えくぼヶ原 —閏坂の呪いと教会の祝福—
その昔、怪我をした鹿が草原に座り込んでいた。近くを通った朗らかな老人がその鹿の怪我を治したところ、その鹿は人に懐き、人里に姿を見せるようになった。鹿を「天の使い」や「邪を払う」とする地域も多く、人々は鹿を快く受け入れた。
その鹿は、特に人々の笑い声に反応して現れた。その話を聞いた時の貴族が、「笑うと現れる鹿」のことを「えくぼのようじゃ」と述べ、「えくぼの鹿」と噂されるようになった。
そこから月日を経て、旅人が「えくぼの鹿が現れる土地」のことを「えくぼヶ原」と称し、それが今日まで定着している。
※※※
『次は~えくぼヶ原~えくぼヶ原~。右側の扉が開きますので~……』
電車内のアナウンスを聞きながら、
「……変わらないなぁ」
ベージュのロングスカートを小さく揺らしながら立ち上がり、キャリーバッグをガラガラと引っ張りながら歩く。ふと外の景色を見ると、ムクロジの木々が左から右に次々と流れていく。木漏れ日を遮るようにシャボン玉が浮いており、近くには3人の子どもが元気にはしゃいでいる。
電車を降り、無人の改札で切符を手放すと、陽気な春の風が優しく通り抜ける。艶のあるロングの茶髪をなびかせながらホームを出ると、すぐのところに懐かしい面影の男性が立っていた。
「あの……
「ん?あ、翔子……久しぶり。すっかり大人な顔立ちになったね」
「君だって同じでしょ。最後に会ったの中3の卒業式だし」
「それに、お前は都会に染まってるからな」
「なぁに?嫌味ですか?」
翔子のあきれ半分な指摘に、一希はクスクスと笑う。
「思い出すな……お前が親父さんと喧嘩して、東京に出ていくって決めたときのこと」
「もう7年前だもんね。今となっては、申し訳ないことしたな、って思うよ」
少し伏し目がちに呟く翔子の横顔を見て、一希もわずかに胸が痛くなった。しかし同時に、同級生の美しい横顔に見とれる自分がいるのも自覚し、その邪念を振り払うように頭を振った。
「立ち話も何だし、行こうか。親父さんの遺品整理に」
※※※
東京にいた翔子は、その知らせを聞いて急いで帰郷した。しかし、どうしても外せない用事があったのと、東京からのアクセスの都合が悪く、到着に2日かかってしまった。
亡くなった雅治はえくぼヶ原の工芸品である「
町一番の大きな通りである、はらら通りを歩きながら、元気に回る風車が遠くに見え、翔子は思わず頬を緩めた。
はらら通り商店街を通り抜け、
「そういえば、なんでこの坂が『閏坂』っていうか知ってる?」
「え?確かに言われてみたら、変な名前だよね」
「この坂の上に昔、強情な番頭が仕切る大店があって、そこの使用人はめったに休めなかったんだって。その使用人が4年に1度くらいしか坂を通らなかったことから、4年に1度ある閏年になぞらえて命名されたらしいよ」
「4年に1度の休みって……労基が黙ってないよ」
ちょうど就活を終え、内定をもらったばかりの翔子にとって、そんな職場環境は想像もしたくない。しかし、東京ならありえないような状況でも、田舎ならあり得るのかな……とかなり失礼な思考に至っていた。
「でもさ、なんでその使用人さんは逃げなかったんだろうね」
「さぁ?給料は良かったんじゃない?」
「今どきの若者らしからぬ意見だね」
翔子はクスクス笑うが、一希は自分が変なことを言った自覚がなかったため、首をかしげた。
そんな他愛ない会話をしていると、閏坂の先に古びたレンガの教会が見えてくる。建物の上部には錆の目立つ巨大な鐘がついており、町のシンボルの1つであることは言うまでもない。
「懐かしい……小さい頃は、この辺りでよく遊んだなぁ」
教会に入ると、10列ほどが横長の椅子が並んでおり、中央にある通路の先には荘厳な祭壇があった。外観に合わず、しっかり手入れされている。
その祭壇の目の前の椅子に、白い祭服を着た男性が座っていた。ところどころに金色の刺繍が施されており、神に仕えていることを暗示している。
その男性———教会の司祭は、翔子と一希が近づいているのを背中で感じ、ゆっくり振り返った。
「おや、見かけない顔だと思ったら、翔子ちゃんか」
「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「お父さんのことは、残念だったね」
