ママはバンクシー

 廊下を歩いていると、教室から鬼ババアとあだ名されている担任の先生の怒号が聞こえてくる。

「なんで落書きなんてするの!いい加減にしなさい!!」

 2年1組の教室に入ると、クラスのいたずらっ子が怒られていた。2人は掲示板の前に立っており、貼られている時間割表を見ると、ネズミのイラストと汚い文字で「お金持ち!」と書かれていた。

「だって、お金持ちになりたかったんだもーん」

 悪びれる様子のないいたずらっ子はベロを出して先生を挑発する。案の定、より声を荒げる先生をよそ目に、ボクは自分の席に戻る。

「ばかだなぁ、アイツ」

 隣の席で、友達のアヤトくんが肘を突いて笑ってる。

「落書きでお金持ちなんて、バンクシーじゃあるまいし」

 そう呟いて、再びケラケラ笑い出す。

 その彼の言葉に、ボクは首を捻るしかなかった。


 その日、ボクはおうちについてすぐ、リビングでテレビを見ているママに声をかけた。

「ママ、ただいま」

「お!おかえり、ユウマ」

「あのさ、ママってお金持ちなの?」

「ん?別に?」

 首を捻ったママは、ボクの質問に取り合うことなく立ち上がる。

「ねぇ、夜ごはんは何食べたい?」

「うーんと、オムライス!」

「オムライスね、おっけ」

 キッチンに移動し冷蔵庫を開けたママは、しばらく固まってからボクの方に振り返った。

「……他に食べたいのない?」

「えー、オムライス食べたーい」

 ママのオムライスはめちゃくちゃ美味しい。だから、何が食べたいか聞かれたら、いつもすぐ答えてしまう。

「困ったなぁ……玉ねぎと鶏肉はあるけど、肝心の卵とケチャップが無いや」

「朝ごはんのスクランブルエッグで使い切ったじゃん」

「……そーだっけ?」

 僕はため息をついて、他に食べたいものを考える。けど、どうもオムライスが頭を離れない。

「うーん……じゃあ、おつかい行ってくれるなら、オムライス作ってあげるよ」

「分かった!いくいくー!」

「え?ほ、ほんとに?」

 ボクがすぐ返事すると思わなかったのか、ママはビックリした表情で聞き返す。

「でもユウマ、おつかいなんて行ったことないじゃん」

「大丈夫だよ!スーパーなんてママと何回も行ってるし」

「……ま、もう2年生だし、大丈夫よね」

 ママはそう言って、何かを紙に描いてくれた。

「これ、スーパーまでの地図ね。何回も一緒に行ってるから大丈夫でしょうけど、一応」

「うん!ありがと」

 ボクは地図とお金を受け取り、お金はポケットに入れて玄関を出る。

 かかとを踏んでしまった靴を直し、正面を向いた瞬間———庭の門から、黒ずくめの人が姿を見せた。

 上下黒のスーツに黒い帽子を被り、サングラスとマスクで顔は見えない。革靴をカツカツ鳴らして目の前に来ると、見えない表情のまま手を伸ばす。

「……ごめんね」

 呆然とするボクは、気が付いたら手元から地図が消えているのに気付いた。地図を奪った人はそのまま背を向け、静かに去っていく。

 追いかけようと思ったが、ボクは聞き覚えのあるような女性の声が気になって仕方なかった。立ち尽くしたままでいると、いつの間にか視界には誰もいなかった。

「今の声……どこで聞いたことがあるんだろう……」

 どうしようかと思った瞬間、お腹がぐうぅ~と鳴った。

「そうだ、今からおつかいに行くんだった!」

 ボクは再び歩き出し、勇気を出して冒険へ―――はじめてのおつかいへ出発した。


 おうちに帰ると、ママは電話をしていた。

「……ええ。ご苦労様。あとはよろしく」

 そう言って電話を切ったママは、ボクに気付いて駆け寄ってくる。

「おかえり!おつかいできた?」

「ううん。地図が盗まれちゃって、スーパーまでたどり着けなかった」

「そっか。仕方ないね」

 お金を受け取ったママは、キッチンに向かって夜ごはんの準備を始めた。ボクは手を洗い、リビングの机で宿題を始める。

 テレビが付いたままだったが、気にせずに計算ドリルを進めていた。今日の宿題の範囲が終わったところで顔を上げると、テレビでニュースが流れていた。

『昨日未明、世界的アーティストのバンクシーによる作品が、都内で発見された可能性があります。関係者によると、バンクシーの作成した地図のような絵画が限定的な市場にて流通し、その出自が都内である可能性が高いということです。その地図は【Treasure Map—宝の地図】と命名され、その価格は……』

 ボクはそのニュースの内容に違和感を覚えた。何せ地図が盗まれたのはつい数時間前、つまり今日の夕方だし、その地図はお宝の位置ではなく近所のスーパーの場所を示しているだけ。

