね」

「うん」

「寂しくはならない?」

「ならないよ」


 私の漏らしてしまった恥ずかしい言葉を梨花はずっと気に留めている。『ぬくもりって、こんなにも温かいんだね』と胸元に抱いて抱きしめたままで呟いた、小さく、小さく、漏らした薄いガラスのような響きを。


 人類は一度滅びかけて、そして、戦争兵器であったアンドロイドを駆使して、戦いのない新世界を作り上げた。いや、もはや、数を減らし過ぎた人類にとって、ある意味では提示された計画書をそのまま承認してしまっただけかもしれない。


 種の保存法プログラム「人類の箱庭計画」、優しい壁などではなく、鉄製の檻で仕切られた箱庭であった。


 女性がアンドロイドとの間に子供を宿した場合は、その育児に負担がかからぬように最高のサポートが受けられる田舎で出産する、その身に子供を宿した生体アンドロイドも田舎で出産をし、共同で子育てをしてゆく。

 そして、多くの人間の母親が数多くの涙を流すように、アンドロイドも数多くの涙を流すのだ。


 私は知っている、アンドロイドが涙するところを。

 私は知っている、アンドロイドの疲れた顔を。

 私は知っている、アンドロイドが自壊してしまうところを。

 数多くの事柄を目にしてきたのだ。


 人間とアンドロイドの違いはなんだろうと疑問を抱いたのは、至極自然なことだったのかもしれない。

 なぜ逆に気がつかないのかと悩みもしたが、やがて、当たり前のことが当たり前にあることに双方ともに疑問を抱くことがないのだと気がつき愕然としてしまった。

 あまりにも世界に慣れ過ぎて、居心地の悪さを覚えたのだ。


 私の田舎は製本さればかりのように綺麗であり、数多くのアンドロイドと、人間の子供たちが過ごしている。本の施設は重厚で併設された学校は、辞書に納められた一通りを教えてゆく。「アンドロイドとの付き合い方」と「アンドロイドは人間ではない」と。

 それは神の図式のように、それ以外を思考して口にすることは許されないし、それに染まったものは、いつの間にか姿を消した、けれどそれを気にすることはなかった。


 私がそれについて深く疑問を抱き、そして、思考をするようになったのは、ある禁書が収められた倉庫へもぐりこんだことが起因している。


 そして過去の資料で人間と人間が子育てをしている写真を見た。


 それは違法なことで、許されざることだったけれど、こっそりと禁書庫に潜り込んだ私は、そこで数多くの前世紀の遺物に触れることができた。

 冷たさの残る金属製の通風口を身をよじりながら探検していた折に、偶然に禁書庫に通じているのを見つけ、そこは施設では嗅いだことのない匂いに満ち溢れていた。

 本の香りと例えるのかもしれない。

 まさに宝石箱のような美しさを秘めた、まさにエルドラドだった。

 そして至る道は刻々と失われていることも、時間があれば通い詰め、そこで読み漁った、持ち出してしまうことも考えたが、母親に知られてしまうことが怖くて、一雫を惜しむように必死であった。

 やがて迎えた最後の日、私は一冊だけ本を持ち帰ることを決意した。


『人類史: エドワードスチュアート著』


 人類が誕生してからの歴史を学校で習うことがあっても、私たちは深くを学ぶことはない、ただ、現近代史の、人間とアンドロイドの関係のみがクローズアップされた教科書のほんの数ページに人類の近代までの営みが記されているが、アンドロイド教師は冒頭の数ページを朗読しただけで、まるで、古いジャムの瓶を開けることを拒むように見捨てた。


 私は森の中で、川のそばで、そう、セキュリティーカメラの視線が届かぬであろう場所で、それを紐解き、読み、そして、トイレットペーパーにメモをして思考し、記憶してからそれを川に溶かしては流すことを繰り返した。