司祭は仰々しく頭を下げる。翔子はリアクションに困ったが、とりあえずぺこぺこと頭を下げた。
司祭に案内され、教会のそばにある彼の自宅へ案内された2人は、リビングで司祭から1つの手紙を渡された。
「それは、君のお父さんが先週、病気が悪化して倒れる少し前に、私に預けた手紙だ」
宛先には、翔子の名前が書いてある。
司祭は、雅治と中学からの旧友らしく、入院した雅治の世話や葬式に向けた諸々の対応も彼が引き受けていた。今日からは翔子が引き継ぐが、そのお礼を告げるために翔子は挨拶に来ていた。
なので、父からの手紙という予想外のアイテムに、驚きが隠せなかった。
「無論、中身は見ていないよ。あと遺書は別で正式な手続きを経て届くから、これは遺書というより翔子ちゃん宛ての手紙だね。実に不器用な彼らしい気持ちの伝え方だ」
手紙を開けると、乱れた字で2文だけ書いてあった。
『
※※※
風車のそばにある実家へ入り、翔子は自分の部屋に荷物を置いてリビングに戻ると、一希がお茶を用意していた。
「一応、ここ私の実家なんだけど。本来は私がお招きする側じゃん」
「そうだけど、まぁ俺もここで数えきれないほど食事したし」
7年前、翔子が家を―――そして町を出て行った直後、高校生になった一希は雅治のもとへ風車工芸の弟子入りしていた。そのため、この7年間は雅治のもとで風車職人としての修行の傍ら、病気がちな師匠の身の回りのサポートもしていたため、家の勝手は翔子より理解していた。
食卓を挟んで向き合って座り、お茶で喉を潤した翔子は、先ほど受け取った手紙を再び取り出した。
「閏坂の呪いって、何だろうね」
「……思い当たるのは、やっぱ使用人の話か」
4年に1度しか休ませてもらえなかった使用人の噂。確かに、もし過労死なんてしようものなら、恨みから呪怨になっても……なんて非現実なことを考える余裕は、翔子にはなかった。
「哀って、お前のお袋さんのことだろ?」
「うん。お母さんは私が生まれたときに死んじゃったから、会ったことは無いんだけどね」
つまり、父は亡き母のために『閏坂の呪い』を解いてほしい、ということになる。その事実が、翔子を余計に混乱させた。
「じゃあ何?お母さんが閏坂の噂にある使用人と関係あるの?」
「でも、あの坂が命名されたのって戦後すぐだろ?そのころにお袋さんはまだ生まれてないはず……」
「じゃあ、お母さんの両親……私の祖父母とか?」
翔子は近くのタンスを開け、両親にまつわる様々な書類を探し出す。パラパラと見ていると、戸籍関係の書類を見つけた。
「えっと……おじいちゃんは『
「閏坂の使用人は男性だったはず。六松さんがその使用人だった可能性はあるんじゃないか?」
「そうだね……ちょっと気になるし、もっかい閏坂に行ってみようか」
学校の校庭で遊ぶ子どもたちが、自分らの影を指さして笑っていた。公園のベンチに座る男女が、仲良さそうにコンビニのホットスナックを分け合っていた。誰かの口笛の旋律がどこからともなく聞こえ、振り返ったときにはその音色はどこかの茂みに隠れてしまったようだった。
7年前、自分の住む町に嫌気が差して出て行ったとき、この景色は見えなかった。だから、翔子にはそのありふれた日常が、新鮮で仕方なかった。
「翔子?どうかした?」
「ん?あ、いや、別に……」
一希からの言及を流し、翔子はスマホを開いた。時刻は午後4時。
「なんか、お父さんの変な手紙に付き合わせちゃって、ごめんね」
「ううん。親父さん―――師匠には、お世話になったから」
一希の脳裏には、師匠からもらった最後の言葉が反芻していた。
それを自分の口の中で噛みしめ、力強く拳を握った。
そんな決意なんてつゆ知らず、翔子は頭の中で別のことを考えていた。
「閏坂の呪いってやつも気になるけど……教会の鐘のことも不思議だよね」
「そうだね。あの鐘は鳴らないんだけどな」
戦時中、教会の鐘は金属類回収令により取り払われた。戦後に市民の強い要望で復活したが、当時の司祭が『戦争に協力してしまった』と強く自責し、金を鳴らすために必要な部品を取り付けなかったという。
そのため、翔子の両親は鐘の音を聴いたはずがないのだが……。
「でも、鐘が鳴ったのを聞いた住民がたまーーーにいるらしいよ」
それは翔子も聞いたことがあった。しかし、彼女はそれを妄言の類として認識していた。両親も同様の妄言に取りつかれているのか……?
