1.暴走

爆裂音。

車。

エンジン音。

小刻みに排気音が響く。

猛スピードで疾走る車。


クラクションを響かせている。

正面から、車が校庭の車道を疾走ってきます。

正門から入って来たのだろう。

校門脇の警備員室を爆音とともに、一気に通り過ぎた。


いや、車だから、エンジン音だ。

マフラーからは、間段無く震える排気音が響いている。


警備員さんも慌てたのでしょう。

驚きもしたでしょう。

警備員室から、飛び出したのが見えました。

正門から、突っ疾走る暴走車を呆然と見ています。


学生も、沢山、校庭に居たのですが、爆音とクラクションの音に、慌てています。

車道に居た学生は、中央を仕切る植込みに、慌てて身を隠しています。

暴走車は、藤棚の前を疾走る。


暴走車は、すく、目の前に迫っています。

このままだと、車止めポールに衝突します。

ポールを薙ぎ倒して、突っ込んで来そうです。

いや、更に、駐輪場さえ、突き破りそうな勢いです。


咄嗟に男子寮のブロック垣へ回りました。

その直後。

タイヤの軋む音が聞こえました。

悲鳴のようなスリップ音を響かせています。


暴走車は、男子寮の前のU字カーブを曲がったのです。

折返した暴走車は、藤棚の後、水槽の横で少し、減速しました。

そして、また、排気音を轟かせて、本館前を疾走っています。


「危ない!!」

声を限りに叫びました。


しかし、暴走車のクラクションにかき消されました。

そして、本館の前を猛スピードで疾走り過ぎます。

本館から出ようとしていた学生や先生達も、慌てて校舎へ戻ります。


暴走車は、もう正門です。

正門近くにいた警備員さんが、暴走車を制止しようと試みています。


しかし、暴走車は、減速する気配がありません。

間一髪、警備員さんは、暴走車から身を躱したのです。


暴走車は、正門前の一時停止なんかしません。

減速もせず、正門を疾走り抜け、一般道へ飛び出しました。


その時、高専前の道路から、タイヤの軋む音が聞こえたのです。

そして、すぐ、クラクションが響きました。

奇跡的に、車同士の衝突を免れたようです。


外に出ている皆が、呆然として、立ち竦んでいます。

「大丈夫か!」「怪我無いか!」

気丈な何人かの先生や学生が、近くの人に、声を掛けています。


十分程して、パトカーが三台、校庭に入って来ました。

これだけの騒ぎだから。

誰かが、警察に通報したのでしょう。


警察官が、数人降りて来ました。

先生が案内して、三人の警察官は、本館へ入って行きました。

後の三人は、警備員室に入って行きました。

事情聴取が始まるのでしょう。


暴走車が校庭を一周して、疾走り去ったのは、ほんの一瞬です。

どんなに長くとも、二分程度だと思います。


駅前通りには、市役所、東警察署、消防署、法務局が立ち並んでいます。

法務局の隣に美味しい「醤鴨」ラーメン屋さんがあります。

「醤鴨」でジャンオウと呼びます。

名前の通り、醤油ラーメンで、叉焼が鴨肉のローストです。


市役所前の道を西に進むと、駅があります。

駅前の道を南に向うと、県庁もあるそうです。

しかし、そこまでは、行った事がありません。


県庁の隣に、郵便局の本局があるそうです。

しかし、そこも行った事がありません。

いや、正しくは、県庁の前を車で通った事があるのかもしれません。

初めての土地だから、もし、通っていても、覚えていないのです。


だから、ここが、県庁だと認識して通った訳ではありません。

つまり、本当は、県庁が、どこにあるかは、知りません。


駅前通りの市役所前を東へ向かうと、片側二車線の大きな県道と交差しています。

その県道を少し北へ行くと、小規模なショッピングモールがあります。


その一角に、焼肉「赤シャツ」があります。

あまり特徴はありませんが、そこそこ美味しく食べられます。

一番、気に入っているのは、値段です。

とにかく安いのです。

月に一度のくらい「赤シャツ」で焼肉三昧なのです。


そこから、ずっと北には工場地帯が広がっているそうです。

ショッピングモールからでも、大きなタンクや鉄塔が見えます。

ただ、その工場地帯までは、行った事がありません。


さて、駅前通りから、その大きな県道を横切り、さらに東へ進みます。

ずっと東へ進むと、「石寿司」があります。

「石寿司」は、地元の企業が経営する回転寿司です。


時々、友達と「石寿司」へ出掛けます。

勿論、自分の食べた料金は、自分で支払います。

でも、毎回、二十皿しか食べられません。

懐具合からではありません。

腹具合が理由です。

それ以上は、満腹で美味しく食べられないからです。


更に、東へ向うと、父親の以前勤めていた会社があるそうです。

