第5話 殺し切れない気持ち
「え?どうしたんだよ、急に」
「いいから!!今すぐこちらに来るんだ。でなければ…飲まれるぞ」
ハクの表情が、少しずつ引きつっていく。
銀は昔から運が悪かった。
それこそ、誰もが同情し、哀れむ程に。
ただ、その運の悪さは銀に100発100中といえるほどの勘の鋭さを与えた。
銀の悪い予感は、おれが銀と出会った4つの頃から1300年間、一度も外れたことがない。
全く、良いのか悪いのか…。
そんなことを思いながら、リンはハクに言われるがまま後ろに下がった。
「いつもの悪い予感ってヤツか?」
「いや…これは予感などと言う曖昧なものではない。確信に近い…言葉ではとても言い表せない程のまがまがしさだ…」
ハクは全身の毛を逆立てながら、小瓶をにらんでいる。
そんなハクを見て、ヴィラドは満足そうに笑った。
「やっぱり分かるんだな。これは、オレが塀の向こうで数百年集めた”闇”だ。この実験台が、お前らなんだよ」
「…何を、するつもりだ」
「何をするかって?今に分かるさ」
ヴィラドは小瓶の蓋を開けた。
周りに悪い気が立ち込める。
「う…っ!」
あまりのまがまがしさに、ハクもリンも後ずさる。
ヴィラドは瓶をハクとリンの方に向かってぶちまけた。
あの中身に触れれば、無事ではいられない。
そう思うのに、ハクの足は思うように動いてくれなかった。
「っ!!!」
ドンッ
「おい銀!平気か」
間一髪で、リンがハクを突き飛ばした。
「リン…!ありがとう。助かった」
「おうよ!」
ハクと言う壁をなくした瓶の中身が、そのまま湖の中に入る。
「しまった…!」
「やべっ!」
「ちっ、はずしたか…」
ヴィラドが舌打ちしている。
ただ、ハクとリンはそれどころではなかった。
青ざめた顔で、湖の中を見つめている。
「これを作るのに一体どれだけかかったと…。まぁいい。また作れば…」
「ヴィラド」
「お前、自分が何やったのか分かってんのか?」
「この瓶の中身が水に触れた。ただそれだけだろ?何も焦ることなんてない」
ひょうひょうとした様子でそんなことを言うヴィラドに、もはや哀れみさえも感じる。
「この湖を見てみろ」
「なんだよ…面倒…だ、な…」
ヴィラドは湖を見て、言葉を失った。
小瓶の中身が入った場所から、見る見る内に湖が黒く染まっていったのだ。
「なん、だよ…。こんな…こんなはずじゃ…!」
「お前は、やってはいけないことをした。この湖の名前は鏡月湖。月が鏡に映るように美しく映る湖だ」
「おい銀!こんな時に鏡月湖の説明なんて…」
「リン、分からないのか?あの小瓶の中身は悪意だけではない。恨み、憎しみ、悲しみ…。誰もが必ず持っている、黒い感情だ。それが、鏡に映された…」
そこまで言うと、さすがのリンも分かったようだ。
「そうか…鏡は映ったものをそのまま映し出す。このヤバイ悪意も…映し出されたってことかよ…」
まるでリンの言葉に反応するかのように、真っ黒に染まった湖の中から肌以外は全て黒い防具に身を包んだ何かが出てきた。
…それは、この世の者ではないほどまがまがしい剣士だった。
悲しさや怒り程度で作られるものではない。
誰かを死ぬまで憎み、妬み、復讐心をつのらせた想いが具体化したようなおぞましい闇の剣士。
「ぐっ…!」
ハクは右目を押さえて、一歩下がった。
その顔は苦しげに歪んでいて、額には大量の汗をかいている。
「お、おい、銀?」
さすがに様子がおかしい。
確かにあの剣士の姿はおぞましい。
ただ、目に映しただけでそこまで苦しくなるようなものなのか?
「どうしたんだよ、大丈夫か?」
リンがハクに触れようとしたその時
ヒュンヒュン!!
ハクがクナイを放った。
一体どこから出したんだ?
