虹虫

 和名:虹虫にじむし

 英名:Rainbow Eater

 生態的特徴:地中に埋まった虹の下半分を餌にして生きる


 虹虫は、私が研究者としての人生を賭して調査した、この世で唯一の特殊な生き物である。その詳細についてここに記す。




※※※




 教授の自室に呼ばれた学生が、正面に座った教授からボロボロのメモを受け取る。

「以前にこの研究室で教授として教鞭をとっていた先生が先日亡くなり、その遺品整理を手伝っていたところ、この記録が見つかった」

「……虹虫、ですか」

 その名前に聞き覚えがあった学生は、最近目にしたことのあるネットニュースを思い出す。

「数年前まで空想上の生き物として扱われていましたよね。けど先日、国内で虹を食べる虫として確認され、国際学会誌で公式に公表された……」

「あぁ。その発見した学者こそ、私が学生時代に恩師として慕っていた先生だよ」

 先生の先生、となると、かなり崇高に感じてしまう。学生は面識がないため印象は全く湧かないが、きっと偉大な人だったのだろうと想像する。

 彼らの研究分野は昆虫学から派生した、非常に狭き業界ではある。しかし、昆虫学の分野に問わず、『虹虫』は研究者たちの興味をおおいに集めた。

「しかし、何故このメモを僕に?」

「ははは、深い理由などは無いよ。ただ若者と新たな知見を語り合いたいだけさ」

「は、はぁ」

 学生は苦笑いしつつも、特に迷惑でも面倒でもないので、気にせずメモに目を通し始めた。




※※※




 数年前、私は遠方の調査先で、見たことのない昆虫を地中に数匹発見した。丁寧に調べ外来種でもないと判断し、新種発見に歓喜した私は、命名に際してその生態を知るべく、自室に持ち帰り研究室で観察を開始した。

 カナブンのような見た目ではあるが、全身が漆黒で色合いはフンコロガシに似ている。体長は平均10センチ程度で、口器らしき器官が観察できたため、昆虫ゼリーや餌資源になりそうな微細な昆虫、そして枯れ葉や枝など枯死物も配置した。彼らが分解者である可能性は多いにありうる。

 しかし観察から数週間経っても、彼らは何も口腔摂取しなかった。幸いにもすぐに餓死する個体はいなかったが、衰弱するのも時間の問題だと焦った。

 そんなある日、虫かごを設置していた観察ラックのLED照明が切れてしまった。予備が無かったその日は急遽余っていた白熱電球を付けたのだが、その瞬間、虫たちが明らかに電球の方へ移動しようと動く様子が窺えた。

 まさか、と思い籠を陽光の差す窓際に移動させたところ、虫の活動量が格段に増加した。さらにそこから様々な検証を行った結果、適度な水分の供給がある環境を特に好むことが明らかになった。

 光と水を好み、さらに通常の昆虫が餌資源とするものを摂取しようとしない。この状況から、私は1つの仮説を立てた。

 この虫は、『虹を食べる空想上の虫』―――虹虫かもしれない。




※※※




「最古の記録には『龍を食べる虫』として伝説が残され、南米の一部地域で原住民から信仰されていた時代があった説も考えられている。しかし龍が空想上の生物であったため、関連して虹虫も存在しない虫として扱われていた」

「……いろんな話があるんすね」

 教授から追加で虹虫に関する情報を聞き、学生は苦笑いしていた。情報過多で頭がパンクしそうだったが、再びメモに視線を落とす。

「白熱電球を好むって……ツルグレン装置が泣いてますね」

「ははは、我々にとって土壌動物は白熱電球を嫌うものだからね」

 確かに虹を餌資源にするなら、それが発生するきっかけである「太陽光」と「雨」を欲するのは自然だ。

「有名な特徴は確か、虹虫たちは食べる虹の色が決まってるんですよね」

「ああ。だが虹虫は目のような色を識別する器官を備えてない。昆虫は普通、単眼か複眼を持つんだがな」

 つまり、本来は目でしか認識できるはずのない光や色彩を、目以外の方法で認知していることになる。

 ただでさえ「虹を食べる」のが不可思議の減少なのに……と学生は頭を抱える。

「てかそうですよ……そもそも虹の光は、光学現象じゃないですか。波長の異なる太陽光が水滴の中で屈折と反射を起こすことで虹が見えるようになる」

「そうだ。本来なら植物の持つ葉緑体のような、光エネルギーを化学エネルギーに変換する能力が、生物体に備わっているはずがない。つまり、虹の光を捕食するなんて。ありえないんだ」

 ましてや植物も厳密には光エネルギーは体内でのエネルギー生産の動力源にすぎず、直接の栄養になっているわけではない。

 だから「虹を食べる」という表現は、生態学的には正しくない可能性がある。

「ウミウシの一部には盗葉緑体現象により光合成が可能な個体もいるって聞いたことあります。もしかして、虹虫にも似たような現象があるんじゃないですか?」

「その可能性が高いね。報告にあった虹虫の体色が黒だったのも、光を吸収する過程で光を探知する器官が基底状態にあるなら納得だよ」

「基底状態って……まるで励起状態にもなり得るみたいな言い方ですね」

「あぁ、その通りさ。虹虫は発光するよ」




※※※




 虹虫の生育を始めて1か月が経過した。中には餓死する個体もあったが、基本的には土の中で生涯を終えるようだ。

 その生涯で、一度だけ地上に出る瞬間があった。

 同じ虫かごに複数の個体を入れたとき、交尾により産卵する個体が出現した。卵は直径数ミリと非常に小さく、孵化の過程や変態のタイプは判別できなかったが、一つだけ明らかになったことがある。

