暖炉を覗けば

くろこ(LR)

暖炉を覗けば

 その図書館には、奇妙なうわさがあった。らしい。俺は全く知らなかったが、「その図書館から落ちると異世界に行ける」とかなんとか。

 落ちるってどゆこと? 平屋だが? 階段とか無いが? しかも異世界って、そんなファンタジーなものがこの世に存在しているのか?

 ……してましたわ。いや異世界だから、この世ではないかもしれない。ともかく、普段図書館なんて立ち寄りもしない俺は、姪っ子に読み聞かせる絵本を物色しにやって来て、そして落ちた。暖炉から真っ逆さま。サンタクロースかよ。あ、補足しておくと火はついてないぜ。その図書館には、今は使われていないドデカイ暖炉があったんだ。その周りに机と椅子が置いてあって読書スペースになっていたんだが、俺が選んだ場所の隣のテーブルにやって来たカップルがな、突然修羅場になってな、彼女さんの平手が炸裂、彼氏さんがあろうことか俺の方に倒れ込んできて、バランスを崩した俺は暖炉へ向かって倒れ――はい、落下。いや、こんなところに穴なんてなかっただろ?!

「おじさん、大丈夫ですかぁ?」

 心配そうにこちらを見下ろしてくる少女、茶髪に青色の瞳にツギハギだらけのボロいメイド服みたいな格好をして、明らかにこれ図書館の地下じゃないだろって分かるね。いいね、別世界だね。……よくないわ!

「……あー、うん。まあ、怪我はないよ……ありがとうな」

 女の子は安心した様子だった。優しいね。

 で、ここどこ?

「おじさん、突然、煙突から落ちてきたんですよ。清掃員さんですか? うち、今月頼んでたかなぁ……」

 なるほど、煙突からね、道理で俺の白Tシャツが煤だらけなわけだ。というかこれ、下でもしこの子が寒いなって火でも付けてたら、俺の丸焼きができてたってこと? おっそろしい。

 いや、そろそろ真面目に考えよう。まずここがどこなのかさっぱり分からないが、うん、これは夢だな。夢に違いない。その割には身体中が痛いし埃まみれで不快だが、まあ夢だからな、全て許そう。……夢だよな?

 ばちこーん、と両手で頬を叩いてみる。特に醒める気配はないが、女の子の視線が若干憐れみを帯びたものに変わった気がする。理解した、この方法はよくないな。二重の意味で痛い。

「えっと……とりあえず、お茶でも飲みます……?」

 なんて優しい、いい子なんだ。突然現れた全身煤だらけの不審者に対して、そんなおもてなしをしてくれるなんて……え、不審者? 誰のことだって? 悲しいけど俺だよ!

 女の子はサンドリヨンと名乗った。なるほど、そう言われれば服装と言い、頬に煤を付けて掃除をしているらしい様子と言い、もはやサンドリヨン以外の何者でもないなという気がする。……いや、そんな馬鹿な。

 つまり? 俺はいい年こいて、おとぎ話の世界に迷い込む夢を見ていると? ……ま、まあ最近は異世界転生ものとかが流行ってるらしいからな、そのせいかな。読んだこと無いけどな。

 サンドリヨンちゃんはこのお屋敷で、父親と継母と二人の義姉と暮らしているそうだ。今は姿が見えないが、まあたぶんその面々はお城の舞踏会にでも行ってるんじゃないか?

「よく分かりましたね! 今日は王子さまの花嫁選びをするらしくて、張り切って出て行ったんですよ」

 で、君はひとり残されて、掃除を押し付けられているわけだ……。

「押し付けられているというわけでは……お掃除するのは楽しいですから」

 あのな、サンドリヨンちゃん。君にとって、確かにお掃除は楽しいかもしれない。部屋がキレイになれば、そこで過ごす時間も心地よいものになるだろう。

 でも、そんな寂しそうな顔で言っても、説得力ないぞ?

「うっ……そ、そんなに顔に出てます?」

 出てる。うん、ばっちり出てるよ。そりゃあ当然だろ、家族が連れ立って遊びに行っているのに、自分ひとり家に残されて床の埃とにらめっこだぜ? 俺ならホウキなんて放り出して家出するわ。

 偉いね、君は。

「偉い……ですか……?」

 サンドリヨン――シンデレラは有名な童話だからな、普段本なんて読まない俺でも、さすがに内容は知っている。カボチャの馬車とガラスの靴。子供の頃に読んだ本の内容は、いくつになってもなかなか忘れないもんだ。

 俺は、サンドリヨンちゃんのお掃除を手伝うことにした。

 どうせ夢なら、楽しい夢がいい。――そうだろ?

 俺は屋根の上に登り、雑巾片手に煙突を磨く。少し休憩するか、と煙突の縁に手を置いて、俺は何の気なしに煙突を覗き込んだ。

 ――あ、やべ……。

 ゆらり、と身体が傾くのを感じた。

 煤にまみれた黒い穴がぽっかりと口を開け、バランスを崩した俺を呑み込んだ。


「あの、大丈夫ですか……?」

 ゆさゆさと身体を揺すられて、俺は目を開けた。眩しい。あれは蛍光灯……そして、人の顔だ。

 どうやら俺は現実世界に戻ってきたらしい。修羅場カップルが二人並んで心配そうに俺を見下ろしてくる。……君たち、仲直りはできたのかい?

 手のひらを見れば、ほんの小指ほどの黒い汚れ。それは単なる古い暖炉の汚れかもしれないし、もしかしたら――あのお屋敷の煙突の汚れかもしれない。

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