なーんて、今は考えてる場合じゃない。
ハクが放ったクナイは、見事にヴィラドを木の幹に縫い止めた。
「…逃げるんじゃない。自分が犯したことを…ちゃんと受け止めろ」
その言葉には、計り知れない重みとハクの気持ちがつまっていた。
200年前、この男は私から最後の希望だった親友たちを奪った。
ようやく1人ではないと思い始めた矢先の事だった。
恨むどころの話ではない。
生まれてきたことを後悔させてやりたいと思うくらい腹が立ったし、それだけ彼らのことが大切だった。
私だって、この手であの男に復讐したい。
レンが味わった苦しみと同じ苦しみを味わってほしい。
でも…レンはきっと、それを望まない。
昔から
優しいレンはきっと、復讐なんて望んでいない。
ハクは息をつき、押さえていた右目から手を離した。
その手はそのまま、刀へとかけられる。
普段、ハクは決して自分から刀を抜かない。
どんな相手に対しても、優しさを持っているからだ。
そのハクが…刀を、抜いた。
忍は、いつ、何時も感情を出してはいけない。
情や私情が挟まると、任務を行うことができなくなるからだ。
それでも、感情を押さえることが得意なハクでさえも、殺し切れない感情があった。
(今夜だけは…情も情けも関係ない。これはレンの…仇討ちだ)
ハクから、表情も感情も、何もかもが消えた。
「うっ!?お、おい銀!ちょっと落ち着けよ!気配が殺気でかき消されてるぞ!?」
リンが怯えたように顔を引きつらせる。
「安心しろ、理性くらいは残っている」
「そんな殺気だだ漏れで言われて、安心なんかできるか!不安しかねぇよ!おれからしたらあの剣士よりお前の方が怖ぇわ!」
「失礼だな。私をあのようなおぞましい者と一緒にするな」
「だー!お前もうしゃべんな!一言一言がガチで怖ぇんだよ!勢い余っておれまでやられちまいそうだぜ」
「そんなこと、する訳ないだろう。怒るぞ」
「ひぃ!ごめんって!」
リンは少々引き気味に刀を抜いた。
(久しぶりに見たわ…。銀の感情のストッパーが外れたとこ…。ああなった銀はめちゃくちゃ怖いし、何をどうやったってほとぼりが冷めるまで元には戻んないかんなぁ…。あー…レンがいれば…)
もう既にこの世を去った者を惜しんでも仕方がない。
分かっていても、どうしても思い出してしまうのだ。
レンが笑うと、周りも自然と笑顔になった。
それは、銀も例外ではなかった。
銀も昔は、よく笑っていたのに。
他愛のない話や冗談を言い合い、時にはケンカもした。
それでも銀は…よく笑っていた。
この場も、レンがいればすぐに丸く収まるはずなのに。
リンはため息を飲み込みながら刀を構えた。
闇の剣士は、微動をだにしない。
光のない暗い目が、無表情にこちらを見つめている。
けれど、ハクとリンが刀を構えた瞬間彼は一気に距離を縮めてきた。
キンッ!ガキンッ!!
今まで身じろぎ1つしなかったのにも関わらず、剣士の動きは目で追えないほど早い。
攻撃の1つ1つが鋭く、重い。
回転切り、霞抜き、カウンター。
どんな技を使っても、刀は剣士の防具にかすり傷をつけるだけで全く致命傷にはならない。
戦いの中、リンはハクを見て眉を潜めた。
闇の剣士からの攻撃を受けたり流したりしているのは基本的に銀だ。
いや、それは全然良いんだけど。
だって銀の方がおれより強いし。
ってそうじゃなくて。
(あいつ、なんであんなに顔色が悪いんだ…?)
ハクの顔色は、死人かと思うほど青白い。
呼吸も浅く、手も少し震えている。
理由は分からないが、無茶をしているのは明白だ。
ったく、仕方のねぇヤツだ。
キンキンッ!
闇の剣士からの鋭い斬撃をなんとか避けながら、ハクは苦しげに息をついた。
少しの間なら大丈夫だと思った。
ただ…やはりそう上手くはいかないようだ。
心に邪魔が入って、戦いに集中できない。
そんなハクの隙を、剣士は突いた。
キン!!カシャンッ!
剣士の刃がハクの手首をかすり、ハクは刀を取り落としてしまった。
「…っ!!」
「危ねぇ!!!」
リンがギリギリでハクを突き飛ばし、闇の剣士からの一撃を跳ね返した。
「銀!大丈夫か!?ケガしたんだろ!」
「大事ない。ただの切り傷だ。助かった、ありがとう」
「ほれ刀!おれもいるんだから無茶すんなよ!お前になんかあったら、おれがアーリアに顔向けできねぇんだからな!」
「分かっている」
「分かってねぇだろ!」
こんな時でも何かを言い合える友人がそばにいて、本当に良かったと思う。
ただ、ハクの心はかなりざわついていた。
一歩でも道を踏み間違えれば2人とも助からない。
そんな綱渡りのような状況に、私たちは立たされているのだから。
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