第1章 初めてのMint、そして小さな戸惑い

結衣がLinux Mintを使い始めたのは、遡ること半年前のことだった。それまでの彼女は、ごく一般的なWindowsユーザー。お父さんの影響で幼い頃からPCに触れ、インターネットや簡単な文書作成には慣れ親しんでいたものの、OSの根幹に関わる部分には、さほど興味を抱いてはいなかった。しかし、ある日、いつものようにPCに向かっていた結衣は、起動の遅さ、頻繁にフリーズする画面、そして動作の重さに辟易としていた。


「もう! また固まった!」


何度クリックしても、マウスカーソルは砂時計のまま。課題のレポート作成もままならない状況に、結衣はうんざりしていた。そんな時、偶然立ち寄ったPCショップの店員が言っていた「Windowsより軽くて、結構何でもできるOSがあるよ」と言う言葉を思い出した。興味本位で検索してみると、そこに書かれていたのが、Linuxという言葉だった。


更に検索してみると、Linuxには様々な種類があることを知った。その中でも、特に初心者向けとして紹介されていたのが、Linux Mintだった。スクリーンショットで見たMintのデスクトップは、Windowsに似た親しみやすいデザインでありながら、どこか洗練された印象を与えた。


「これなら、私にも使えるかも?」


結衣は、生まれて初めて、新しいOSの導入に挑戦することを決意した。しかし、ここからが、彼女にとっての小さな試練の始まりだった。


まず直面したのは、インストール方法の壁だった。WindowsのPCにMintをインストールするには、専用のUSBメモリを作成し、そこからPCを起動する必要がある。彼女はインターネットで検索し、一つずつ手順を確認しながら作業を進めた。画面に現れる見慣れない英語のメッセージ、パーティションの分割という聞いたことのない言葉。一つ間違えれば、PCが起動しなくなるかもしれないという不安が、常に結衣の心に影を落とした。


「え、これどうやってインストールするの? 日本語の解説、どこー!?」


ディスプレイに向かって、思わず独り言が漏れる。それでも、彼女は諦めなかった。数時間を費やし、ようやくインストールが完了した時の感動は、今でも鮮明に覚えている。グリーンのロゴが中央に表示され、続いて現れたデスクトップは、これまでのWindowsとは比べ物にならないほど軽快だった。


「すごい…本当にサクサク動く!」


まるで、PCが新しい命を吹き込まれたかのような感覚だった。しかし、喜びも束の間、すぐに次の壁にぶつかった。アプリのインストール方法だ。Windowsであれば、ダウンロードしたインストーラーをクリックするだけで済む。だが、Mintではそうはいかない。


「アプリって、どこから探すの? Windowsのソフトは使えないの?」


最初は、戸惑うことばかりだった。愛用していた写真編集ソフトや、動画再生ソフトが使えないことに、少しがっかりもした。けれど、MintにはMintのやり方があることを、彼女はすぐに理解した。ソフトウェアマネージャーという、アプリストアのようなものが存在することを知り、そこから代替のアプリを探し始めた。


そして、もう一つ、彼女を悩ませたのが、ターミナルと呼ばれる黒い画面だった。


「これ、何に使うんだろう…呪文みたい」


インターネットのフォーラムやブログには、たびたび「ターミナルでこのコマンドを打てば解決します」といった記述が出てくる。最初は恐る恐る、書かれているコマンドをコピー&ペーストしていた結衣だが、エラーが出ると、たちまちお手上げ状態になった。見慣れない英語のエラーメッセージは、まるで宇宙語のように思えた。


「$ sudo apt update && sudo apt upgrade -y」


ある日、システムを更新しようとしてこのコマンドを打ち込んだが、何度やってもエラーが出てしまう。彼女は途方に暮れた。これまで、PCのトラブルは電源を入れ直せば大抵解決してきた。しかし、Mintの世界は、それとは全く違う論理で動いているようだった。


それでも、結衣はめげなかった。分からないことがあると、彼女はいつもネットで検索した。Linux関連のフォーラムやブログを読み漁り、時には海外のサイトも翻訳ソフトを駆使して読み解いた。夜遅くまでディスプレイに向かい、エラーメッセージの意味を調べたり、解決策を探したりする日々が続いた。


その探求の過程で、彼女はLinuxの奥深さに魅了されていった。Windowsでは当たり前のように使っていた機能が、Linuxではどのように動いているのか、なぜそう動くのか。知れば知るほど、その構造のシンプルさや、カスタマイズの自由さに驚かされた。まるで、これまでは決められた道しか歩けなかったのが、突然、広大な野原に放り出され、どこへでも自由に歩いていけるようになったかのような感覚だった。


そして、この小さな戸惑いが、やがて彼女の新しい世界への扉を開き、未来の出会いへと繋がっていくことになるとは、この時の結衣はまだ知る由もなかったのだ。彼女はただ、目の前の課題と、新しいOSの面白さに夢中だった。

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