「あれ?翔子ちゃんに一希くん、忘れ物?」
なんて雑談しているうちに、2人は再び教会に戻ってきた。司祭が声をかけると、翔子は軽く会釈をする。
「あの、閏坂について教えてほしくて」
「さっきの手紙のことか。閏坂の話はうちの教会も他人事ではないから、色々と話せることがあるよ」
「教会と関係ある、ってどういうことですか?」
「順に話そうか……閏坂の先にある大店で、強情な番頭の元で給仕していた使用人がいたのは知ってるかな?」
司祭の話は、ついさっき一希から聞いた話だった。翔子はコクリと頷いた。
「その大店がもともとあったのが、いま教会がある位置なんだ。当時の町長の意向で教会を建設することになったとき、見晴らしがよく、かつ白夜神社と離れた位置にあるここが候補地になったんだね」
白夜神社は、町の東部にある小さな神社だ。そこにも様々な伝説が眠るが、翔子は小さいころにその噂話をいくつか聞いて以来、少し神社への苦手意識が芽生えている。
「その都合で大店は町に買い取られ、実質的にその番頭は追いやられてしまったんだ。当時の司祭は町長の暴挙に反対したが、結果的に番頭は町を出て行ったらしい」
「大店がなくなって、使用人さんはどうしたんですか?」
「あぁ。町の噂を聞いた司祭が、その使用人を教会に雇い入れたらしい」
つまり、使用人は新しい職場を獲得し、ごうつくな番頭は路頭に迷ったということ。その事実を知り、一希はホッと息を漏らした。
「なんだ。使用人は大店から解放されて、よかったですね」
「……それが、教会で雇われた直後、その使用人は自殺をしたんだ」
「「……え?」」
翔子と一希の声が重なる。あまりに急展開に、2人の思考は追いつかなかった。
「すまないが、私が知っているのはここまでだ。これが翔子ちゃんのお母さん―――哀さんに関係あるか分からないが」
「いえ、ありがとうございます。もう1つ、教会の鐘って、戦後に鳴ったことないですよね?」
「鐘?あぁ、鳴ったことがない、というより、鳴るわけがないね。何せ『鐘の舌』はないわけだから」
「鐘の……舌?」
「鐘の音源となる部品だね。そこが揺れることで鐘は鳴るんだけど……よければ本物を見るかい?」
翔子がお願いすると、司祭は教会へ姿を消した。司祭が戻るのを待つ間、2人は直前に聞いた不遇な使用人の境遇を思い出していた。
「せっかく面倒な番頭から解放されたのに、なんで死んじゃったんだろ」
「もしかしたら、それが『閏坂の呪い』なのかもな」
うーん、と一緒に唸っていると、司祭が大きな木箱を抱えてやってきた。
フタを開けると、中には細長い
「あれ?ここ、ちょっと欠けてません?」
一希が指さすと、確かに5センチほど青銅が剝がれていた。司祭は、それを見て目を丸くした。
「あれ?でも、話だとこの部品は付けなかった……つまり、この箱から出していないはずなのに……」
その司祭の呟きを聞いて、翔子は首をひねった。そして、1つの可能性を考えた。
※※※
初恋橋の欄干に背中を預け、翔子は夕日を眺めていた。
亡くなった使用人は、どんな思いで働いていたのか。そして、どんな思いで、教会での死を選んだのか。
ぐるぐると思考を回していると、首筋に冷たいものが触れ、思わず身体を跳ねさせる。
「ひゃいっ!って、一希くん……遅かったね」
「そ、そんなビックリした?」
さっきまで翔子の首があったところに、一希が持つペットボトルのリンゴジュースがあった。目で怒りを伝えながら、翔子はそのジュースを受け取る。
