一条燈



 首相官邸に引っ越さなかった理由は幽霊が出るからなんて世間に囁かれているけど、実際は違う。引っ越しがたいへん面倒臭さかったからである。


一条燈は、第111代目内閣総理大臣一条良々の息子である。


 今年の夏休みは衆院選と総裁選ですべて潰れた。


 大学2年生の兄貴はサークルで忙しいとかで全然顔を出さない。中学3年生の妹は今年受験なのですべて免除だ。なんなら選対の事務員に塾の送迎をさせていた。そもそも小学生が選挙の手伝いなんてできないけど。


余った高校2年生の燈は、塾の夏期講習の時間以外は、ずーっと事務所に拘束されていた。


まじで、嫌すぎる。

電話作戦なんて意味あるのか。

「今時間ないんで」って人多すぎんか。

台本読むのに1分もいらないのに。

引き止めない俺も俺だけど。

だってやる気ないし。


 そもそも親父は首相の器じゃない。派閥だって弱いし、なんかオーラも全然ないし。そこら辺にいるサラリーマンみたいなスーツに全日本人男性がこよなく愛しているような眼鏡を掛けている。滑舌は悪いし声質もくぐもっているので、演説で声を張り上げるとき以外は、何言っているのか分からん。98%くらいの確率で聞き返されている。


まじで、何で、政治家なったんだろう。


燈は、選対のパイプ椅子の上でずっとそのようなことを考えていたが、ボランティアで応援してくださる方々の前で、そんな気を削ぐ愚痴言えるはずがない。


だから、今日もにこやかな笑顔を貼り付けて、「ありがとうございますぅー、よろしくお願いしますぅー」を繰り返す。


 なので衆院選に勝てたのはいつものことだとして、その後の総裁選まで勝ったのは非常に驚いた。


親父は顎が3回外れた。母は親父を引っぱたいて、壁に打ちつけて、夢じゃないか確認したそうだ。


世論調査ドベだったのに、なんで。

テレビの中で、バンザイバンザイと両手を振り上げている父母の横には、ちゃっかり兄貴が陣取っていた。おい、お前は何もやってないだろう。そこは選対本部長の席だぞ。


「わー、勝ったよ勝った! すごいね」


 隣でテレビを観ていた妹が歓声を上げた。純粋な笑顔にみえる。


「あー、勝ったよ勝った… はぁぁぁ」


対して、ため息を吐き肩を落とす燈。中継では、親父が目に涙を浮かべながらインタビューに答えていた。


「演技派なこって、そういうとこがウケんのかねー」

「またお兄ちゃんそんなこと言う! お父さんが涙もろいの知ってるでしょ。それに何よその反応、嬉しくないの?」

「嬉しくないね、ぜんぜん」

間髪入れずにそう答える。

「お前にはないのかよ、学校での反応だったりさ。今よりずっと面倒になること」

「わたしはお兄ちゃんほど繊細じゃないんで、別に?」

「うるせーな、べつに繊細じゃねーし」


当確結果の翌日が一番登校したくない。当選しても落ちても、好奇の視線は変わらない。何回経験しても慣れない。


学校で票稼ぎをするために両親が顔を売っているため、クラス中のやつが僕の親父が政治家だと知っているのだ。朝のゴシップネタは決まってる。


「一条の父親通ってたなー、おれ絶対落ちると思ってたぜ」

「通ったって、なんの話?」

「総裁選だよ。あいつの父親総理大臣になったんだよ」

「えっ、まじ? やばくね?」

「うちの両親が話してた。でもよー、演説の内容が薄いって。あと、オーラが全然ないって」

「あれだろ? 漢字も読めなかったんだろ」

「うける、そんな奴が総理かよ。この国終わってんな」


 ギャハハハハ

 

 教室の扉が開けられない。登校時間ギリギリに着いたはいいものの、開けるタイミングを失ってしまった。だから嫌なんだよ、なに言われてもいいと思ってる俺も終わってるし、なにも言い返せないチキンな俺も終わってる。よくドラマとかで親が馬鹿にされてキレるシーンがあるけど、出来るわけないと思う。少なくとも俺には無理だ。何も思わないところがないわけでもないけど、何か行動を起こしてもいい結果が見えない。


「正直、誰がやってもおんなじだよね」

「裏で黒いことやってそう」

「庶民派とか言われてんの」

「四民党のトップが変わってもねー、何も意味ないっていうか」

 

 やっぱりそうだよな、とひとり頷く。世間の反応はマスコミの反応と全く同じだ。世間をちっちゃくした教室だって反応は全く同じ。与党は叩いてなんぼのサンドバッグ。首相はそのトップバッター、芸能人よりも正当性をもって、叩いて叩いて叩きまくれる。叩いて埃が出ない政治家はいない。うちだってそうだ。

 

 鐘が鳴った。廊下の奥からは担任が近づいてきている。タイムリミットだ。ああ、怠い。この瞬間が本当に怠い。


 扉を開けると、クラスの話し声がピタリと止んだ。何人かが目を逸らした。


なんでだよ、そのまま続けろよ、お前らは何も間違っちゃいないんだから。それが世間だろ。


俺はたった今来ましたけど何か? という風体を装いながら席につく。ヒソヒソ声や好奇の視線を無視して寝ている振りをする。

多分一生そんな風に生きていくんだろうな。


 

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