 それは、羽化の際に地上に出ることである。もっとも、虹虫の羽は完全に退化しており、あまりに小さくて飛翔する能力はない。不思議なのは、地上に出てくる幼体は必ず複数だということだ。それも少なくて7個体、多いと20個体ほどになる。

 地上に出る時間は決まって真夜中である。他の昆虫と同様に羽化には明度条件だけでなく気候条件もあるのだろうが、そこまでは計測できなかった。

 そして、脱皮は真夜中に地上で行われる。土から掘り出てきた虹虫たちは、その場で脱皮して発光する。それも、複数の虹虫が1列に並び、しかも虹の順番に従って7色が分かれている。

 その目的は不明だが、その地上に咲いた虹はいづれ飛び立つ。飛行には使えないはずの微小な羽を使って、暗闇の虚空に虹を描き出す。




※※※




 ようやく、虹虫の生態が見えてきた。ただし、事実が判明したことで新たな疑問もたくさん生まれたが。

「羽化の際に地上に出るあたり、飛行する気まんまんのようですね」

「あぁ。もっとも、虹虫の羽の大きさは体表面の10分の1程度しかなく、空中で身体を支えるのは物理的に不可能なはずだがね」

 羽化の様子はまるでセミのようだが、虹虫の羽は完全に退化しており、飛翔する機能は持ち合わせていない。カイコも似たように羽があるのに飛べないが、それは人間の品種改良により羽が退化した種類のみが厳選されたから。

 当然だが、虹虫が人間の手で育てられていないのは自明だ。つまり、進化の過程で羽を失ったということ。地上で生きることを選んだ……と思いきや。

「最終的に発光し、謎の力で飛行する……どちらも理解不能ですね」

「あぁ。生体内でのエネルギー生産に虹の光を利用している、までは理解できたが……それを光エネルギーとして放出するのは、理解しがたいな」

 同様に発光する動物に蛍がいるが、彼らは生体内で酵素を使い化学反応を起こして物質を基底状態から励起状態に変換することで、エネルギーを放出して発光を実現している。蛍の場合、その目的は求愛など、他個体への干渉が目的だが、果たして虹虫にも同様の理由があるのだろうか。

 植物の理論から論考すると、吸収した光で獲得したエネルギーは何かしらの生体活動に利用されるはず。しかしそれを同様に発光してしまうと、特に変換せず光エネルギーを体外に逃がすことになる。なぜ、そのような非効率かつ無価値な機能を保有するのか。

「羽化時の色分けは、社会性昆虫のようにフェロモン等の作用で役割分担しているんだろう。そうだとすれば、吸収する色に指定があるのも納得だ」

「そうですね、赤を吸収した個体には、それ特有のフェロモンが分泌されるようになり、青、緑……とそれぞれの色に固有の生育様式が後天的に獲得できる、ということですね」

 虹を食べる―――つまり特定の波長の光を吸収することで、虹虫は自分のライフスタイルを決定する。そこまでは容易に納得できるが。

「問題は、やはり飛行方法ですね」

「ああ。羽は使えない以上、他の手段を考慮すべきかもしれん。あるいは、まるで無力そうな羽に、我々の認識を凌駕するような能力が秘められているのかもな」

「どういうことですか?」

「ハチドリのように底上げした心拍数でホバリングしたり、コウモリのように滑空や飛行に特化した身体構造を維持したり……生物が想定外の飛行手段を持ち合わせている可能性は、想定すべきなんだ」

 教授の考察を踏まえて、なお納得いかない学生は口をへの字に曲げた。その様子を見て、教授は苦笑した。

「苦虫を嚙み潰したような顔だね。まぁ確かに、これまでしっかり勉強して学んだことを覆して発想を飛躍させろ、ってのは難しい話だ」

 学生からメモを回収すると、教授はゆっくりと立ち上がり、窓際へ歩いた。

「……夜遅くにすまなかったね。また何かあったら議論させてくれ」

「あ、はい。僕も色々と勉強になりました。ありがとうございます」

 背中で学生が部屋を出た音を聞きながら、教授は窓の外の夜空を見上げる。

 雲一つなく、満天の星空が広がっているが、都会の明かりが邪魔して本来の輝きは失われている。

 それでも美しい夜空からゆっくりと視線を下ろし、教授は再びメモに視線を向けた。

 その紙を裏返すと、亡き恩師の記述が続いていた。




※※※




 7色に発光し、不可能なはずの飛行を成し遂げる。

 我々の理解を超えた挙動をする虹虫に対し、私は1つの考えが浮かんだ。


「虹虫はかつて『虹』そのものであった」


 非科学的な発想に、誰もが鼻で笑うだろう。自分でも、全く見当違いだとは分かっている。

 しかし、夜空の向こうへどこまでも伸びていく、たった今生まれたばかりの虹を、一度見てもらいたい。

 この月下の虹を見たら、誰もが私の夢想を信じるだろう。


 人間のいるところに、虹虫はもういない。

 しかし、過去に虹虫と暮らしていた民族がいたのは恐らく事実だろう。

 その人々は、雨雲の切れ間から幻想的に舞い降りる、七色の虫を見ていただろうか。


 この美しい虹虫たちは、なぜ光を放つのか。

 その理由は彼らも知らず、神のみぞ知るところだろう。

 ならば、この虹に———虹虫たちに、神へ案内してもらおう。

 1人の研究者として、その真実を知る、唯一の希望だと信じて。




※※※




 教授の恩師は、このメモを書き遺した翌日あたりに亡くなったとされている。

「……先生は、彼らに案内されて、虹の橋を渡ったんですね」

 教授はメモを閉じ、再び夜空を見上げた。


 今はまだ、月下の虹は見えない。

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