第9話 満月に戻りし心友

 ハクがダークと打ち解けたとき、鏡月湖のほとりでリンとレンは難しい顔をして札をにらんでいた。

「リン…どうしよう…」

「くっそ…究極の選択って今このためにあるような言葉じゃねぇか…」

リンとレンは悩んでいた。

リンが言った、唯一の方法を試すかどうかを。

話は、ほんの数分前にさかのぼる…。

「どういうこと?一体どうすれば、封印が解けるの?」

「…この札を、破る」

「え?」

「何回も何回も、粉々になるまでだ。この札は仮初の器。器ごとなくしちまえば、封印自体の意味が消える」

「その方法なら、銀を助けられるってこと!?」

レンの瞳に、希望が映った。

ただ、まだリンの表情は険しい。

「いや、そう簡単にもいかない。さっきも言ったろ?この方法には、かなりの運がいるんだ」

「?」

「いいか、よく聞けよ。この札には銀とあの剣士が封じられている。つまり体ごとこの札の中に入っちまってるわけだ。もし、この札を破った時、その破れ目に銀がいたら…」

「銀は…裂かれちゃうってこと?」

レンが青くなって言った。

「グロいこと言うなよ!でもまぁ、そういうことだ。もしこの札を粉々にして、破れなかった場所に銀がいれば封印は解け、銀は生きて戻ってこられる」

「もし、破っちゃえば…?」

「銀は確実に、命を落とす」

…ということなのだ。

「…リン、やろう」

「…本気か?下手すりゃ、おれたちは自分達の手で親友を殺すことになるんだぜ」

「分かってる…。分かってるよ。でも、ぼくらが動かなきゃ何も始まらないよ。銀は昔から、目も当てられないほど運が悪い。でも、銀は生きてきた。自分の不運で身を滅ぼすのなら、もうとっくに銀は死んでるよ。それでも、銀は生きてきたでしょう?世界は、銀のことを絶対に殺さないし見逃さない。銀はこれからも、絶対に死なない。だから今回も大丈夫。銀を、信じよう」

レンの目はまっすぐだった。

その純粋な瞳だけは、200年経っても全く変わっていない。

「…分かった、おれも銀のことを信じる。…いくぞ」

ゆっくりと、札を2つに破っていく。

リンとレンの額に、冷や汗が伝う。

札を完全に2つに破ったあと、リンは札の片方をレンに渡した。

「片割れは、頼む」

「分かった」

レンは震える手で札の片割れを受け取った。

「粉々になるまでだ。…破るぞ」

リンとレンは、共に札を破っていった。

手が震え、嫌な汗が背中を伝う。

もし、もし銀を裂いてしまったら。

頼む…頼む!今だけは、銀の運が良くあってくれ…!!

埋め合わせなら、あとで銀がどんな不幸でも呆れながら受けてくれるから!

だから…だから…!!!

2人の祈りは、通じたのだろうか。

札を全て破って粉々にしたその瞬間、ただの紙くずとなった札が風に乗り、1枚残らず夜空に舞った。

「…!」

「お願い…!銀…!」

札の破片たちは、レンの言葉に応じるかのように夜空で一気に燃え上がった。

赤い炎が、暗い空を覆いつくす。

ゴオゴオと音を立てて燃える炎の中に、チラリと人影が見えた。

「あ…!」

「あれって、もしかして…!!」

ドサッ!

