えくぼヶ原 —白夜神社は夢を唄う―

 教会で葬儀を終え、喪服の黒いジャケットを椅子に掛けた翔子は、司祭の自宅で一息ついていた。

 そこへ、歩いてきた一希が翔子にコップを差し出す。

「お疲れ様」

「あ、ありがとう……」

 喪主を務めた翔子は、変な緊張から疲弊していた。肉体労働があったわけではないが、やはり気持ちは滅入っていた。

 温かいコーヒーを口に含み、ふぅとため息をこぼす翔子を見つめながら、一希は彼女の正面に座る。そして、机に置いてある手紙を取り、文面を読み返す。


『絹の糸を金に変え、白夜神社で唄ってから、雨の下で品出しする女に会えば、私の最後の願いが叶う』


 その内容は、一晩置いて見返しても全く理解できるものではなかった。

「師匠は、どうして2度も続けてこんな分かりにくい手紙を用意したんだろうな」

「うん……イタズラ好きってタイプじゃなかったんだけどね」

 翔子の記憶では、そう認識している。だが実際には、ここ7年は全く交流をしていなかったので、最近の父親がどんな趣味を持っていたのか、皆目見当がつかない。

「ねぇ、お父さんって亡くなる直前、というよりここ数年に、何か変わった趣味とか無かった?」

「うーん、俺が師匠と一緒にいたのは、だいたい工房で風車かざぐるまを作るときだからなぁ。その時に与太話はほとんどしなかったし」

 そういいながら、心当たりがないかと記憶を辿ると、一希は「あっ」と声を漏らす。

「趣味じゃないけど、先々週あたりによく外出していたのは違和感があったなぁ。それも何か買い物に行くわけでもなく、ほぼ手ぶらで」

「もしかしたら、教会に行って司祭に手紙を託したり、『鐘の舌』の木箱に手紙を仕込んでいたのかもね」

「うーん、そうかもだけど、中には教会を往復するのは不可能なくらい、すぐ帰ってきたときもあったんだ」

 雅治は5年前から病に侵されており、残念ながらすでに不自由な生活を強いられていた。なので、走ることなんて不可能だった。

「俺たちでも教会まで歩いて片道30分はかかるだろ?でも師匠、10分もせず帰ってくる日が2日くらいあってさ。気になったんだよね、どこ行ったのか」

「訊かなかったの?」

「もちろん訊いたさ。けど『別に』ってはぐらかされて……」

 ということは、自宅の付近で特別な用事があったということ。

 しかし、風車に囲まれた春日家の自宅は、すぐ北東部を山々に囲まれている。となると、近所にある建物といえば……。

「……白夜神社、しかないね」

 翔子の家から5分ほど南東に歩くと到着する、町唯一の神社。

 今いる教会とはまるで相対するかのように、町の正反対に位置する。

 そこに、父の願いを叶えるヒントがあるかもしれない。

「……私、あそこあんま行きたくないんだよね」

「昨日、手紙を読んだときも、嫌そうな顔してたよな。何かあったのか?」

 一希の言及に思わず「別に」とかわそうとして、父と同じはぐらかそうとしていることに気付いた。それが何となく気に入らなかった翔子は、少し顔を背けながら口を開いた。

「小学校に入る前、お父さんから白夜神社の伝説を聞いたの」

「白夜神社の伝説って、名前の由来になったやつか?」

 翔子は目を合わせることなく、コクリと頷く。


 昔、夜が怖いと泣く子供がいた。その恐怖の心に魔が取り憑き、その子の周囲から夜が消えた。それを聞きつけた霊験あらたかな僧が、その魔を退治し封じ込め、毎年その魔を鎮めるために祭りを行い、豊かになったその土地に建てられた神社に「夜を消す魔を鎮める神社」として「白夜神社」と名付けられた。


「その話を聞いたのが幼い頃だったから、ずっと『魔』が神社にいるんだと思い込んじゃって……それから、神社に近寄れなくなっちゃって」

 自分で言うのが恥ずかしく、引き続き顔を逸らしたまま語る。一希にはその表情が長く綺麗な茶髪に隠れて見えないが、チラリと覗く右耳が僅かに赤くなっているのは確認できた。