甘味と酸味を舌で感じながら喉を潤す。冷たい刺激を食道に流した瞬間、無意識にため息がこぼれる。
「ふぅ……」
「あのさ、さっきコンビニでジュース買ったとき、思い付きで店員さんに閏坂について尋ねたんだ。そしたら、面白い話が聞けたよ」
「面白い話?」
「あぁ。噂だと、その使用人は『如月』って男性だったらしいよ」
「それって……」
翔子の母・哀の父親————如月 六松。
「如月って、旧暦で2月を示すだろ?使用人さんがほとんど休みがないことを、4年に1度、2月に来る閏日にかけて、閏坂と称するようになったみたいだ」
その言葉で、翔子はハッとした。何故もっと早く気付かなかったのか、と。
閏坂。如月。その共通点は、2月。
これで、母親と閏坂が間接的につながった。思わず翔子は拳を握り、「よしっ」と小声で漏らしながら腰あたりでガッツポーズをみせる。
「嬉しそうだな。他にも大店が潰れた後、番頭さんが町を出ていくとき、その使用人は駅まで見送りに行ったらしいよ」
「駅まで、お見送り……」
「その番頭も、町を出た先で行方不明になったらしく、死んだって話すらあったとか」
その話で、翔子は使用人の気持ちを考え始めた。
休みがほとんどない職場環境で、噂されるほど健気に給仕していた。
そして、その職場から解放された直後、別の職場ですぐに命を絶った。
それも、時系列的には番頭の消息が不明になった直後に。
「……真逆じゃないのかな」
翔子が、ポツリと呟いた。うまく聞き取れず、一希は「ん?」と耳を近づけて聞き返す。その距離、わずか5センチ。
「ちょ、近いよ」
「あ、ごめん……」
翔子は優しく肩を押した。一方、距離を確保された一希は、薄く頬を赤らめながら顔を背ける。
その頬の色は、欄干の上に咲く花と同じ色だった。
※※※
三度、教会に戻った2人は、司祭と合流し3人で机を囲んでいた。
「これは私の想像なんだけど……やっぱり閏坂の語源になった使用人は、私の母のお父さん―――つまり、私の祖父である如月 六松さんだと思う。祖父は坂の上部にある大店で、強情な番頭のもとで働いていた。けど近隣の人に噂されるほど、休みなく働いていた」
「きっと、みんなの噂通り、使用人にも手厳しい番頭だったんだろうね」
————翔子も、司祭の言う通りに思っていた。
「でも、教会建設のため大店が潰れ、番頭は町を追い出された。同時に祖父は教会で働くことになったけど、町を出た番頭が消息不明になったのとほぼ同時期に、祖父は命を絶った。偶然のように感じるけど、ある可能性を考えたとき、私はそれが恣意的なものに思えたんです」
「ある可能性?」
「うん。もし頑固な番頭が、使用人である祖父に優しかったとしたら……」
みんな、番頭が厳しい人だという印象が強い。
しかし、翔子はその発想を覆せると思った。
「もしかしたら、お客さんや周囲の人には厳しい人だったのかもしれない。けど、従業員である使用人にも厳しいとは限らないよね」
「そ、そう、なのか……?」
「私も半信半疑だけど……番頭が町を出ていくとき、祖父がお見送りに行ったって話を聞いて、その可能性を考えたの」
司祭は聞いたことのない話だったため、眉をひそめた。
「見送りって……」
「はい。見送るなんて、嫌いな相手や苦手な相手ならあり得ない。というより、むしろ好意があったと思うべきかと」
これは翔子の想像の域を出ないが、強い説得力があり、2人とも黙って聞き入ってしまう。
「仮に祖父が番頭に信用があったとして、その番頭が町を出て間もなく消息不明になった……そのことで祖父が失意に陥ったとしたら、絶望して命を落とすことも否定できない」
