第6話 慟哭に飲まれた約束
闇の剣士との戦闘が始まってから、一体どれほどの時間が経っただろう。
気づけば、ハクもリンもボロボロになっていた。
弱い雨が辺りを取り巻き、霧となって2人を邪魔してくる。
そんな中でも、剣士は容赦なく攻撃をぶつけてきた。
(くっそ…。これじゃ泥試合だぜ…)
リンは焦っていた。
ハクは本調子ではなく、自身も闇の剣士の強さには到底かなわない。
こんな状態で、勝てる訳ない。
そんな絶望が、じわじわとリンの心を染めていく。
もう、半分諦めていたのかもしれない。そんな諦めや絶望が、命取りになった。
ハクに鋭い斬撃を放った直後、剣士はくるりと方向転換してリンに剣を振り下ろしたのだ。
剣士の刃がリンを傷つけそうになったその時、ハクは刃とリンの間に滑り込んだ。
その後のことなんて、何も考えていない。
ただ、リンが助かればそれでいい。
ハク自身ももう、現状に希望を見いだせずにいた。
そんな時、ハクの頭に走馬灯のようにとある情景がよみがえってきた。
あれは…200年前の、今日…?
「おーい銀、レン!これ見ろよ!」
学園の廊下を、リンが全力疾走していた。
そのままスピードを出しすぎて、銀とレンの目の前を通りすぎていく。
「あれ、リン行っちゃった」
ゴンッ!
「いったぁ!!」
「…リンは一体、何をしているんだ」
「は、走った勢いのまま壁にぶつかったね…」
「マンガでしか見たことないぞ…こんな展開…」
「銀、マンガとか読むの?」
「全く読まない」
「お前らな!ちょっとはおれの心配しろや!」
額を赤く染めたリンが、苦笑いしながら歩いてきた。
「わー!!!リン頭!血!痛そう!」
「語彙力どこに落としてきたんだよ」
「全くだ。まあそれはともかく、手当てするぞ。ついでに用件も聞いてやる」
「ついでってなんだよ!ついでって!」
銀に引っ張られながら騒ぐリンを見て、レンは思わず笑ってしまった。
今日も平和だな、と。
リンの額に絆創膏を貼りながら、銀はリンに問った。
「それで、あんなに慌ててどうしたんだ?」
「これだよこれ!見てくれよ!」
リンは2人に、1枚のチラシを差し出した。
「これは…団子屋のチラシ?」
「あ!新商品出てる!」
「そうそう!レン、ここのお菓子好きだったろ?今日はレンの誕生日だし、奢ってやるから3人で食べに行こうぜ!」
「えっ!本当!?いいの!?」
レンは目をキラキラさせながらチラシとリンを交互に見つめた。
「銀も行くだろ?」
「甘いものはそんなに得意ではないからな…。今回は遠慮して…う」
銀が隣を見ると、目をキラキラさせたレンがじっと見つめていた。
「銀も一緒に行こう?ぼく、3人で行きたい!」
「うっ…うーん…。…はぁ、仕方ないな」
「やったー!」
レンはピョンピョン跳ねながら小踊りしている。
「銀が来るくらいで、レンは大ゲサだなぁ」
リンはカラカラと笑っている。
それを見て、レンはムッと頬を膨らませた。
「大ゲサじゃないもん!銀はいっつもノリ悪いし笑わないし無愛想だし!だからこんなこと滅多にないじゃん!」
「さらっとぼくをディスるな」
「ほぉ〜…。こういう風な言い方すりゃいいんだな。勉強勉強」
「変なことを覚えるんじゃない。そんなこと覚える暇があるのなら、忍術の1つでも覚えなさい」
「そういう銀だって全部は覚えてねぇだろ!」
「ぼくにはできる術が限られているからな。一応名前だけなら全て覚えた」
「覚えてるの!?」
「その記憶力、羨ましいぜ…おれなんか3秒で忘れちまう」
「記憶力がニワトリ以下だな」