 だが、それを言及するのが野暮だと分かっていた一希は、気付いていないフリをしながら提案する。

「じゃあさ、一緒に行くか?昨日みたいに何か分かるかもしれないし」




※※※




 神社に向かう前、遠方から来た参列者が帰るのを見送るため、港に行った翔子は、船が離れていくのを見ながら教会へ歩いて戻っていた。その道中、初恋橋の上で一希が待っているのに気付いた。

「どうしたの?」

「俺もここでみんなを見送っていたんだ」

 翔子が振り返ると、たしかにさっき見送った船が遠ざかっていた。欄干に咲く小さな花も、一緒に見送っているように感じた。

 翔子が船を見つめているのか、地平線を見つめているのか、横で見ているだけでは分からない。しかし、一希がその両方を見つめていないのは言うまでもない。

 美しい同級生の横顔を見つめながら、7年前に同じ場所に来ていた日を思い出していた。



 7年前、中学校を卒業した翔子が東京に出ていくと聞きつけ、急いで追いかけた。港に向かうとき、オルガン岬で翔子に追いついた一希は、我慢できず呼び止めてしまった。

「ま……待てよ!翔子!」

 背後から呼ばれた翔子が振り返ると、走ってくる同級生に驚きが隠せなかった。

「か、一希くん……どうして」

「お前の親父さんから聞いたんだよ」

「お、お父さんから!?なんで……?」

「俺、親父さんのところで修行することにしたんだ。風車職人になるために」

「うそ……」

 口を覆い、目を丸くする。こちらを見つめる宝石のようにきらめく黒瞳に、一希は吸い込まれそうになった。しかし、どうにか踏ん張り耐える。

「別に町を出ていくのは止めない。でもせめて、親父さんとは話し合って……」

「いっぱい話したよ!東京には仲のいい従姉妹いとこがいて、一緒に住むから大丈夫って!でも……お父さん、出て行っちゃダメだって、その一点張りで……」

「だから、クラスのみんなにも黙って東京の高校を受験したのか」

 肯定も否定もしない。しかし、一希は根拠のない確信を持っていた。

 一希は葛藤にさいなまれながら、拳を握りしめて口を開く。

「後悔は、してないのか」

「……うん。友達と会えないのは寂しいけど、私にはやりたいことがあるから」

 右目から一粒の涙をこぼした瞬間、翔子は背を向けた。そして荷物を持ち直す素振りを見せ、一希が「待っ……」と小さく声を漏らす。

「ごめんね。お父さんをよろしく。さよなら」

 独り言のような声量で呟く。辛うじて聞こえた一希は、まったく動くことができなかった。

「さよなら、じゃなくて……またね、にしてくれよ」

 対称に、一希の声は歩く少女に聞こえなかった。

 それは声量のせいか、はたまた崖下から鳴り響くハーモニーのせいか。

 2人がいるオルガン岬は、見えない崖下で潮の満ち引きにより穴を空気が通過するときに様々な音階の音は響くことから、「海の底にオルガンがある」という迷信から命名された。

 つまり一希の声を遮っているのは、海の底から奏でられる祝福のハーモニー。もっとも、今だけは祝福ではないが。


 意思を固めた翔子を止めることはできず、一希は初恋橋から彼女の乗る船を見送っていた。

 この橋は見た目に分からないくらい僅かに傾いており、船を見送るため橋を渡ると少し駆け足になる。この様子が「離別を惜しむ男女のようだ」と言われ、ロマンチックに命名された。

 しかし一希は歩く気になれず、欄干に腕を乗せボーっと船が小さくなるのを見つめるだけだった。自分がぽろぽろと涙を零しているのも気付かずに。

「なんで……初恋、なんて名付けたんだよ……」

 昔の洒落た命名者への恨み節を零しつつ、欄干に拳をドンと打ち付けた。

 まるで自分のことを言われている―――そう思うと、余計に心が締め付けられる気持ちになった。

 船が見えなくなる前に踵を返し、帰路に就いた。はらら通り商店街を通るとき、床屋から聞こえるハサミの音や、定食屋から漏れるAMラジオの音が、普段より鮮明に聞こえた気がした。それも、普段とは異なる不協和音として。