「でも、そこまで番頭への好意があったなら、教会で雇われずに番頭について行くんじゃないか?」
「多分、当時の司祭も番頭と同じで、祖父を優しく受け入れたんじゃない?大店で休まず働いていた理由が、もし家に帰れない事情とかだったとしたら、大店がなくなった後も同じように教会に住み込みで働くつもりだったんじゃない?」
「そうか……それで当時の司祭が翔子ちゃんのおじい様を迎え入れ、番頭と同様にかくまったのか」
もちろん想像ですけどね、と翔子は舌をペロリと出す。話についていくのに必死な一希は言葉が出てこないが、司祭は翔子と同じ思考になりつつあった。
「ちなみにもう1個、私の想像なんですけど……祖父が働き詰めだった、つまり家に帰らなかった理由について」
「え?それも分かったのかい?」
「想像、ですけどね。祖父が教会で雇われたなら、司祭さんも祖父の事情を知っていたはず。それを暗示していたのは、教会の鐘です」
翔子が少しだけ視線を上げると、窓の外から丘の上にそびえたつ教会が見える。その中央には、夕日を反射してもなお黄金色の鐘が輝いていた。
「あの鐘には『鐘の舌』が付いていない。けど、先ほど本物の舌を見せてもらったとき、司祭も知らない欠けた部分があった。つまり、鐘は一度付けられて、それから外された」
「でも私が聞いている話だと、当時の司祭が戦争協力であったことを自責し、取り付けなかったはずじゃ……」
「自責したのは本当かもしれないけど、鐘を付けていた証拠がある以上、取り付けなかったのは違うと思います」
所詮は噂話。時を経て、どこか誤植されたまま現代に伝わることは容易にあり得る。でも、目の前にある物的証拠は嘘ではなく、信用すべき根拠となる。
「話をまとめると、司祭は戦争協力を自責し、一度は取り付けた鐘の舌を結局は取り外したことになりますが……なんで『鐘』ではなく『鐘の舌』を外したんでしょうか?」
「それって……『鐘の舌』に意味があるってこと?」
翔子の言いたいことを汲み取り、一希が尋ねると、翔子は力強く頷いた。司祭は顎に右手を添え、うーんと悩む。
「あの金属部品には、振動することで鐘の音を響かせる以外に役割は無いはずだけど……」
「私は、その役割ではなく、名前に注目しました。鐘の『舌』を外した……つまり、舌を切り落としたんです」
「それってもしかして……『舌切り雀』か?」
一希の目を見て、またしても翔子は無言で強く首肯する。
舌切り雀———日本の有名な昔話の1つで、要約すると心優しいお爺さんと欲張りなお婆さんを対立的に描き、謙虚である美徳を伝える物語。
「でも、あの物語って『欲深いより謙虚な方が良いことがありますよ~』みたいなメッセージだろ?今回の一件と関係なくない?」
「物語の中で、雀は家の海苔を食べるところを意地悪なお婆さんに見つかり、舌を切られて家を追い出されるんだけど、そこから『家を追い出された人』のことを比喩表現で『舌切り雀』っていうこともあるのよ」
文学部で4年間学び、さらに有名な出版社に内定をもらっていた翔子にとって、その教養は当然のものだった。しかし、しっかりした内容を知らなかった一希と司祭は「へぇー」と感嘆の声を漏らす。
「もし、当時の司祭が『舌切り雀』と意識して『鐘の舌』を外し、その時期に祖父が自殺したのなら……司祭は、亡くなった祖父が『家を追い出されていた』と暗示していたのではないでしょうか?」
そう考えると、すべての辻褄が合う。
