第8話 : 視線封じの巫女・・・記録されざるもの

私の名は詩織。


とある山間の神社の巫女を、代々続けている。


あの日、拝殿の前にひとりの男が倒れ込むようにやってきた。


顔面は蒼白、髪は乱れ、瞳孔は開いていた。


何かを必死に振り払うように、見えない「何か」から逃げるようだった。


彼は名乗らなかった。


ただ、「見られている」とだけ、繰り返していた。


その言葉を聞いた瞬間、私は、この神社に伝わる古き言い伝えである「封じ」を思い出した。


私は、この神社に代々仕える巫女の家系に生まれ、幼い頃から「視線」に関するしきたりを教え込まれてきた。


「視線は、魂の入口。」


「見つめるな、見られるな、通すな。」


子供の頃は意味がわからなかったが、大人になって、あれは「古い存在」にまつわる教えだと知った。


かつて、この地には「視られたいもの」が棲んでいた。


名もなきそれは、誰かの「視線」を入口に、この世に入り込む。


神社に残された古い絵巻物に記されたその存在には、顔はなかった。


ただ、巨大な「目」だけが描かれていた。


少し落ち着いてきた男は、Lと名乗った。


そして、その者の口から出た名前。


「@n0_follower_girl」。


それを聞いた瞬間、私は鳥肌が立った。


それは、数年前から巫女仲間の間で囁かれていた「現代の憑きもの」の噂だった。


SNSという名の「祭壇」に棲む、記録を喰らう霊。


「見られたがりの女。」


誰にも見られない、誰にもフォローされない。


けれど、見る者の魂に触れることで、その存在を「上書き」していく。


記録が消え、名前が消え、人が忘れていく。


そうして、視線の先にある者を「ゼロ」にする。


噂は、本当だったのだ。


私は、Lを本殿に匿い、ひと晩だけ泊める事にした。


その間、私は、「視線の結界」を張ること決心した。


かつて、古の巫女たちは「視線」そのものを封じるため行った、鏡を使った儀式を。


「見る」「見られる」という双方向性を断つため、境内の東西南北に四枚の黒鏡を置き、視線の通路を折り返す。


そうすることで「目」を外界から遮断するのだ。


Lが眠る間、私は一睡もせず、拝殿の中央に座して祈った。


そして、その晩だけは、視線の気配が消えた。


しかし、翌朝、Lがスマホを再起動してしまった。


「・・・ああ・・・また、見てる」


そうつぶやいた彼の目には、もう人の気配がなかった。


スマホの画面を見せてはくれなかったが、彼の手は震え、瞳は焦点を失っていた。


「彼女が、笑ってたんだよ」


それが、Lが最後に私にかけた言葉だった。


彼は、ふらふらと境内を出ていき、それきり、戻らなかった。


数日後、Lの足取りを調べたが、彼の記録はどこにもなかった。


防犯カメラの映像も、参拝者の記録も、SNSの投稿も、すべてに「存在しない人間」となっていた。


私の記憶にだけ、彼は残っている。


それが、何より恐ろしい。


今、こうして記録を残すのも、本当は禁忌に近い。


なぜなら「記す」という行為は、それ自体が「視線を定着させる」行為だからだ。


だが、私はあえてこの言葉を残す。


もしあなたが「誰かに見られている」と感じることがあれば、それはただの錯覚ではない。


そして、もしあなたのまわりから少しずつ記録が消えていくなら


もう、振り返ってはならない。


見返してはいけない。


絶対に、あの「目」と視線を交わしてはならない。


彼女は、今もどこかで誰かを見ている。

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