Episode.2...Brand new days...

この夜は、僕のものだ―――。

 薄桃色の花弁が夜風に舞い上がり、深紅の残華が闇の中へと溶け込んでいく。

 Flower at the Sky.

 残滓の曳光。そのひとときの煌めきが、刻一刻と消え去る。霧深い夜が迫り、卒業式を前日に控えた静寂の中、僕は記憶の奥底へと沈み込んでいった。

 校舎の窓から漏れる灯りはもう消えていて、街全体が明日を待つように息をひそめていた。グラウンドのフェンスに絡まる蔦が夜風に揺れ、カーテンの隙間から淡い月明かりが差し込む。制服はクローゼットにかけられ、胸ポケットにしまったままの小さな紙切れがやけに重く感じられる。そこには書きかけの告白文があり、最後の一行は白紙のままだった。書けないのではなく、何を書いても足りないと思った。

 そうだった。足りていないのは、君に対する言葉であって、想いではない。

 残酷なままに、僕らにとってはこの関係はNoisyだね―――とだけ書いておいた。

 僕は、記憶のカオスへと沈む。浮かび上がるのは、幼い頃の亜紀の姿。それはまるで花弁に滴る露のように穏やかな広がりを持ち、触れるたびに鮮やかな感覚を伴っていた。

 街灯が散らばる細道。その先にある亜紀の家での誕生日会を思い出す。舗道に雨上がりの水たまりが残り、そこに街灯が揺れるたびに僕らの影が伸びたり縮んだりした。鼻歌で口ずさむバースデーソングが静かに響き渡る道中、僕は少し声を張って彼女に合わせた。

 玄関を開けると、甘いカレーの匂いと、カラフルな紙飾りが迎えてくれた。靴箱の前に置かれた僕の小さな上履きと並んで、亜紀の真新しいスニーカーが光っていた。リビングには近所の友達や家族が集まっていて、笑い声が重なり合っていた。

 その真ん中で亜紀は僕を見つけ、わざとらしく口を尖らせながら「やっと来たんだ」とからかう。その瞬間、僕は頬が熱くなったのを覚えている。けれど彼女はすぐに微笑んで、ケーキのろうそくを指差した。小さな光がゆらゆら揺れて、僕らの顔を不思議な色に染めていた。

 捩じれている……僕らの想いは平行にあり捩じれ切っているんだ―――ちょうど工学的に設計された紙飛行機の飛ぶ軌道のように、もう歪で誰とも交錯することのない関係。

 やがて思い出は、流星群が瞬き空を照らした夜へと移る。あの夜、彼女は僕を誘い、こう言った。

 「君の家で誕生日を祝おうよ。」

 僕は雨が降るかもしれないからと断ろうとしたが、彼女の瞳に射抜かれるような気持ちで言葉を呑み込んだ。いつもの笑顔よりも強い光がそこにはあった。

 彼女は小さな箱に手作りのケーキを入れて持ってきてくれた。箱を開けた瞬間、ろうそくの小さな炎が風に揺れた。甘い匂いが部屋に広がり、僕は舌を巻いた。予想もしないほど手の込んだケーキで、チョコレートの上にはぎこちない文字で「Happy Birthday」の言葉が刻まれていた。

 その夜空は星が散りばめられた巨大なキャンバスのようで、月の柔らかな光が街を包み込む。亜紀は星座を一つひとつ指差しては、僕の袖を引いた。

 「ほら、あれがオリオン座。あっちがカシオペア」

 彼女の声が風に溶け、僕の心臓は不規則に跳ねた。

 また彼女に想いを寄せている。

 しかし彼女は振り向かない。

 彼女は、幻影かもしれない。

 不規則な想いの法則は歪んだ。

 星々が照らした光が一定の速度で流れ、亜紀の影を消していく。その中で優美に映え、僕の心は彼女に向かって高鳴る。彼女は僕のそばにいたいだけなのか、それとも他の誰かへ向かう準備をしているのだろうか―――。その問いが僕の胸にわだかまりを残した。

 冷たい風が吹き抜け、夜の草地がささやきながら揺れる。そのささやきは僕の内なる孤独を慰めるようであり、同時にその孤独を突きつけるものでもあった。

 僕の心の器はひび割れ、油と水のように混ざらない感情が軋みを上げながらせめぎ合う。その中でも星々の輝きが小さな希望を灯し、暗闇から引き戻してくれると信じていた。

 「君は友達なんだね」と僕は心の中で語りかける。

 彼女は照れくさそうに微笑んで「もっと良い人がいるよ」と答えた記憶が胸を締め付ける。川に流れる夏草がやがて分かれていく様子を想像させ、その自然の流れの中で僕らの関係が変わりゆくことを恐れていた。

 鎖は一番弱い部位から切れやすくなる。僕の心の鎖は最小の弱さで結合していて、もう彼女とのしっかりとした友情に似た関係すらウィーケストな関係でリンクが、壊れていく。

 破綻。移植。交換。

 僕と彼女はそんなもので出来ている。

 そして迎えた卒業式の日。朝の校門には花飾りが揺れ、カメラを構える親たちの声が飛び交った。教室には笑い声と涙が入り混じり、先生は震える声で最後の言葉を語った。

 僕はその間ずっと胸ポケットの紙切れを握りしめ、何度も頭の中でリハーサルを繰り返していた。言おうとしては喉が詰まり、やめようとしては胸が痛んだ。

 式が終わり、校庭に散らばる友人たちの輪から抜け出して、僕は亜紀を探した。白いハンカチを握りしめ、彼女は門の前で立ち止まっていた。

 勇気を振り絞り、僕は口を開いた。

 「僕らの関係を失いたくない。君のことを心の中で大切にしたい。」

 「同じ空気を吸った仲だから、この意見だけはあたしとも繋がっていける。もう未来的に、永続的に君とあたしは、空の下に住んだ仲だから、多分いつかまた同じ空気を吸って同じ言葉を話し合う仲になるよ」彼女は微笑まずに、静かに言った。優しく、厳しく言った。「ただいつ再会するかは私にも分からない。ただ、君との時間が楽しかった。それ以上を今考えるのはまだ早いと思う。」

 彼女の声は震えていたけれど、嘘のない響きを持っていた。涙は空気に溶け込み、夜空の星々がそれを包み込むように輝いた。

 虚勢、虚栄、喝采。

 砂利道のそばに咲く白い花々が夜風に揺れ、月光がその花びらに触れている。草の間を通り抜ける風が僕の心に新たな希望を呼び起こした。

 その不完全な瞬間に交錯する彼女の笑顔と僕の想い―――。

 その細い糸はいつか強く結びつけられる日が来るのだろうか。それとも、僕らはただその糸の行方を追い続けるだけなのか。

 それでもいい、と僕は思った。

 花弁は夜風に舞い、空に散っていく。

 星々が照らす未来の空白に、僕らの青春は確かに刻まれていた。

 Arrive at the youth.

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