両親のどちらかが運転する車で、その営業所の前を通ったらしいのです。

両親の会話の際に、その話題になる事があります。

しかし、全く、そこを通った記憶がありません。


さて、石鎚山高専ですが、駅前通りから県道を横切り、四つ目の交差点を南へ入ります。


ああっ。

ちょっと待ってください。

「石寿司」です。

「石寿司」の手前に、全国展開のハンバーガーチェーン店「モグ・モッグ」があります。

そこへは、再々、通っています。

勿論、友達や先輩、後輩も通っているのです。

だから、会ったりすると、ちょっと、ばつが悪い事もあります。

本当に、ちょっとだけです。


皆は、大抵、ハンバーガーセットを一つ買っているようです。

それでは、いくつ買っているのか聞かれると、それは秘密です。

以上、話し忘れていました。


さて、四つ目の角にある「グリングラス」が目印です。

交差点の数を数え忘れても「グリングラス」が見えたら右折です。


「グリングラス」は、学校から、一番近いコンビニです。

大体、この辺りまでが、行動範囲です。


その交差点の角から「高専通り」が続いているのです。

「高専通り」を南へ三十メートル程行くと、東側に石鎚山高専の正門があります。

正門の前には、「高専前」というバス停があります。

勿論、「〇〇高校前」というバス停は、よく見掛けます。


しかし、学校の正門の真ん前にあるのを見たことがありません。

だから、本当に、正門のすぐ前に、バス停があるのには、驚きました。


正門を入ると、門の脇に警備員室があります。

その警備員室の前から、南に向かって広い車道が続いています。


警備員室の反対側の門の横に、掲示板があります。

その向い、つまり、南に向かう車道の東側に本館校舎があります。

ずっと南へ進み、本館の南側に出ると、隠れたように、職員専用駐車場があります。


元に戻って、正門を入ると、ほぼ、中央、正面に、植込みがあります。

植え込みの植物は、多分、ソテツだと思います。

本当のところは、分かりません。

植物の事は、良く分からないのです。

分かったとしても、せいぜい、タンポポとチューリップくらいです。

東に向かって、幅三メートル程の植込みは、細長く、本館に平行して続いています。


植込みに沿いに、その植込みを挟んで、車が向かい合って駐車するように、来客用駐車場が続いています。

植込みと来客用駐車場は、本館よりも少し短いのです。


植込みと来客用駐車場に続く北側に藤棚、南側に水槽があります。

そうだ、藤の花も覚えました。

高専に入学してからです。

しかし、もし自生している藤を見ても、分からないと思います。


植込みの北側と南側に続く車道は、藤棚と水槽の東側で繋がっています。

また、その車道は、本館の東に建ち並ぶ南側側の校舎や、北に並ぶ寮の間を通っていて、東門まで続いています。

その車道は狭く、車が対向するには、狭過ぎます。

どちらかの車が、待避スペースへ車を寄せないと通過できません。


それを考えると、正門からの車道は、校庭内の車道といっても、道幅は広いのです。

片側だけでも、車の対向が、充分過ぎる程の広さですから。


本館の南側は、広いグランドが広がっています。

植込みの南北にある、長い車道の繋がった車道の東側に、駐輪場があります。


駐輪場と車道の間は、一メートル程です。

その一メートル程の間に、車止めのポールが等間隔に、六本立っています。


その駐輪場の奥に、学生寮が南北に三棟、並んで建っているのです。

その三棟は、男子寮になっています。


男子寮は、北から、清音寮、清風寮と清明寮の三棟です。


その清明寮の前の駐輪場で、暴走車を目撃したのです。

だから、慌てたのです。


清風寮の東に女子寮、鈴音寮が建っています。

鈴音寮の北側には、寮生の食堂があります。


学生寮の南側、本館の東側に、グランドへ続く通路があります。

その通路を挟んで、図書館、体育館が並んで建っています。


グランドの東の端に、研究室棟が、これもまた、広々と続いています。

そして、研究棟の一角に、実習棟が建っています。


それでは、ここで、藤棚まで戻りましょう。

藤棚の前は、車道を挟んで「東雲会館」が建っています。

一階は、学生食堂と売店、二階は講堂になっています。


そして、正門脇の警備員室の端から「東雲会館」の角まで、前庭が続いています。

前庭の車道に沿って、ズラリと並んで、桜が植えられています。


少し前までは、桜が満開で、思わずスマホで写真を撮ったりしていたのです。

今は、藤棚の藤が綺麗に咲いています。


あっ。

いかん。いかん。

長々と、石鎚山高専の見取り図を説明してしまいました。


