第9話:視線封じの巫女 最終章 黒鏡ノ儀
私は、祖母の口伝を思い出していた。
拝殿の奥には、誰も足を踏み入れない「鏡蔵(かがみぐら)」には、古びた桐箱が安置されている。
その中には、黒く沈んだ鏡が五枚・・・いや、正確には四枚と「ひとつの欠片」が収められている。
欠けた五枚目の鏡には、裏に文字が刻まれていた。
「視(み)るな、視(み)せるな、視(ま)どわすな」
口伝によると、この黒鏡は、江戸の終わり頃、この神社の巫女だった「千代(ちよ)」という名の娘が、都から持ち帰ったものだと伝えられている。
千代は京の陰陽師の家系に生まれ、幼くして「視る力」が強すぎるため、親元を離され、この山の神社に預けられた。
当時の神社では、視線に関する怪異が絶えず起きており、特に子どもや参拝客が「目に見えないものを見てしまう」ことが多発していた。
そんな折、千代は夢の中である「女」と出会う。
その女は、顔を黒い紗で隠しながらも、妙に澄んだ声でこう囁いた。
「私を見つけて。」
「私を視て。」
「私だけを」
目覚めた後、千代の周囲では次々と人々の記憶が消え、名前が失われ、最終的には存在そのものが「視られなく」なっていった。
境内で遊んでいた子供、祈祷を頼みに来た旅人、果ては他の巫女までも。
まるで最初から、そこにいなかったように。
千代だけがその異変に気づき、そして「視られている」ことに気づいた。
すべては「視線」によるものだった。
その女「視られたがりの女」は、視線を伝って人の魂を喰らい、その存在を「書き換える」。
自らを見つめた者を、逆に上書きしていくのだ。
千代は、かつて京の師より譲り受けた「黒鏡」の存在を思い出す。
それは、「視線を折り返す鏡」、すなわち「見るもの」と「見られるもの」の関係性を切断するための道具だった。
四方に鏡を置き、視線の流れを乱反射させれば、「女の目」は迷い、自身を見失う。
そして、五枚目の禁鏡に封じるのだ。
千代は一夜にして、四方に鏡を置き、視線の結界を張った。
そして、禁鏡を使い、自らを生贄とし、最後に禁鏡を割った
割れた鏡に、何が映ったのかは記録されていない。
ただ、その夜以降、視線の怪異は止み、千代の名も、その存在も、「視線の巫女」として口伝に残るのみになった。
残された千代の手による短い記録には
「彼女は、誰にも「見られなかった」から生まれた。」
「誰かに視られた瞬間「存在」を得てしまった。」
「私はその視線を、鏡の奥へ閉じ込める。」
「どうか・・・再び、鏡を覗くな。」
私は、黒鏡ノ儀を行うべく、その夜から黒鏡の結界を常に張り直している。
境内の東西南北、四方に配置された黒い鏡。
どれも、光を吸い込み、決して何も映さない黒鏡。
それらを通して視線の通路を折り返し、「彼女」の視界を遮断する。
だが近頃、違和感を覚える。
毎晩張る結界の祈祷中に、誰かに「背中から見られている」ような気配がするのだ。
見返してはいけない。
それが、巫女の家系に伝わる最も古い教えだった。
だが、見ることを拒めば拒むほど、視線の熱は強まっていく。
ある日、南の黒鏡がひとりでに割れていた。
鏡は、本来「壊れない」よう作られている。
祈祷師である祖母はよく言っていた。
「黒鏡が割れる時は、「鏡の外側」から覗く者がいる証拠だ」と。
私はすぐに祭壇裏の倉から、1枚の黒鏡と、封印された第五の禁鏡を取り出した。
これは、かつて「視線の巫女(千代)」が命を落とした儀式で用いられた、禁忌の黒鏡である。
第五の禁鏡は、中央に微かに「目」のような模様が浮かび上がっている。
それは視線を遮断するのではなく、視線そのものを「反射」する役割を持つ。
つまり、見てきた者に、同じように「見返す」ための鏡だ。
私はその晩、鏡を拝殿の中央に据え、「黒鏡ノ儀」の再興を決意した。
正確には、過去に失敗に終わった「あの儀式」の再演である。
祖母の日記にはこうあった。
「一度でも視線を返してしまえば、鏡は「目」になる。」
