第4話 まつられし者

秋月春人の身体は、もはや「変化」では済まされなかった。


右腕から肩にかけて、肌がまるで硬質な土器のようにひび割れ、文様が浮かんでいる。

その模様は、あの“盈呪ノ匣”に刻まれていた線と、まったく同じ形だった。


さらに──

夜になると、五感のうちのどれかが“誰かのもの”と入れ替わる。


その夜は、「視覚」が自分のものではなかった。


見えているのは、自室の鏡。

だが、鏡の中からこちらを見ているのは、“白無垢の自分”だった。


その口がゆっくり動く。


「おまえはもう、“まつる側”には戻れないよ」


教授のつてを頼りに、春人は「白神村」の最後の記録保持者とされる人物に会う。


老人の名は、神崎源十郎。

かつて白神村で巫女を務めた一族の末裔だ。


神崎は、春人を見るなりつぶやいた。


「おまえ、影が鳴いてるな」


春人は問う。


「祀るとは……何なんですか。

僕の家は、秋月家は、本当に祀り人だったのか」


神崎は静かにうなずいた。


「“祀る”とはな、呪いを受け入れ、自らを器とすることじゃ。

おまえの家は、代々“盈呪ノ匣”を背負って生きてきた。

ただし……おまえの父親の代で、儀式を放棄した」


春人の中で何かが凍りついた。


「じゃあ僕は……その代償を払わされてるってことですか」


神崎は言う。


「いや、おまえ自身が選ばれたんじゃ。

“匣に見つかった”んだよ。まつるか、まつられるかを」


神崎は、春人に一本の黒縄を渡す。

その縄は、まるで生きているかのように、脈動していた。


「これで“うつし”を縛れ。

縛ったうえで、己の影を焼きつけろ。

成功すれば、“器”の座に戻れるかもしれん」


春人は問う。


「失敗したら?」


神崎は無言のまま、袖をまくって見せた。

そこには、人のものとは思えぬ腕が、くくりつけのように存在していた。


「“途中で失敗した者”の成れの果てよ。

半分“あちら”に喰われたまま、こうして生きている」


春人は、鏡の中の自分と向き合う。


床に“盈呪ノ匣”を据え、黒縄を傍らに置き、部屋の四隅に塩を撒く。


時計の針が午前零時を指した瞬間、部屋の気配が一変する。


どこからともなく、佐久間の声が聞こえた。


「俺……ちゃんと祀れなかったんだよ。

次はおまえの番だ。代わってくれ」


空気が凍る。


ふと、窓の外を影が這う。

それは“うつし”──佐久間の影だった。


春人は黒縄を掴み、影の先端に投げつける。縄は勝手に動き、影を縛り上げる。


部屋に悲鳴のような風が吹いた。

だがそれは“声”だった。佐久間の――いや、“うつし”の――断末魔。


春人は、自分の右手のひび割れ部分に、“盈呪ノ匣”を押し当てる。


血がにじみ、文様が焼き付く。


そして、影がひとつに溶けた。


「──おまえ、祀ったね」


白無垢の巫女が、鏡の中で微笑んだ。


「でもね……祀るってことは、

それだけ、“祀られるもの”を体に残すってことなんだよ」


翌朝、春人は目を覚ます。

鏡の中には、ようやく“自分”が戻っていた。


右手は、以前のように見える。

だが──肌の下で、“何か”がゆっくりと動いている。


テレビのニュースが流れていた。


「今朝、○○大学構内で、皮膚のない遺体の一部が発見され……」


映像には、うつむいた学生の姿が映る。

その影が、ひとつ多かった。


春人はテレビを消し、ぽつりとつぶやく。


「俺は……祀れたのか?

それとも、祀られたままなのか……?」


その夜、夢の中でまたあの巫女が現れる。


だが今度は、春人の顔にそっくりな“男の巫女”がこう言った。


「おまえさ……もう“誰かを祀る側”じゃないよ。

いま、誰かがおまえを祀ろうとしてるの。

おまえ、もうまつられてるよ」

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