 翔子を見送る、という判断は正しかったのか――――自室のベッドで寝落ちるまで、ずっとずっと自問し続けた。



「翔子さ、この町を出て行った日のこと、覚えてるか?」

 哀しき回想を引きずったまま、一希は思わず質問していた。

「え?まぁ、覚えてるけど……」

「俺さ、翔子が東京に出ていくのを止めなくて良かったのか、分からないんだ。確かにお前の夢だった雑誌編集の仕事には就けたわけだけど、親父さんの死に目には逢えなかったわけだろ?だから、あのとき止めるべきだったのかなって……」

「そんなの、君が決めることじゃないよ」

 真剣に目を伏せる一希の横で、翔子はクスクスと小さく笑う。

「でも、なんでそんなに私のこと考えてくれるの?」

 その問いかけで、一希の全身は電流が走ったように固まった。まるで、すべての筋肉が痙攣けいれんしたかのように。

 言葉に詰まっていると、視界の端で赤い花びらがユラユラとなびいていた。見ると、欄干の上に咲く深紅の花だった。

 初恋橋の欄干には、いつもきれいな赤い花が咲いている。花が育つわけのない環境で立派に花弁を開くしくみは、誰も分からない。

 そんな謎めいた花が、自分を見つめているような気がした。

 初恋橋を象徴する紅一点が、微笑んでいるような気がした。

「初恋……」

 一希が思わず呟いた瞬間、聞きなれない金属音が耳に響く。ゴーン、ゴーン、と2回だけ、軽く響いた。

「これって、もしかして……」

「教会の鐘だね……!」

 翔子がパッと笑顔を咲かせ、教会を振り返る。遠くて鐘が動いているようには見えないが、思わず手を振ってしまう。その様子を微笑ましく見つめていると、突然ロングの茶髪をなびかせながら一希の方を振り返った。

「ごめん、さっき鐘が鳴る直前、何か言いかけてなかった?」

「あぁ、はつこ……」

「ん?」

「……は、初恋橋にいる場合じゃないよ。早く白夜神社に行こう」

「うん!そうだね!」

 軽い調子で返事する翔子の後ろを、頭を抱えた一希がついて行った。

 その足取りが少し駆け足になっていることに、一希は気付いていなかった。




※※※




 神社の鳥居を前に、翔子は思わず足を止めてしまった。神社が見え始めたところから足取りは徐々に重くなっていたが。

「うぅ……やっぱ小さいころのトラウマは消えないね」

「生まれたての小鹿みたいに震えてるところ悪いけど、俺は中に入るよ」

「う、うん」

 一礼して鳥居をくぐる。翔子もその後ろをついて行き、ビクビクとおびえながら神社の石段を上っていく。途中ですれ違う巫女みこにすらびびっていたが、一希はそれを気にすることなく歩みを重ねる。

「師匠の手紙には『絹の糸を金に変え、白夜神社でうたってから、雨の下で品出しする女に会えば』って書いてある。だから、絹の糸を探す必要があると思うんだけど」

「そ、そんなの、売ってるの?」

「いや、ここの売店はおみくじとお守りしかないはず」

「えぇ……」

 なんとなく賽銭箱まで来た2人は、小銭を放り投げ手を2回叩く。そして願い事を終え、周囲に他の参拝客がおらず、落ち葉を掃除している巫女みこくらいしかいないのを確認してから、少しだけ境内を探して回る。しかし、明らかにそれらしきものは無かった。

