第3話 祀りそこね
佐久間の異変は、ある日を境に急激に進んだ。
「先輩、俺……夜が怖いんです。
鏡に映る自分が、首を曲げて笑うんですよ。自分じゃできない角度で」
春人は佐久間の右手に、人間とは思えない皮膚の浮きを見た。
まるで粘土を雑に盛ったように膨れ、脈動していた。
それでも佐久間は笑って言う。
「大丈夫っすよ。俺、自分で“祀る方法”探してますから」
その数日後――
佐久間は、大学の講義棟屋上から飛び降りた。
だが死体は、見つからなかった。
代わりに残っていたのは、地面に這いつくばるように這った五本指の黒い跡だった。
春人は、古い郷土資料に隠されていた一冊の「封祀記録帳」を発見する。
その中には、“祀り損ね”と呼ばれる存在について、こう書かれていた。
「匣に穢れ満ち、人が祀らねば、
人の形を失いて“うつし”と化す。
影より生まれ、影より人を喰らい、祀り人の影を喰えば“還る”。」
「祀り損ねは、名を奪われし者なり。
名を呼ぶな、影を踏むな、夢に応じるな」
春人は思い出す。
あの日、佐久間の“もうひとつの影”を、確かに踏んでしまっていた。
春人の右手はもう、完全に人間のものではなくなっていた。
指は節の数がひとつ多くなり、爪は黒く濁っている。
皮膚は乾いて割れ、内側から何かが覗くような感触がある。
夜になると、体が勝手に動こうとする。
「まつれ……
まつれ……
まつるならば、影をくれ……」
夢の中では、白無垢の巫女の顔が少しずつ春人に似てきていた。
雨の夜、春人は大学の中庭で、見慣れない人物とすれ違う。
フードの男。
だが、すれ違った瞬間に気づく――足音がしない。
男はふり返り、目を合わせるとこう囁いた。
「俺、祀り損ねだよ。
次はおまえが、俺を祀る番だろ?」
その“男”の目は、黒目が縦に裂けていた。
口元が裂けたように歪み、皮膚はところどころ“剥がれかけて”いた。
春人が一歩下がった瞬間、男は囁いた。
「逃げても無駄だ。
おまえの影、もう俺のと繋がってる」
地面を見ると、春人の影の先に、もうひとつの影が這い寄っていた。
帰宅した春人は、夢の中で再び白無垢の巫女と対面する。
「もう……気づいてるでしょう?」
その顔は、春人自身だった。
ただし、口が裂け、目の中に「盈呪ノ匣」の文字が刻まれていた。
「あたしは“まつられたおまえ”。
おまえが祀る前に、祀られた者だよ」
春人は叫ぶ。
「どうすれば……どうすれば終わるんだ!」
巫女は微笑んで言った。
「一つだけ方法がある。
自分の影を、“誰かに祀らせる”の。
それができれば、少しだけ……戻れるかもしれない」
春人が目を覚ますと、部屋の床に一冊の古文書が置かれていた。
ページを開くと、こう記されていた。
「祀る者が絶えたとき、祀られる者があらわれる。
祀られる者が増えたとき、次の祀る者が選ばれる。
おまえ、もうまつられてるよ」
春人は、鏡に映る“もうひとりの自分”が微笑んでいるのを見た。
そしてその背後に、佐久間の“形を失った姿”が立っていた。
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