まだ大店があったころ、翔子の祖父は使用人として業突張りな番頭にこき使われていた―――のではなく、何かしらの事情で家を追い出されており、仕方なく店に泊まり込みで働いていた。「4年に1度しか休みがない」と噂されていたが、もしかしたら4年に1度すら帰っていない可能性もある。そうなると、番頭は使用人を店で守っていたことになる。
町長の意向で教会が建設され、大店が潰れたことで町を出て行った番頭を見送った使用人は、そのまま教会で雇われた。が、間もなくして番頭の消息が絶ち、時を同じくして使用人も命を落とした。
もし当時の司祭が使用人の事情を知っていたなら、その死を悔やんだはず。その後悔から「鐘の舌」を外したが、表向きには「戦争協力への自責」としたのだろう。
名もなき使用人の名誉を守るために。
「……ま、まぁ、何度も言うように、私の想像ですけどね、全部」
「いや、それでも、すごいよ翔子ちゃん!」
「うんうん!探偵ドラマの主人公みたいだった!」
「そ、そうかなぁ……」
褒められて素直に照れる翔子だったが、もしこれが探偵ドラマなら容疑者に「証拠はあるんですか?」と詰められ、物語は破綻してしまう。
なぜなら、翔子が推測するために集めた情報もすべて「噂話」ばかりだから。
「ま、翔子ちゃんの想像の真偽は証明しようがないから、くれぐれも下手に流布してはいけないよ。過去の人々の名誉を棄損する恐れがあるからね」
「はい。もちろんです」
司祭の優しい警告を、翔子は真摯に受け止める。
ふと、手元にある亡き父からの手紙に視線を落とした。
「でも、もしかしたら今の話が、父の言う『閏坂の呪い』の可能性があるんですよね……」
「じゃあ、手紙にある『閏坂の呪いを解いてほしい』と『鐘の音を聴かせたい』は、『鐘の舌』を取り付ければいいんじゃない?」
一希の言葉に、翔子と司祭も同感だった。
使用人のことを暗喩している『切り落とされた鐘の舌』が閏坂の呪いであれば、それを取り付けるのが『呪いを解く』ことになりそうだ。そうしたら、そのまま鐘を鳴らせば、『鐘の音を聴かせたい』という願いも叶えられる。
「分かった。明日にでも鐘を鳴らせるよう、準備しておくよ」
司祭の言葉に、翔子は「よろしくお願いします」と頭を下げた。
笑顔で頷いた司祭は、窓から見える教会の鐘を見上げる。
いつの間にか教会の背景は、星の煌めく夜空が広がっていた。
それでも、錆びているはずの鐘は満点の星々に負けない輝きを放っているように感じられた。
鳴らないはずの鐘が、いつでも町に祝福を降り注げるように。
※※※
翌日。業者を手配した司祭は、雅治の葬儀に合わせて鐘を鳴らすことができるよう、着実に準備を進めていた。
せわしなく作業を進める中、あるものをきっかけに、司祭は翔子と一希を呼びつけた。
できるだけ早く教会に来てほしいと連絡のあった2人は、早朝にも関わらず教会に顔を出した。
道中、なぜ呼ばれたのか考えていた翔子は、鐘の舌が取り付けられる瞬間に立ち会ってほしいのかと思った。しかし、司祭に会って最初に告げられたのは、予想外の内容だった。
「さっき、鐘の舌を保存していた木箱から取り出したとき、中から妙な手紙が出てきたんだ」
そう言いながら、司祭は翔子に手紙を渡す。
それは、昨日司祭から受け取った、亡き父の手紙と同型のもので。
文面の文字は、明らかに父の筆跡だった。
『絹の糸を金に変え、白夜神社で唄ってから、雨の下で品出しする女に会えば、私の最後の願いが叶う』
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