つまり、云いたかったのは、正門から奥へ続く車道は、石鎚山高専のメインストリートで、広くて人通りは多いという事です。


よく、駐車している車に、衝突しなかったものだと胸を撫で下ろすのでした。

また、幸い、怪我人は居なかったようです。


あれ程の猛スピード。

怪我人が出なかったのが、不思議なくらいです。


それにしても、今からどれくらい、事情聴取が掛かるのか。

鈴音寮にまで、事情聴取に来るのだろうか。

と、いっても、防犯カメラ映像以上の情報は無いのだけど。


二年前、鈴音寮で、ある事件が起こりました。

それで、防犯カメラが増設されているのです。


勿論、暴走車が疾走った正門にも、校庭にも防犯カメラはあります。

ただ、その防犯カメラ映像を確認したとしても、二分程度の出来事。


運転していた人物さえ、鮮明に映っているかどうか。

まず、写っていたとしても、キャップやサングラス、マスクで、顔は見えません。

分からないかもしれません。

車の色とナンバーくらいは、分かるかもしれないけど。

車の色は黒色でした。車種は…これも車に興味が無いので、分かりませんが、スポーツカーのように思いました。

フォードアタイプのスポーツカーがあるのかどうかわかりませんが。


それに、ナンバープレートは、付いていいなかったと思います。


この狭い車道を猛スピードで、疾走り去ったのです。

どう考えても、気まぐれや思い付きで実行したとは思えません。

と、すると、ある程度、あるいは綿密な計画を立て実行したのかもしれません。


それこそ、先に紹介した通り、石鎚山東警察署が、すぐ近くにあります。

何か事件があれば、すぐ、警察が駆け付ける事も分かっている筈です。


それを承知の上で、実行したのでしょう。

だから、警察の捜査は難航するのだろうと思います。


しかし、何のために、暴走したのか?

学校に対する恨みなのか。

また、動機が分かりません。


ある程度、学校の状況を知っているのだと思います。

高専の学生か、その関係者かもしれません。


高専生は、三年生終了の春休みか、四年生か五年生の夏休みに、自動車運転免許証を取得しているようです。

運転免許証を取得している学生は、四、五年生の半数以上です。

ただし、自動車通学は禁止されています。


それに、石鎚山高専生が、あんな危険な運転をするとは、考えられません。

それに、免許証を取得して、二年足らず。

あのカーブをあの速度でターンし、折返すテクニックは無いと思います。


だから、何のために?

運転技術を確認するため。

あるいは、誇示するため。


冗談じゃない。

こんな場所で、運転技術を確認する必要はないでしょう。


もっと広い場所が、あるだろうから。

勿論、広い場所でも、あんな危険な運転は、許されないのだけれど。


それでは、高専の正門コースを暴走してみたかったのでしょうか。

暴走してみたかっただけなら、授業中の方が危険は少ない筈です。


授業は九十分。

暴走したとしても、二分弱。

人通りが無くなるのを確認してから実行しても充分時間は余る筈です。


高専の正門コースを暴走してみたかった。とは、とても思えません。

それにしても、危険を顧みなかったのでしょうか。

とすると、犠牲者が出るのは、覚悟していた事になります。


しかし、暴走車は、ずっとクラクションを鳴らし続けていた。

つまり、通行人に、危険である事を警告し続けていたのです。


多少の犠牲者は、止むを得ない。

しかし、極力、犠牲者を出さないように考えたのかもしれません。


どういう事でしょう。

衆人環視の中、いや、寧ろ意図的に耳目を集め、車を暴走させた事になります。


と、考えたところで、もう一つ、思い付いたのです。


それは。

石鎚山高専生か、あるいは、高専の教師、関係者の誰かに、見せ付けたのではないのか。

脅迫?

つまり、その、誰かを脅すためだったのかもしれません。

その誰かに。お前を車で轢き殺すくらい、簡単だと警告するためではないのでしょうか。


何だか、悪い事が起こる予兆のようです。

いや、もう既に、悪い事が始まっているのかもしれません。


二年前には、頼もしい先輩が沢山居ました。

でも、今は、皆、卒業してしまっています。

だから、しっかりしないと、いけない。


千景は、嫌な予感がしました。

それでも、気持ちを奮い起こしたのです。


千景の、その目は、凛として輝き、口許は、しっかりと、横一文字に引き締まって…

は、いませんでした。

千景の目は、ぼんやりと澱み、口許は、だらし無く、薄っすらと開いていたのでした。

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