「ニワトリに失礼だろ!おれにも失礼だわ!ってかおれ狐だし!」
「気にする所そこなの!?あーもう!ケンカしてても仕方ないよ!早く行こう、売り切れちゃう!」
「売り切れる訳ねぇだろ!」
レンがリンを部屋から押し出し、その後ろを銀がついていく。
団子屋にて、レンはキラキラしながらお菓子を見つめていた。
「わぁ〜!!すごい!どれも美味しそう…!ホントにどれでも選んでいいの!?」
「おう!なんでもいいぜ!290円までな!」
「せこっ!金額めちゃくちゃ中途半端だし!」
「ホントに中途半端だな…。まあいい。レン、好きなものを頼め。足りなければぼくが出す」
「おおー!銀かっこいい!」
「おれがせこく見えるじゃねーか!」
「実際せこいだろ。なんだ、290円って」
「だーーー!!!仕方ねぇな!2人まとめて奢ったるわ!なんでも好きなの頼め!」
「おおー!リン太っ腹!」
「珍しいな」
…その後、レンは満足のいくまでお菓子を食べ、上機嫌で帰路に着いた。
「はー…美味しかったぁ!リンありがとう!ごちそうさまでした!」
「レンお前…体細いのに結構食べるよな…」
「甘いものは別腹だよ♪」
「んで、銀は団子1本と…。こちらとしては助かるけど、ホントに甘いもの食べねぇよなぁ」
「別に、普通だと思うが」
その時、レンが歩みを止めた。
「レン?どうした?」
「なんか見つけたのか?」
「…あれ、ヤバくない?」
レンの視線の先には、道路の真ん中でもがいている蝶がいた。
道路のずっと先には、猛スピードで突っ込んでくる車がいる。
「…放っておけない」
レンはそうつぶやき、道路に飛び出した。
目の前には車。
飛び出せばはね飛ばされる。
そんな簡単なこと、レンだって分かっていたはずだ。
銀もリンも、突然のことすぎて動けなかった。
ただ…レンの背後に忍ぶ暗い気配だけが、妙にハッキリと目に映る。
全てのことが、まるでスローモーションのようだった。
レンが蝶を手にのせたその時
ドンッ!!
辺りに鈍い音が響いた。
まるで紙人形のように、レンの体が遠くへ飛ばされる。
銀とリンの中で、どんな言葉にも言い表せないほどの強い気持ちが沸き上がった。
「「っレン!!」」
2人とも、恐るべき反射速度でレンに駆け寄った。
昨日の雨のせいでまだ湿った地面が、じわじわと赤く染まっていく。
倒れているレンに、先程までの明るい笑顔はなかった。
愛嬌のあるその顔は、血に汚れている。
「…レン?」
リンが震える声で声をかける。
「…蝶」
レンがうっすらと目を開き、消え入りそうな声で呟いた。
「え?」
「蝶、は…?大丈夫…?」
「レン、今は蝶の心配より自分の心配を…」
「お願い…教えて…ぼくにはもう、見えないんだ…」
その言葉を聞いて、リンは目から溢れる涙を押さえることができなかった。
「…大丈夫。生きてるぜ」
血に濡れたレンの手の中で、蝶は優雅に羽を動かしている。
「…そっかぁ。良かった…。ねぇ…銀…霖…」
「どうした、ぼくたちはここにいるぞ」
「1人じゃねぇからな」
ほんのわずかに浮いたレンの手を、2人は優しく包み込んだ。
「お願い…約束して…」
「約束…。ああ。なんでも約束する」
「言ってみ、なんでも叶えるぜ」
「ぼくらは…これからもずっと…ずっと、友達だよね…?」
「何を言っているんだ。当たり前だろう」
「んなもん、ずっと変わんねぇよ」
「じゃあ…お願い…。2人が困ったら…やられそうになったら、化けてでも助けに行くから。そんなことなくても…200年。200年後の今日、満月が映る鏡で会おう。絶対、会いに行くから…。だから…だから…」