「たまーに糸切れみたいなのは落ちてるけど……」

「そもそも仮に絹の糸があったとしても、それを『金に変える』のは不可能じゃないか?機織はたおりにでもなれとでも?」

 埒が明かない、と割り切った翔子は手紙の文言を再び思い出す。


『絹の糸を金に変え、白夜神社で唄ってから、雨の下で品出しする女に会えば、私の最後の願いが叶う』


「白夜神社で、何を唄うんだろうね」

「そりゃ、『月無しの唄』だろ」

「な、なにそれ?」

 知ってて当然、みたいな口調で言われ、翔子は唖然としてしまった。そのリアクションを見て、一希も同じく唖然とする。

「し、知らないのか……白夜神社の伝説の中で、お祭りを開催して魔を鎮める行事があるだろ?その祭りで『月無しの唄』を歌うんだよ」

 白夜神社の名前は、夜を畏怖する子供から夜が消えたことに由来する。つまり月が見えなくなったことから『月無しの唄』が生まれた。

 町の人なら常識のように知っているが、神社を忌避し続けた翔子にとっては、新鮮な知識だった。

「そうなんだ……じゃあ、そのあとの『雨の下で品出しする女』も何かあるの?」

「いや、ピンとこないなぁ。単に雨の日に品出しのバイトしてる女性しか浮かばないけど」

 翔子も、その悲しき境遇の女性をイメージしていた。その映像を振り払い、翔子は再び手紙に向き直る。

「うーん、雨でも降れば何か分かるのかな?」

「あ、そういえば、一つだけ思い当たるよ」

 翔子の言葉でふと閃いた一希が、顎に右手を添えながら噂話を思い出す。

「たしか白夜神社のお祭りの日は、いつも必ず雨が降るって伝説があるはず」

「それって、白夜と関係あるの?」

「さぁ?夜が消えるなんてありえないから、昔は夜のことを『曇ってるだけの昼』とか『雨が降ってるだけの昼』って表現したんじゃない?」

 かなり無茶な思考だが、時代よっては無知蒙昧な庶民を騙し、誤った常識を流布することは容易かもしれない。

 妙な可能性を憂いつつ、翔子は昨日のように思考力を働かせていた。

「つまり、お父さんの手紙の『雨の下で云々かんぬん』ってのも白夜神社のことを言ってるのかもね」

「……そうか、たしかに」

 翔子の言葉を聞いた直後、一希は何かに気付いたように呟いた。

「ん?なんか変だった?」

「いや、今の翔子の言葉で思ったんだけど……手紙では『絹の糸を金に変え、白夜神社で歌ってから……』って書いてあるだろ。ってことは神社が関与するのは『歌う』以降の部分で、最初の『絹の糸を金に変え』の部分は神社とは無関係なんじゃないか?」

 もし冒頭も白夜神社のことを言及しているなら、最初に『白夜神社で』と書き出すべき。そうしなかったことに、一希は明確な理由を見出した。

「でも、もしそうなら……結局、絹の糸って何のこと?」

「……そうなんだよなぁ」

 振り出しに戻ってしまったことを再認識し、2人は頭を抱えた。

「ほんと、なんでお父さんはこんな分かりにくい手紙にしたんだろうね」

「師匠って、クイズとかなぞなぞが好きだったのか?」

「うーん、あんまイメージないかな。むしろ私の方が好きだったよ」

「そ、そうなの?」

「うん。漢字クイズとか難読漢字とか、一時期めちゃくちゃハマってたなぁ」

 幼いころから読書が好きだった翔子は、早い段階から漢字に興味を持っていた。そのため、中学入学の時点で高校で扱う漢字まで勉強していたこともある。

 俺とは真反対だ……と理系の一希が心の中で驚きつつ、その話を聞いてから手紙の中の漢字が気になってしまった。

 絹……糸……金……唄……。

「あ、あれ?」

 ふと、一希に1つの可能性が見えた。しかし、そんなわけがないと首を振る。考え直そうと顔を上げたとき、翔子と目が合った。

「な、なに?」

「何、はこっちのセリフよ。何か思いついたみたいなリアクションして、黙ってる気?」

 頬を膨らませて睨みつける表情はまったく怖くなかったが、シンプルに言及されるのを危惧し、一希は隠すのを諦める。

「わ、分かったよ。けど、馬鹿にするなよ?」

 丁寧に前置きして、慎重に確認する。

 それは、漢字が好きだと自称する同級生だから、訊ける質問だった。


「金偏に口、なんて漢字ないよな?」




※※※




 その頃、時を同じくして、教会では司祭が古いアルバムを取り出していた。いくつかの黄ばんだ写真には、どれも男性2人と女性1人が写っていた。

 それは司祭と、亡くなった雅治、そしてその妻である哀の若き頃の写真。

 中学からの旧友だった3人は、よく遊びに行っていた。2人が結婚してからも、変わらずに。

 翔子が生まれてすぐ哀は命を落とし、悲しみに暮れていたが、一番辛いのは雅治だと歯を食いしばった司祭は、翔子が幼いうちはよく買い物などの手伝いをしていた。だから雅治と晩酌をするのは、いつも翔子が寝た後だった。

