第5話 おまえ、もうまつられてるよ
春人の部屋には、いつからか影が三つあった。
ひとつは自身のもの。
ひとつは、祀ったはずの佐久間の“うつし”。
そしてもうひとつは、名のない者の影。
春人はすでに、「見る」「聞く」「感じる」感覚が曖昧になっていた。
時折、耳元で知らぬ声が囁く。
「まつっただけじゃ、足りない。
匣は、完全な“器”を欲しがってる」
その声は、かつて自分だった者のように響く。
教授の残した資料の中に、最古の祀り文があった。
それはまるで逆さ詠みの祝詞だった。
「ひとを祀りて、かたちを守れ
かたち守れぬとき、かげを裂け
盈呪の器は、ひとに還らぬ」
春人は気づく。
「祀る」とは本来、“他人”を供物として差し出すことだった。
では、自分が祀った“佐久間のうつし”は?
――完全には、終わっていない。
春人は再び、白神村跡へ向かう。
山の奥、すでに地図にない祠の下には、「盈呪ノ匣」の本体が眠っていた。
自分が開けたものは、あくまで封印の鍵にすぎなかった。
地下に眠る本匣は、人間の頭蓋を思わせる奇怪な形をしていた。
骨のような外殻、呼吸するようにわずかに脈打つ表面。
そこにはこう刻まれていた。
「影、影に祀られ、やがて形を棄つ」
春人が触れた瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。
そこで彼は出会う。
“完全体”となった佐久間の影――否、「最初の祀り損ね」。
「俺はもう、ヒトのかたちじゃない。
名前も影も、すべて呑まれて、ただここに在る」
影は春人に問いかける。
「おまえは何を選ぶ?
また他人を祀るのか?
それとも……おまえ自身を“器”とするか?」
春人は、「盈呪ノ匣」を自らの胸元に抱く。
口の中に古語のような音があふれ、喉が裂けるほどに言葉がこぼれ出る。
「わが影、わが名、わがかたちを贄とし、
祀りて、封ぜん……!」
そして、春人の体が“匣”に吸い込まれていく。
骨が鳴り、皮膚が剥がれ、影が消える。
だが――目だけは最後まで、こちらを見ていた。
祠の奥で、ひとつの小さな“箱”が、静かに閉じた音が響く。
春人の姿は、どこにもなかった。
教授は失踪届を出したが、白神村跡を知る者はもういなかった。
ただ、春人の部屋の机の上には、盈呪ノ匣が置かれていた。
新しく、誰かが触れられるように。
やがて、それを開いた者がつぶやく。
「これ、なんだろ……開けてもいいよね?」
背後から、白無垢の声が囁く。
「おまえ、もう……まつられてるよ」
おまえ、もうまつられてるよ 自宅厨 @2nd2nd
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