第3話『指名手配』

冷たい未明の風を受けながら、ディレックたちは父親が用意してくれた馬で王都を脱出した。

夜明けの光が地平線を白ませ始める頃、彼は街道の分かれ道で馬を止める。


「父さん、ニックを頼む。まずは弟のいる砦へ向かってくれ」

「……ディレック、お前は」

「俺は単身でプリメーロへ。情報を集め、王都に潜入する機を窺う」


父親は息子の覚悟を悟り、黙って頷いた。

ニックは悔しげに唇を噛んだが、深手を負った身では足手まといになるだけだと理解していた。ディレックは二人の背中が見えなくなるまで見送ると、馬首を返し、プリメーロへと向かった。


街に着いたディレックは、人目を避けるようにローブのフードを目深に被り、埃っぽい裏路地の酒場へと足を運んだ。こういう場所こそ、生の情報と噂が集まる。

エールを一つ注文し、カウンターの隅に腰を下ろすと、周囲のざわめきに意識を溶け込ませた。


しかし、そこで耳にした情報は、彼の計画を根底から覆すものだった。


昼が近づくにつれ、王都から命からがら逃れてきた人々が街に流れ着き始めた。

彼らが震える声で語る内容は、どれも絶望的だった。


謎の軍団が一夜のうちに王城を制圧。王は人質に。

王都防衛第一師団も近衛師団も、なすすべなく降伏し、完全に連中の手中におちたらしい。


そして、もう一つ。

タビーダ族のディレックという男が第一王女を誘拐し、王女を盾にして王都を脱出した、という虚報がまことしやかに囁かれていた。


(王女誘拐、ね。ずいぶんと古典的な濡れ衣を着せてくれたものだ。あの黒仮面の連中、なかなか用意周到らしい)


当初は内心で嘲るだけだった。

だが、昼過ぎに王都から公式の使者が現れ、自分の名と、特徴を捉えた似顔絵が描かれた手配書を壁に貼り出したことで、状況は一変した。

賞金の額に、酒場がぎらついた空気に包まれる。


『ねえ、あんたさー、タビーダ族なのに高位魔法をバンバン使えるっておかしくない?』

脳内に、ネメアの屈託のない声が響いた。


「……おかしいことか? 物心ついた時から、魔法に関しては英才教育を受けていた」

ディレックはエールを呷りながら、周囲に悟られぬよう独り言のように小さく呟いた。


『英才教育とかそういう問題じゃなくて。タビーダ族は、魔法を扱うための根源的な素質がないから高位魔法は習得できないはずなの。わたしの知ってる五百年くらい前の時代では、だけど』


「五百年前……」

そんな大昔のことなど、ディレックは知らなかった。一族の歴史に興味もなかった。

歴史など、圧倒的な個の強者の前では無力だと考えていたからだ。

ただ自分を強くすることだけを求め、魔法を磨き、さらには父親に無理を言って、武国から極秘で師を招き、剣技も鍛えた。全ては、来るべき日のために。


『あ、そうだ。気になってたんだけど、エレディア族の人ってどこにいるの?』

ネメアの唐突な質問に、ディレックは眉をひそめた。


「はあ? エレディア族なんて、今はもういやしねえよ」


『ええっ!? だって、わたしはスペルカタログに封印されてた魔法なんでしょ? 封印を解くのはあんたたちタビーダ族の役目だけど、解いた魔法を術者に「継承」して定着させるには、エレディア族の血と、彼らの専門魔法が絶対に必要だったはずじゃない!』


その言葉に、ディレックはフードの下でニヤリと口角を上げた。

彼は残りのエールを静かに飲み干すと、まるで些細なことのように言った。


「俺は、両方使える」


『…………は?』

一瞬の静寂の後、脳内でネメアが絶叫するのが分かった。

『う、嘘でしょ!? あんた一人で封印解除と継承ができるってこと!? なにそれ、どういうこと!?』


「親父には『決して他言するな』と固く口止めされている。使えるのは、メイル広しといえど俺だけだ。……だからこそ、親父は俺に全てを賭けたのさ」

ディレックは付け加える。

「もっとも、お前は人間じゃない。数には入らんだろ」


『……あんたの存在そのものが、国家間のバランスを崩しかねない戦乱の火種じゃない!』


「戦乱の火種、大いに結構」

彼の声には、確かな熱が宿っていた。

「俺はそのために、ひたすら力を求めてきたんだ」


『まさか……世界征服でも企んでるわけ?』


「世界? そんな大それたことは言わん。だが、この魔国メイルはいただく。虐げられてきた我が一族に、真の安住の地を与えるため……いや、それだけではない。これが俺自身の、渇望だからだ」


ディレックは静かに呟く。

「……どっかの謎の軍団に、先を越されちまったがな」


その時だった。

自身の内なる野望に意識を向けすぎていたせいか、フードが少しずれていることに気づかなかった。

賞金稼ぎと思しきテーブルの男たちが、壁の手配書とディレックの横顔を交互に見比べ、ひそひそと囁き始めている。


「おい、あそこで飲んでるやつ……」

「まさか、手配書の……?」


囁き声は伝播し、突き刺すような視線がディレックに集中する。

酒場の空気が、張り詰めた。

店主も騒ぎに気づき、震える手でカウンターの下に隠した警鐘の紐に手を伸ばしながら、おずおずと口を開いた。


「お、お客さん……。あんたまさか……」

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