炎の中から、ハクとダークが投げ出された。

「銀!!」

「…!息してるっ!」

炎がゆっくりと、空から姿を消していく。

炎が完全に消えた時、森は静寂に包まれた。

「銀!おい、銀!?」

「しっかりして!ねえ!」

リンとレンがどれだけ名を呼び、体を揺さぶってもハクは一向に目を覚ます気配がない。

気を失っているのか、それとも眠っているのかすらも分からない。

生きているということ以外は、ハクがどんな状態なのか分からなかったのだ。

「どう、しよう。銀がもし…もしこのまま、目覚めなかったら…」

レンの頬に、涙が伝う。

「ばっ…!縁起でもねぇこと言うんじゃねぇよ!それに、なに泣いて…。銀は生きてるんだ。泣くのは、銀が起きてからに…しろよっ…!」

「そういうリンだって…泣いてるじゃん…!」

「うっせぇ!泣いてねぇし!」

リンは慌てて顔を背けた。

が、泣いているのは本当だった。

あぁ、どうしてだろう。

どうして、銀はいつも運が悪いんだろう。

どうして、いつも1人で悪い方に行ってしまうんだろう。

どうして、どうして…。

考え出すと止まらない。

早くレンを慰めたいのに、涙が全く止まってくれない。

その時、後ろから声がかけられた。

「おい、そいつ、起きないのか」

ダークだ。

リンとレンは即座に距離をとって、刀を構える。

が、ダークは両手を上げて首を横に振った。

「よせ。もうオレには、戦えるほどの力は残っていない。それよりそこの銀髪のヤツ、目覚めないのか」

「…あぁ。息はしてるが、目は覚まさない」

リンが警戒心全開でダークの問いに答えた。

「なるほどな。闇に染まりかけ、力を使い果たした…か」

ダークは誰に言うでもなく呟き、ハクに近づいた。

「銀に何する気?」

レンが、ダークの前に立ちふさがる。

「別に、何もしない。オレは恩を返すだけだ。そこをどいてくれ」

「…」

「レン、どいてやれ。そいつからはもう、悪意も敵意も感じられない」

リンに言われ、レンが渋々横によける。

ダークはレンの脇を通り抜け、ハクの隣に腰かけた。

「…なぁ、こいつの名前は、銀って言うのか?」

ダークの問いに、リンは一瞬ためらってから答えた。

「いや…違う。そいつの名前は、ハクだ」

「え?リン、何言って…」

「おれも詳しくは知らねぇよ。なんでかは分かんねぇけど、銀は今ハクって名乗ってんだ」

「ふーん。ハクか。…なぁ、ハク」

ダークは、人さし指をハクの額に当てながらハクに語りかけた。

「お前は本当に変なヤツだよな。なんで敵を助けに自分から封印されに来んだか。変というか、むしろバカだよ。お前はさ」

「…」

「でも、お前が優しいのは分かった。ちょっと優しすぎるというか…お人好しすぎる気もするけどな。でも…その優しさのおかげで、オレは1人で消えずにすんだよ。その点については一応、感謝してる」

地面に横たわる真っ白な羽織を着ているハクと、肌以外は全て真っ黒な防具を着ているダークは正反対で、とても対照的だった。

「お前、娘いるとか言ってたっけな。早く起きないと、怒られちまうぞ」

「…!ねぇリン、見て」

レンが指さす方を見て、リンは息を飲んだ。

ダークの体が、少しずつ消えていっている。

ガラス細工がゆっくりと欠けていくように、壊れていくように、ダークの体は消えていっていた。

「オレは悪意で作られてる。だから、喜びとか幸せとかはよく分からない。…でもさ、お前と話してたあの時間は、楽しかった。消える前にお前と知り合えて…一緒に話ができて、幸せだったと思うよ。感謝する。…お前みたいなヤツとは、もう2度と巡り会わないだろうな。オレのことは忘れてほしいとこだけど、あいにくオレには記憶を消すなんて大した芸当はできない。今のお前の心に居座る闇を受けることしかできないんだ。だからせめて…せめてもの願掛けだ」

ダークは、ハクの額から指を離して言った。

「お前は、闇になんか染まらずに娘とか仲間とか部下とか友達とかと、幸せに生きろよ。…元気でな。ハク」

ダークは笑って、消えてしまった。

ダークが座っていた場所には、彼が着けていた黒い手袋が片方だけ落ちていた。

それが、ダークがここにいたという最後の証だった…。

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