第5話 兆し

「もう一回投げて」

藤瀬の言葉に翔の胸は高鳴っていた。

「ーー分かりました。」

静かに応え、渡されたボールを握りしめながら一歩踏み出す翔。

どこか懐かしくも胸を締め付ける、競技の感覚を背中に感じる。


すると背後から、駿の声が飛ぶ。


「力みすぎんなよー、翔。最初はボールぶれるの当たり前だって!」


言いながらも、駿の声には緊張がにじんでいた。

翔がこの場で何を感じ、どう動くのか。ずっと間近で見てきた親友として、駿はその瞬間を逃さず見届けていた。


先ほどよりも速く走り出す藤瀬。


それを見てタイミングを感じとる。

ーーーリリース


翔の放ったパスは、わずかに乱れながらも

確実にさっきよりもキレイな回転で弧を描き、

藤瀬の胸元に収まった。



「やっぱりやるじゃねぇか」

駿がぼそっと呟いた。だが、口元はほっとしたようにゆるんでいる。


「な?いけそうな感じ、あるだろ?」


駿の声に翔が振り返る。


すると駿はふっと笑いながら言った。

「……あんだけ渋っといて、めっちゃ楽しんでんじゃねーか。お前のそんな顔、久しぶりにみたよ」


「…は?そんな楽しんでなんてーーー」

翔はいつの間にか自分が興奮していたことを自覚すると心のどこかで火が灯ったのを感じた。


そのとき、グラウンドの端に立っていた白石優奈が、ぱっと顔を明るくして駆け寄ってきた。


「見たよ、翔くん! 今のパス、すっごく良かった!」


「えっ……そんなに良くは……」


「ううん。最初のより、ずっとスパイラル綺麗だった。目、真っ直ぐになってたし」


真剣な眼差しで、そう言われると、翔はなぜか視線をそらしたくなった。


「……自分じゃ、よくわかんないっす。でも……投げた瞬間、ちょっと気持ちよかった」


 


その一言を聞いた優奈の頬が、ふわっと緩んだ。


「そっか。それなら、来てくれてよかった」


その笑顔を見たとき、翔はふと気づいた。

彼女は“来てくれて嬉しい”だけじゃない。

“翔が何を感じたか”をずっと見ていたんだ、と。


氷川キャプテンが腕を組んで翔を見据えた。


「どうだ? もう一球、投げてみるか」


梶本先輩がにやりと笑いながら言う。


「んじゃ、今度は実戦形式いこうか。1on1ドリル準備しとくぜ


翔が再びグラウンドに立つとき、駿が背中を押すように言った。


「いけ。気になったなら、それだけで十分だ」


「さっきから外野みたいにしてるけど、お前も体験なんだろ?着替えて準備してこい」

氷川は駿をクラブハウスへと連れていった。


優奈は、そんなみんなの背中を遠くから見つめながら、そっと口の中でつぶやいた。


「……楽しそうで良かった」


彼女の声は、グラウンドの歓声にまぎれて誰にも届かなかった。

けれどそのまなざしは、確かに“誰よりも近くで、彼らを応援している”目だった。


再び右手にボールを持った翔。

先ほどよりも、ほんの少しだけ強く、そして真っ直ぐに。


 


その一球の先に――何かが待っている気がした

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