アツモ

中学は、とてもじゃないが治安がいい学校ではなかった。

 シンナーの香りを残す隣の席の人とか、部室で大麻育ててた先輩とか、トイレでの飲酒とか、屋上でのタバコとか。うわやってんなあ、を数えたらキリがない。


 卒業式でダチから渡された小麦粉を撒いていて、ふと、生徒指導の先生の言葉を思い出した。


「このままじゃ、ろくな大人になれないぞ」


べつにろくな大人になる気はなかった。俺の人生だ、他人が口出す権利もないと思う。だから先生にもこう言ってやった。


「死ね」



 アツモはトカゲのしっぽだった。

 使いっ走りこそすれど、誰かに命令されなければ何もできないやつ、周囲も自身もそう信じて疑わなかった。


 先輩が警察に連れてかれて、チームみたいなグループみたいな、名称もないかたまりの集まりが悪くなったのは、少し寂しいことだった。


アツモが高校1年生になり、3ヶ月も経たない頃だった。


「先輩は悪くないって、思うわけよ」


 うん、アツモは返事をひとつした。相棒のミツは木の棒で地面に落書きしながら、言葉を続ける。


「暴力っていうけどさ、それ以外ないでしょ。俺らはそうやって育ってきたんだから」


 生暖かい風が相棒の真っ黒な髪を揺らした。

 

「初めて手に入れた力だったんだよ、初めて人より優位にたてたんだ。俺も先輩も。何がショーカイジだよ。クソどもが」


 アツモは喋るのは苦手だが、このような雰囲気のときなにを言えばいいのか知っていた。ここらでは小学生でも知っている。


「マジでファッキューだよな」


 先輩のいなくなったチームに新しく現れたのは、「トカゲ」を名乗る男だった。フードを被りキャップを被る髪なし髭有り男、の風貌に、いかにも、ラッパーを醸し出しているいけすかない奴、という印象をアツモは受けた。ミツは、おっさんじゃんと毒づいた。仲間はみな、お前誰だよ、と顔に浮かべていた。そりゃそうだ。いくら先輩の紹介とはいえ、受け入れられない。


 ところがどっこい。おっさんは、金を生み出す術を教えてくれた。トモルたちが腹一杯食べられるくらいの飯も奢ってくれた。眠い、か、腹減った、の2つが最も多い独り言だったチームはコロッと陥落した。おっさんは、あの人でも、おっさんでもなく、ちゃんとトカゲさん、と呼ばれるようになった。


 「アツモー、最近学校行ってるか?」


 おっさん、いや、トカゲさんは時々こんなことを聞いてくる。アツモは麻婆豆腐を食べ切って水道水をぐいと飲み切ったあと、


「ミツが行くときには行きます」

と答えた。


「オメーらはいつもべったりだよな。小学校からなんだって? 飽きねえの」


「白米に飽きますかね」


 トカゲは、ははっと笑って


「アイツは違うみたいだけど。スパゲッティでもフォーでも興味あるってよ」


とほざいた。





「おい、どういうことだよ」


 ミツは黒いスーツケースになけなしの服を詰め込んでいた。ストックしていた缶ピースを全て持っていくみたいだった。


「東京の方が稼げるって聞いて。アツモも来る?」


 ミツはコンビニ行こうぜ、みたいなノリで聞いてきた。


「行けるわけないし、ここでも十分だろ。飯食えてるし、ダチいるし」


「十分じゃない。全然足りないよ」


「足りないんだったら、俺が稼いだ金もやる」


「違う、そういうんじゃなくて、金じゃないんだ」


 ミツは一呼吸おいて、髪をぐしゃぐしゃとかいた。


「最初は満足した。おっさんのおかげで、月に万札が貰えて、俺が食うのばかりか、妹の修学旅行代だって払えた。金ないない嘆く母親を黙らすこともできた」


 ミツには中学生の妹がいた。よく笑う八重歯のかわいい子だ。


「安心してたらふく食って昼寝して起きて、ふと思っちゃったんだよ。俺は一生このままなのかもしれないって」


 6畳の部屋で相対するミツは、ひどく悲しそうに笑った。


「自由になりたい、俺は、もっと広い世界を見てみたいんだ。ここには帰って来ない」

 

 アツモには、ミツを引き止める術を持っていなかった。一度決めたら頑固な奴なのだ。送り出すのが正解なのだろう。


ただ、寂しかった。


空っぽの部屋に、無為な日々に、意味を持たせてくれたのはミツだった。


だがそれを伝えられるほど子どもでも大人でもなかった。


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