レンの頬に、一筋の涙が伝った。
白く濁りかけた目を懸命に開き、なんとか銀とリンの姿をとらえ、レンは言った。
「ぼくのこと…忘れないで…」
レンの声も言葉も、もうほとんど息を吐き出しているだけだった。
「な、に…言って…」
「忘れるわけ…ねぇだろ?なぁ、ほら!」
リンは自身の小指とレンの小指を絡めた。
銀も、その指に自分の指を重ねる。
「ほら、約束だ」
「破ったらスイーツ奢りな」
「ははっ…リンに奢るのは…やだなぁ…」
「なんでだよ!おかしいっ…だろ…?」
レンの笑みが痛々しい。
その笑顔を目に焼き付けておきたいのに、涙が邪魔してくる。
「なぁ…なぁ、レン、おれは絶対にお前のことを忘れない。だから…頼むからっ…死なないでくれ…!」
ああ…おれは本当にバカだな…。
こんなこと言ったって、レンが困るだけなのに…。
「…霖、ごめんね…」
謝らないでほしい。
レンは何も、悪くないのに。
その時、レンの体が青白い光で包まれた。
「…っ!…銀?」
隣で銀が、泣きそうな顔をして治癒の術を使っていた。
銀は妖力が少ない。
通常の獣人族に比べて、10分の1ほどの妖力しか持っていない。
忍術は妖力を多く消耗する。
力を全て使いきってしまえば、銀が倒れてしまう。
「…銀、もういいよ、もう…やめて。銀が、倒れちゃう」
「ぼくは、もう誰も失いたくないんだ。これで少しでも君の痛みが楽になるのなら…ぼくは、悪あがきを続ける」
銀の声は震えていた。
銀は右目を隠している。
そのせいで表情は分からない。
「頼む…頼む、蓮。置いて、逝かないでくれ…」
「…」
レンは深く息をして
「銀…霖…ごめんね。…ありがとう」
いつも通り、笑った。
銀もリンも、レンのこの笑顔が好きだ。
大好きだった。
レンはそのまま、目を閉じた。
レンの手から、蝶が飛んでいく。
「…蓮?レン、レン!?」
リンが大声で呼び掛けても、返事も反応も帰ってこない。
銀は知っていた。
この、手の中に残る無力感を。
どうすることもできなかった自分への怒りを。
大切な
ああ、一体これで何度目なのだろう。
1度や2度では、済まされなかった。
またぼくは…守れなかった。
その日の夜は、満月だった。
悲しくなるほどに大きく、美しい月。
その月光の下で、ある青年が刀を持って立っていた。
金色の長髪を持つ、狐の獣人族の少年だ。
彼は一度、自分がさっきまでいた部屋を振り返った。
中では、ただ1人残された親友が眠っている。
「…じゃあな、銀」
少年は身をひるがえし、去ろうとした。
その時
「霖?」
戸惑ったような、困ったような声が、彼を呼び止めた。
「…起こしちまったか」
「どこへ、行くんだ?まだ夜…深夜だ。用があるのなら、明日に」
「銀」
リンの鋭い声が、銀の声をさえぎった。
「…?」
「また…次3人揃ったらさ、一緒にあの店のお菓子食べに行こうな」
さっきの鋭い声とは異なり、リンの声はどこまでも明るくて、温かかった。
「あ、あぁ。それは大賛成だが、なぜ、急にそんなことを」
「銀、またな」
リンがそう言った瞬間、彼の体が炎に包まれた。
銀の目の前が、真っ赤に染まる。
「…えっ?」
炎が消えた時、もうそこにリンの姿はなかった。
「霖?」
銀の呟きは、もう誰にも届かなかった。
返事を返してくれていたはずの親友たちはもう、いなくなってしまった。
銀はただ1人、何も言えずに満天の星空の下で立ち尽くしていた…。
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