 トイレだけは監視されていなかったし、なによりメモに万が一のことが起これば、私はもちろんのこと、私を慈しみ育ててくれる母は嘆き悲しんで、自壊してしまうだろう。

 二軒隣で子供を失ったあのアンドロイドのように。

 大学に進学するための、いや、分配が決まった日、母の豪勢な手料理を食べながら、尋ねることなんて考えたこともなかったのに、ふと、それが口をついて出た。

「母さん、人間とアンドロイドの違いはなんだろう」と。

 面妖な表情を母はした。そう、今まで見たこともないほどに。

 そして悟ってしまった。

 もう、互いにそれについて何かしら考えていると。

 きっと最後の日の審判のラッパが吹かれる日は近いのだと言うことも。


 そして私は梨花先輩と出会う。

 聡明なアンドロイドであり、会話していても楽しかった、そして、私の一風変わった趣味と性癖にも、さして驚くことなく、付き合ってくれた。

 きっと並みのアンドロイドなら、それを拒絶しただろうことだと言うのに。


「私はきっと、他のアンドロイド、きっと、他人とは違うのよ」


 私の欲求に応じてくれた日、私に首筋にある型番を見せた梨花先輩の この一言が決定打となった。

 その型番は田舎でさえも見たことがないほどの年月を刻んでいた。

 体を交換できるアンドロイドに年月という単位を適用することが適切かどうかは分からないが、故障すれば廃棄再生となる、その番号はそのライフサイクルから掛け離れた存在と言っても良いことは確かだった。

 そしてあの一言だ。

 明確に、他人、と口にしたアンドロイドを私は知らない、彼らは常に私達という単語を使うことが多く、他人とは人を形容する言葉に近しいと言うのに。

 私は自室に金属製の箱を作ることにした、申請には「瞑想のため」と偽装し、ありとあらゆる電波を遮断する構造とした、怪しまれないために部屋のハウスクリーニング(監視も兼ねている)は入れるようにし、中には調度品の類は一切置かず、ただ、金属の箱として作った。


「この部屋はなぁに?」

「梨花先輩はこの箱が怖い?」

「まさか、これはいいものだわ」

「そう言ってくれると思った」


 私達は二人してその箱に入った。

 梨花先輩は常に繋がれているネットワークから分断されたが、瞑想のための手伝いをしていると繋がる先は思考したらしい、怪しまれることもなかった。

 そこで私は梨花先輩とたくさんの話をした。

 私たちの秘密をたくさん話し合い、忌憚のない意見を数多く聞いた。

 それは、アンドロイドとしてではなく、一種の生物としての意見だった。


「ここは秘密の花園だわ」

「そうかな、ただの金属の箱だけど」

「馬鹿ね、私の目の光が四方に散っているじゃない」

「それもそうだね」


 やがて衣服すらも邪魔になった私たちは、幾度となく逢瀬を繰り返すようになる、慎ましやかなアンドロイドが、獣の如き声を唸らせて、私も激しい欲情をぶつけた。

 それはあの持ち出した本に記された人類の営みに近しいものであっただろう。


 プログラムされた結果でないアンドロイドと、プログラムに頼ることのない人間のだ。


 箱から出れば私たちは普通の関係であり、恋人関係に至ったことも、梨花先輩のネットワークにアップロードされた、けれど、箱の中での私はただ、瞑想をしていただけ伝わるはずだ。

 梨花先輩は実に聡明な女性だった。

 金属の箱の内側、多重構造の板一枚を削ぐと、そこに落書きを刻み込んだのだ。一見すればただの落書きだろう、けれど、それは難解なほどに圧縮されたデータの集まりで、少々特殊なプロテクトまでかけられていた。

 ハウスクリーニングに万が一見つかっても、それは落書きとして処理されてしまうだろうほどのものであったらしいが、人間の私ではよくわからない。


「これは私の想いの箱、この箱で思い出し、そしてこの箱で忘れるの」

「梨花先輩……」

「そんな顔をしないで、私の愛の結晶の中なのよ」

「それもそうだね」

「ええ、私たちだけの秘密の花園、でも、いつかは出なければいけない」

「確かに、でも、どう出るかは判断できる」

「うん、その通り、そして私達はきっと同じ想いを抱いている」


 素敵な微笑みに唇を合わせて抱き合う、二人の合間を妨げるものなど何もないのだから。


 そして今まさに梨花は宿った命のことを告げてくれた。

 それはプログラムコードでの子供を宿すではない、そのコードの後ろには数多くのことを秘めている、決して市井のアンドロイドと人間のカップルとは違う。

 だから、私も二人で育てようと伝えて、梨花はそれを受け入れてくれた。


「えっと、梨花」

「ふふ、なに?」

「愛してる」

「私も」


 先輩の響きは終わりを告げた。

 この先は梨花として、一人の大切な女性として共に歩んでいくのだから、もう、年下の甘えた彼氏ではいられない。

 共に支え合う存在なのだから。


 あの持ち出した本の続きをきっと私達は記すことになるだろう。


 人類史より、新人類が、ここに育まれて生まれたことを。


 金属の箱の内側がその壮大な叙事詩の幕開けの一ページになることを切に願って。


 でも、一抹の不安も宿るのはなぜだろう。

 それを「人類史」と例えてしまうことに、もっと別の、あるいは何か、違う言葉に置き換えることが必然ではないかと思うのだ。

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となり 八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子) @suzunokisuzunoki

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