「その時、鏡の中に映るのは、自分の姿ではない。」
「見ている「彼女」の姿なのだ。」
夜が更け、境内は不自然なまでの静けさに包まれていた。
四方に黒鏡を設置し、中心に第五の禁鏡を置く。
私は祝詞を唱えながら、視線を感じるたび、鏡へと祈りを込めた。
やがて、拝殿の中に「気配」が差し込んだ。
音もなく、足音もなく、ただ「見る」という行為だけが侵入してくる。
鏡が一枚、また一枚と淡く軋みをあげる。
黒鏡は「何も映さない」はずだったのに、その時、中央の禁鏡にだけ「影」が浮かんだ。
女だ。
顔はなく、瞳の形だけがぼんやりと浮かんでいる。
黒髪が乱れ、笑っているように歪んだ口元だけが、こちらを向いていた。
私は、視線を逸らさなかった。
視線がぶつかる瞬間、空気が凍りついた。
禁鏡の奥、ぼんやりと浮かんだ「彼女」の影が、音もなく揺らめく。
その口元が、確かに「笑った。」
私は祝詞を止めない。
だが、言葉が焦げる。
口から出るたびに、祝詞は熱を帯び、焼け焦げた呪の灰が舌にまとわりついた。
「視るな」と戒められてきたその存在。
けれど今、私は正面からその「視線」を受け止めている。
視線とは、ただ見るという行為ではない。
それは干渉であり、侵食であり、侵略だ。
「彼女」の瞳が揺れるたび、私の内側に何かが食い込んでくる。
頭蓋がきしみ、視神経の奥で脈打つ痛み。
見続ければ見続けるほど、こちらの意志が削られていく。
それでも、視線を逸らすわけにはいかない。
この儀式は、「見返す」ことでしか、終わらせることができないのだ。
黒鏡が共鳴するように唸り始めた。
四方の鏡が音を立て震え、表面に亀裂が走る。
そして「彼女」が、動いた。
鏡の奥で、首を傾け、髪を垂らし、ゆっくりとこちらへ身を乗り出してくる。
拝殿の結界が焼け落ち、天井から吊るされた御幣が、風もないのに逆さに揺れる。
「彼女」は鏡の中ではない。
今この場に、私の正面に、現れつつあるのだ。
「ならば」、私は呪符を口に含み、瞼に押し当てた。
第五の禁鏡が、鈍い音を立てる。
「目」が、完全に開いたのだ。
「彼女」の視線と私の視線が、一点で交錯する。
瞬間、音が、視界が、世界が、すべて反転した。
視られるだけの存在ではなくなった私は、ついに「視返す者」となったのだ。
「彼女」がわずかに後ずさった。
その口元から、笑みが消えていた。
次の瞬間、鏡の中で「彼女」が絶叫した。
だがそれは、耳では聞こえない、心の奥を裂くような声だった。
その悲鳴に呼応するように、四方の黒鏡が砕け散る。
そして私は、儀式の最終段階へ移行した。
第五の禁鏡に供物として、自らの視線を捧げるのだ。
つまり「目」を閉じるのではない。
「視る力」を手放すのだ。
私は視線のすべてを捧げ、視る力を手放す。
呪符が瞼に溶け込み、視界が閉じる。
その時、「彼女」の姿は霧のように第五の禁鏡に吸い込まれ、掻き消えた。
死闘は、終わったのだ。
「見られている」ような気配消え、拝殿には、静寂が訪れた。
【追記:記録係の覚え書き】
巫女 詩織は、儀式ののち、視界だけたなく、言葉を発することもできなくなった。
目は閉じられ、瞼には不思議な封印文様が浮かんでいる。
巫女は、自らの視線を断ち、彼女の視る力を封じた。
しかし、境内の監視カメラが時折切れ、画像には目のような模様が浮かぶことがある。
「あちら」はどうやらまだ、覗いているらしい。
いや、私たちの目を通して、こちらを見ているのかもしれない。
もし、あなたのスマホカメラが時折勝手に起動することがあれば。
もし、誰もいないはずの場所に「視線」を感じたなら。
どうか、絶対に、振り返らないでほしい。
第五の禁鏡に封じられた「視線の回廊」の欠片は、まだ世界のどこかに残っているのだから。
フォロワーゼロの女 階段甘栗野郎 @kaidanamaguri
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