 本来なら全く価値のない紙切れのはずなのに、ニュースになるほどの価値を含んでいる理由は、その作者がボクのママだから。

 いま、キッチンでごはんを作っている、ボクのママはバンクシーだから。




※※※




 翌日、教室に入ると、アヤトくんが声をかけてくる。

「ねぇ、ニュース見た?昨日、都内でバンクシーの作品が見つかったんだって」

「へ、へぇ」

 ボクは知らないフリと、興味ないフリをしてランドセルから教科書やノートを取り出す。

 ボクが知らないフリをしているのは、ママに強く言われているから。『もしママがバンクシーだとバレたら、もうご飯が食べれなくなるし、ママとも会えなくなる』と。

 空っぽになったランドセルを机の横に引っかけ、ボクは自由帳を取り出して落書きを始めた。最近は4コマ漫画にハマっている。

「はーぁ。オレらも落書きしてお金持ちになりたいなぁ」

「ねぇ、どうしてバンクシーがお金持ちだと思うの?」

 それは素朴な疑問だった。だって、ママがお金持ちのイメージは全くないから。

「え……だって、オークションでめちゃくちゃ高い値段でお金持ちが買うんだろ?」

「そうだけど……でもそのお金は、絵を見つけた人やオークション会場に支払われるらしいよ」

 たしか、ママがそう言っていた。苦笑いしながら。

「ユウマ、なんか詳しいな。お前もバンクシー好きなのか?」

「お前もって……アヤトくん、バンクシー好きなの?」

「ああ!だって本来なら怒られるはずの落書きが、みんなに注目されて高い価値が付いて、しかも風刺フウシっていうメッセージがあるから、みんなも応援してるんだよ。うらやましいよなー」

 とてもじゃないが、ママはそんな風には見えない。でも、みんなにはそう見えているのだろう。

 返事に詰まっていると、会話をさえぎるように始業のチャイムが鳴った。


 その日、夜ごはんにオムライスが出てきた。

「わぁ!オムライスだ!ママがお買い物行ったの?」

「ううん。今朝、大量の卵とケチャップが届いたのよ。きっと昨日盗んだ人が送ってくれたのね」

 なんでそんなことをするんだろ、と疑問はあったが、それより空腹が勝ったので、急いで座ってスプーンを掴む。

「あ、ちょっと待ってね」

 食べようとしたボクを止め、ママはケチャップでネコの絵を描いてくれた。

「さ、召し上がれ」

 ママが言った瞬間、部屋の電気が消えた。暗闇の中、誰かが足早に去っていく気配がした。びっくりして固まっていると、数秒後に再び明かりが点いた。思わず目を閉じ、ゆっくり目を開くと、目の前からオムライスが消えていた。

「あ、あれ?オムライスは?」

「え!?うそ!?」

 ボク以上に驚いているママは、すぐにスマホを取り出して電話をしながら、奥の部屋に歩いていく。

「ちょっと!今日は違うじゃない!それに……」

 そこまで聞こえたところでドアをぴしゃりと閉め、ママの声が聞こえなくなる。色々なことが同時に起きてパニックだが、気持ちが落ち着いたころに残ったのは「大好物のオムライスが食べれなくて残念」という気持ちだけ。

 数分してママが戻ってくると、いつもの笑顔でボクの隣に座った。

「ママがネコの絵を描いたから、盗られちゃったみたい。今日はウーバーイーツにしよっか」

 そういって、スマホでアプリを開き、一緒に食べたいものを選ぶことにした。


 その日の夜、『オムライスがサザビーズで落札された』という前代未聞のニュースが、少しだけ世間を騒がせた。




※※※




 翌日、ボクはアヤトくんと遊ぶ約束をして、公園で走り回っていた。駄菓子屋でお菓子を買ってベンチで食べ、最後にブランコを並んで揺らしている。

 勢いよく漕いでいると、遠くで見た目の怖いお兄さんたちが倉庫の壁にスプレーを吹き付けて騒いでいた。落書きをしているようだが、ボクには読めない漢字をいっぱい描いている。

「あの中にバンクシーがいたりして」

「え?」

 ときどき視界の左端に入るアヤトくんが、ニヤニヤしながら呟く。

「ほら、バンクシーって正体不明でしょ?若い日本のお兄さんって可能性も否定できないじゃん」

「……全然違うよ」

「え?なんでそう思うの?」

 アヤトくんに聞こえない程度の声で否定したつもりだったが、どうやら聞こえてしまったらしい。

「ねぇ?もしかしてユウマ、バンクシーの正体知ってるの?」

「い、いやぁ?そんなわけないじゃんん」

 どうにかごまかすしかない。目も合わせず、口をしっかりチャックする。

 すると、ブランコの勢いはそのままで、アヤトくんは前に飛び出した。空中で一回転しながら、見事に着地する。おおーと感動していると、アヤトくんは走ってボクの背後に回り、タイミングよく背中を押す。