 そこで育児の愚痴を聞いたり、教育に関するアドバイスをしたり、哀が生きていた頃の思い出を語りあったり……。

 先週、急に病状が悪化し入院するまで、毎日のように晩酌していた。いつも他愛ない話ばかりだったが、2週間前は少し様子が違った。

『もし俺が死んだら、この手紙を娘に渡してほしい』

 最初は何かの冗談かと思ったが、友人の真剣な表情を見て、茶化すことはできなかった。今思えば、あれは死期を悟った雅治が、7年前に離別してから音信不通となった愛する娘への、最後のワガママだったのかもしれない。

「……にしても、どうしてそんな回りくどいやり方なのかねぇ」

 リビングでコーヒーを啜りながら、窓の外を見ると教会の鐘が真っ先に視界に入った。

 哀に鐘の音を聴かせたい、なんて一度も聞いたことがなかった司祭にとって、昨日の出来事は頭が痛くなることばかりだった。翔子の名推理で意図はなんとなく分かったが、その目的はさっぱりだった。

「今頃、君の愛娘と愛弟子が奔走しているよ」

 司祭の脳裏には、手紙に振り回される、楽しそうな男女の若者が映っていた。

 その2人は、今は亡き旧友たちの姿と重なっていて―――。




※※※




 一希は手紙を受け取り、自分の考えをゆっくりまとめていた。

「さっき話したけど、白夜神社に関連するのは、唄うこと以降だろ?だから、冒頭だけ独立して考えてたんだよ。そしたら何となく、使ってる漢字が被ってるなーって」

 そう言われた翔子は、文字を見返しながら唸る。

 絹……糸……金……。

「い、言われてみれば、『絹』と『糸』は漢字が被ってる部分はあるけど……それくらいじゃない?」

「それがさ、発想を広げるともう1つ見つかるんだよ」

 えぇ?と声を漏らし、翔子は手紙とにらめっこをする。

 もっと悩んでる翔子を見たかったが、時間も無限ではないので、一希は手紙を受け取って指をさす。

「この『白夜神社で唄う』ってのは『月無しの唄』を暗示してるだろ?そしたら手紙の情報は『絹の糸を金に変えて、月を無くす』って読めるんだ……」

「あ……」

 整理された情報を聞いて、翔子は一希の思考に追いついた。

「そう、『絹』の字には『糸』と『月』が入ってるんだ」

 思い出すのは、日本でかなり有名な部類に入るクイズの出題方式。

 謎の暗号文の傍にたぬきのイラストが描かれている問題。その暗号はたぬき―――つまり『た』を取り除くと読めるようになる、というもの。

「冒頭の文章は『絹の糸』を金に変える、じゃなくて……『絹』の『糸』を『金』に変える、だった」

 つまり今回は、『絹』という漢字に手を加える必要がある。そして指示通り、『絹』の糸偏を金偏に変え、さらに月を無くすと……残るのは金偏と口のみ。

「だから訊いたんだよ、そんな漢字あるのかなって」

「なるほど、すごいね」

 翔子は賞賛の気持ちと一緒に、合点がいったように手を打つ。そして、笑顔で答えた。

「あるよ、その漢字。読み方は『ボタン』だね」

「ぼ、ぼたん?植物の名前か?」

「じゃなくて、スイッチの方」

 まとめると、手紙の前半『絹の糸を金に変え、白夜神社で歌ってから』という部分は、釦という漢字を示している可能性が高い。しかし、暗号解読はここで終わりではない。

「残るは後半……『雨の下で品出しする女に会えば、私の最後の願いが叶う』だね」