「ちょ、アヤトくん、やめっ」

「ほらー、正直に言わないと、どんどんスピード上げて降りれなくするぞー!」

「えー!やめてよー!」

 ケラケラ笑いながら、アヤトくんは宣言通り何回も背中を押す。気付けば、ボクは到達したことのない高さに来ていた。いつ一回転してもおかしくない。

 ボクもアヤトくんのように飛び出せればいいのだが、ボクは運動が苦手なので、怖くてブランコのチェーンを強く握ることしかできない。

「わ……分かったよー!正直に言うから止めてー!」

「ほんとだなー?」

「ほ、ほんとだよー!」

 ママごめん!と心で何度も叫びながら、ボクは大声で叫んだ。


 ベンチで水筒のお茶を飲みながら、ボクのママがバンクシーであることや、ここ最近あったことを話した。最初は嘘だと思って笑っていたアヤトくんだが、スマホでママの描いた絵をいくつか見せると、徐々に真剣な顔になっていった。

「この絵の感じ……ほんとにバンクシーだ」

「でも、バレたらママはお仕事できなくなるから、誰にもいっちゃダメだよ」

「うん。もちろん」

 引き続き真剣な表情でうなずく。ボクはアヤトくんを信じるしかない。

「そっか……でも、オムライスが食べれなかったのは災難だったな」

「うん。最初に地図を盗んだ人は、卵とケチャップを送ってくれたし、悪い人じゃないのかも」

「……なぁ、ちょっと待って」

 何かに気付いたのか、アヤトくんは唸るように呟いた。

「ユウマが盗まれた地図には、スーパーへの道しか描いてなかったんだよね。なら、盗んだ人はどうして『卵とケチャップのおつかい』って分かったのかな」

「……た、たしかに」

 地図の示したスーパーには、当然だけど卵とケチャップ以外にも色々売っている。それなのに、次の日には卵とケチャップだけ送られてきた。

 つまり、あの地図を盗んだ女性は、おつかいの目的が卵とケチャップだと知っていた……?

「それに、昨日落札されたオムライスだけど、展示されてるのはレプリカらしいから、ユウマの目の前で盗まれたのとは違うと思うよ。厳密に言うと黄色いところがレプリカで、ケチャップは赤い絵の具らしいけど」

「え?そうなの?」

「そりゃ、本物のオムライスだと腐っちゃうだろ」

「たしかに!」

 でも、ニュースで見たオムライスは、ボクの食べようとしたものとソックリだった。あれは間違いなく、バンクシーが作ったものだ。

 落札されたレプリカのオムライスは、バンクシーが作った。でも、ママは昨日の夜ねるまでにそんなものを作っていなかった。ということは……。

「もしかして、バンクシーは2人いる……?」

 少し信じがたいが、それだと辻褄が合う。

 だとすると、ママ以外のもう1人のバンクシーは誰なんだ……?

「けどお前のお母さんと知り合いなのは間違いないよな。誰かお母さんの友達とか知らねーのか?あるいはお父さんとか」

「うーん、残念だけど心当たりないなぁ。パパはママと一緒に行方不明になっちゃったし」

「へ?」

「えっとね、ボクが生まれた直後に、パパとママは行方不明になっちゃったんだ。だから今おうちにいるのは、ボクを生んだママの知り合いなんだ」

「そっか……」

 たしか「義理の母」っていうらしい。対して生んでくれたママは「実の母」っていうんだとか。

 でもボクにとっては、今おうちにいるママも、立派な「ボクのママ」だ。

「行方不明ってことは、会ったことはないのか?」

「うん。全然、何も覚えて――――」

 いない。

 そう言おうとしたとき、ふと誰かの声が聞こえる。


『……ごめんね』

 その女性の声は、どこか優しさと温かさがあった。

 同じ言葉を、同じ声で、聞いたことがある気がする。

 ボクは、その女性の指を、手のひらで掴んで――――


 ————ガシャン!

 背後で大きな音がして、ボクの思考はシャットダウンされた。

 そして、反射でボクとアヤトくんが振り返る。

 視線の先で、さっきまでボクが乗っていたブランコのチェーンが絡まっていた。

「あれ?あんな風になってたっけ?」

 周囲を見渡すが、誰もいない。風で絡まったのかな?

 そう思い、ほどくために近づくと、ボクはブランコの板を見て足を止めた。

「ん?どうした?ユウマ」

 ボクの様子が気になったのか、同じようにやってきたアヤトくんも、ブランコの板を見て固まった。



 さっきまでボクがお尻を乗せていたはずの板に、見たことのない絵があった。

 胡坐あぐらをかいた大仏さまが両目を両手で覆っている絵で、その横に『Ignorance is bliss』と書いてある。


 その絵のタッチは、紛れもなくバンクシーのもので。

 その読めない英語は、大好きなママからのメッセージで。

 その落書きは、世界でボクら以外、誰も知ることのないイタズラだった。

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