「最後の部分は師匠の言葉だから謎解き要素は無いかもしれないけど……雨の下で品出しする女、ってのは何かありそうだな」

 いい感じに頭が回転しているので、2人とも1分くらい黙って真剣に悩んでみる。が、まったく閃く様子はない。

「うーーーん、ダメだぁ。さっきの話から、ずーっと私の頭の中が漢字でいっぱいになっちゃった」

 ハハハ……と一希は苦笑いしていると、ふと気付いたことがあった。それは手紙の内容とはまったく無関係だったが、気になってしまったので、つい口にしてしまう。

「そういえばお前、すっかり神社に慣れちゃったな」

「あ……」

 最初とは打って変わって、翔子は神社の中にいることに一切怖気づいていなかった。理由は単純で、手紙に夢中になっていたから。

「ま、私もいい大人だもんね。非科学的なものにいちいちビビってたら生きてけないよ」

「文系らしからぬ言い回しだな」

「いいでしょ別に。強いて言えば、例の『魔』を鎮めてくれた僧に感謝しておこうかな」

 白夜神社の由来となった、子供から夜を消した『魔』。

 そして、その『魔』を封印した、霊験あらたかな僧。

 ……。

 ……。

「……なぁ、もしかしたら俺、気付いちゃったかも」

「へ?」

 眉間にしわを寄せ、手紙を見返す一希。その俯いた表情が本気だと気付いた翔子は、彼が喋りだすまで待つことにした。

 その意図を汲んだかのように、一希は手紙から目を離さずに話す。

「手紙の前半は『漢字』に注目しただろ?後半も同じだとしたら、『雨の下』ってのは『雨冠』の下じゃないか?」

「下、って例えば、『雪』だったらカタカナの『ヨ』とか、『雷』だったら田んぼの『田』とか?」

 うん、と頷きながら翔子と目を合わせる。しかし、それ以降は言葉が続かない。

「……で、その雨冠の漢字って何なの?」

「……そ、そうだよね」

「えーっ!?思いついてなかったのー!?」

「仕方ないじゃん!てか、雨冠のことに気付けただけでも褒めてほしいよ!」

 危うく喧嘩しそうになるが、別に争う必要もないし、争ってる時間もない。何か他にヒントがないか考える。

「にしても、なんで急に閃いたの?」

「えっと……白夜神社の伝説に出てくる僧って『霊験あらたかな僧』って呼ばれるだろ?その『霊験あらたか』って珍しい形容表現だなーって思ってたら、その『霊』って文字が頭から離れなくなって」

「なるほど、『霊』は雨冠だもんね」

「でも、『霊』の雨冠の下の文字はよく分かんないし、手紙の『品出しする女』ってのにあわなくて」

「そうだね……ん?」

 今度は翔子が、一希の言葉を聞いて表情を曇らせる。その反応にすぐ気付いた一希は、対称的にパッと表情を明るくする。

「も、もしかして、何か閃いたか!」

「ちょ、期待しないでよ。でも、多分そう」

 照れたように一希の肩を小突きつつ、スマホを取り出して操作する。検索サイトを開き、30秒ほど調べてから小さく頷く。

「分かったよ。お父さんの手紙の意味」

 そう言って、翔子はスマホの画面を一希に見せる。そこには大きく『靈』と表記されていた。

「な、なんだ、この漢字。見たことない」

「これは、さっきまで話題だった『霊』の旧字体だよ」

 旧字体————戦後の渦中で、表記が難しく日常生活での使用が困難であるとされた漢字たちに対し、漢字改革により表記を変更された漢字たちがある。有名なところだと「くに」や「さわ」など、現代でも日常で見かける漢字も多い。

「この『靈』の漢字に着目すると、『雨の下』で『品』を出す―――つまり『雨冠の下の部分』から『口3つを外す』と、別の漢字が残るよね」

 再びスマホを操作し、別の漢字を表示する。そこには「巫」と書かれていた。

「これは『かんなぎ』って読むんだけど、この字を使った熟語に心当たりってない?」

 漢字に詳しいわけではない一希は、これを「かんなぎ」と読むことは知らなかったが、その字を使う熟語には心当たりがあった。

巫女みこ……」

 2人で授与所———お守りなどを売っている建物を見ると、1人の巫女が受付として立っていた。それを遠巻きに見つめながら、手紙の真意を読み解く。

「文章の『雨の中で品出しする』までが『巫』を示しているなら、その女ってのは『巫女』のことで確定だね」

「つまり、あの人に会えば、師匠の願いが叶う……」

 目を合わせ、力強く頷くと、2人ならんで授与所へ向かった。

 受付にいた同い年くらいの巫女は、2人を笑顔で迎え入れた。

「こんにちは。おみくじですか?」

「いえ、ちょっとお伺いしたいことがありまして……春日 雅治から、何か聞いていませんか?ボタンに関係すると思うんですが」

 翔子は、手紙の前半が『釦』を暗示しており、後半が『巫女』を暗示していることから、きっと彼女には『釦』について尋ねるべきだ、と考えた。

 そして、その考えは正解だった。

「……はい、受け取っております。少々お待ちください」

 そう告げて立ち上がり、奥の方へ姿を消す。1分も経たず再び現れたその手には、女性の手に収まるほど小さな、黒色の直方体の箱があった。その1面には、青色のボタンがついている。

「このボタンを3秒長押ししてください。それも、あそこに見える大きなムクロジの木の下で」

 巫女が装置を手渡し、授与所から身を少し乗り出して2人の背後にある樹木を手のひらで示す。振り返ると、見上げるのも大変な巨大なムクロジの木があった。

 巫女に礼を告げ、すぐに木に移動した。巫女が何者なのか気になったが、それ以上に翔子と一希にはしたいことがあった。

「このボタンを押せば、師匠の願いが叶う……」

「うん。いくよ」

 翔子は親指で、強く離さないようボタンを押す。3秒後、ボタンの右上にある微小なLEDが赤く点灯し、ピッと小さく音がなる。

「……何も起こらないね」

「……いや、遠くから何か音が聞こえる、気がする」

 一希の言葉を受け、翔子は耳を立てて注意深く聴力に集中する。確かに、遠くで低い重低音が鳴っている気がする。

「あ……アレ!」

 すると隣で一希が、大きな声を出して遠くを指さす。北の空あたりをさしていた。

 その指の延長線上を翔子もたどると、そこには風車ふうしゃがいくつかあった。

 そして、それらがゆっくりと動きだしていた。

 その景色は―――目の前に広がるえくぼヶ原の景色は、確かに翔子の記憶の中にあった。



 いつだっただろうか。

 あれは確か、白夜神社のお祭りの日。

 隣には―――――お父さんがいた。



「私、ここから見える風車が、一番好きだな……」

 風車を見つめながら、翔子は小さく呟いた。

 その言葉を聴いて、一希はハッと目を丸くした。

「昔、ここでそう言ったことがあるの。あの時と、何も変わってないなぁ」

 無意識のうちに、僅かに頬が持ち上がっていた。そして、1粒の涙を零したのも、無意識だった。

 一希はその涙を目で追いかけながら、師匠に託された最後の言葉を思い出す。


『翔子が一番好きだって言った景色があったんだ。その景色をもう一度見せて、一希が守ってくれないか』


 その景色が何かは教えてくれなかったが、今はっきりとした。

 その瞬間、一希の中で、守るべきものが決まった。

「ふふっ。でも変なの」

 涙を指で拭いながら、翔子は薄く笑いながら風車を見上げる。

「あの時より身長はずっと高くなってるはずなのに、景色が何も変わっていないや」

 その微笑みに「……そうだね」と口先では相槌しつつ、心の中では違う返事をしていた。



 違うよ……幼少期と景色が同じなら、翔子が今の目線くらいにいたということ。

 きっと昔のことだから記憶がぼやけてるんだろうけど、親父さんに抱きかかえられていたんだろうな。

 親父さんは、同じ景色を見ていたんだよ。

 親父さんが守ってきた、町のシンボルである風車を。

 親父さんが守ってきた、最愛の娘を抱きしめながら。

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