移動式正月団
――――旧友から手紙が届いた。彼は以前、ボクが引っ越した先の村に住んでいた男の子で、すぐにまた引っ越してしまったボクに手紙をよく送ってくれる。あるときは弟の誕生日パーティの話、またあるときは学校の好きな子に告白した話。
――――手紙を開くと、いつもより文量が多いことに気付いた。かなり楽しいことがあったのだろうか。ボクもワクワクが抑えられないまま、手紙に目を通す。
拝啓、海の向こうにいる君へ。
ある日、興奮した様子の弟が、僕の部屋に飛び込んできた。
「ねぇ!お正月がやってくるよ!」
大きな声で叫ぶ彼の手には、チラシが握られていた。
「お正月?って、まさか……」
チラシを受け取り、見ると太い文字で『移動式正月団』と縦書きされていた。金色の縁枠に白黒を基調としたチラシで、赤い花が彩りよく散りばめられている。
チラシには開催場所が書いてあり、この街にある近所の広場で実施するらしい。なにより驚きは、開催日時が明日ということ。
「さっきパパとママが広場に走っていったから、今頃みんなで準備してるんだよ。お兄ちゃんも一緒に行こうよ!」
弟に連れられ広場に着くと、大勢の人がお正月の設営をしていた。いつもは怖い学校の先生や、いつもは物静かな神父様の姿もある。そして、誰もが笑顔を隠せずにいた。
中には知らない人もいた。トラックやクレーンを運転している彼らは、明らかに街の住民ではない。
「お兄ちゃん、あの人たち誰だろ?」
「あれは移動式正月団の団員さんだよ。設営の指示や機材の運搬はあの人たちがするんだけど、開催地の土地勘があるのは住民だから、協力して設営するって聞いたことがある」
実際、広場の中央には見慣れない円形ステージが出来上がっている。その周囲にはコタツと呼ばれる見慣れない机が並べられている。
『賀正』と書かれた看板が立てられる様子を見つめながら、弟は頬を赤らめる。
「へぇー……楽しみだなぁ」
すると、突然巨大な布が現れ、僕らの視界が遮られた。目の前を通過していく巨大な布には、町の人々の名前が書かれていた。
「あれは?」
「あれは
「へぇ~!僕の名前もあるかな?」
「もちろん!さぁ、僕らがここにいても邪魔なだけだし、帰ろうか」
いつもより早く歯を磨き終えた僕と弟は、リビングにいる両親の元へ向かった。そこで2人は、何やら本を読んでいる。
「パパ、ママ、何読んでるの?」
「あぁ、明日のお正月について読んでるのさ。パパたちも初めてだからな。何をするのか、服装やら持ち物も知っておかないと」
「あなたたちは早く寝なさい。明日はいつもより早いわよ」
「うん!僕もお兄ちゃんも、もう歯磨きしたよ!」
「偉いわね~!」
頭を撫でられ喜ぶ弟を見つつ、僕は階段に向かった。
「ほら、先行っちゃうぞ。おやすみ」
「あ、待ってよ~」
両親に見守られながら、僕たちは軽い足取りで階段を上った。
布団に入った僕と弟は、窓からの月明かりが差し込む部屋でお正月の話をしていた。
「お兄ちゃん、今日みんな嬉しそうだったね」
「そうだね。お正月がこんな小さな街に来るなんて、夢にも思っていなかったよ」
僕はお正月について、聞いたことのある話を思い出す。
「その昔、どこかにあった『
「お兄ちゃん、詳しいね。もっとお正月について教えて」
「そうだな……じゃあ『年賀状』っていう、お正月にしか書けない手紙があってな……」
その後も、僕は思い出せる限りお正月の話をした。気付いたら元気に相槌を打っていた弟は寝息をたてており、僕はひとりでお正月のことを考えていた。どれくらい時間が経過していたか覚えていないが、月が天を照らす深夜ごろに眠りに落ちた気がする。
たしかお正月の話は、君が伝えてくれたはず。今思えば、君はお正月のことをよく知っていたんだね。もしかしてお正月に興味があったのかな。
君が引っ越す前に移動式正月団がやって来なかったことが、心から悔やまれるよ。
――――そういえば、そんな話をしたっけ。ボクのそんな些細な話を覚えていてくれるのは、とても嬉しい。
――――思わず頬をほころばせながら、2枚目の手紙を開く。
学校も会社も、今日はお休み。その通知は来なかったが、みんな今日の行き先は1つしかない。
広場に着くと、街の人々がそれぞれにおしゃれな恰好をしていた。黒いスーツにシルクハットの紳士や、深紅のドレスを揺らす女性。
黒いハンチング、藍色のネクタイとジャケットにベージュのパンツでやってきた僕らは、どうやら悪目立ちせず馴染んでる恰好のようだ。
昨日は円形ステージとコタツの数々しかなかったが、今朝は屋台もいくつか設営されており、そこら中からいい匂いが立ち込め、食欲を刺激する。ステージも昨日より装飾されており、両端には斜めに切られた竹に扇や花を挿したものが置かれていた。
両親のあとを追い、指定されたコタツに座って雑談していると、ステージ上でマーチングバンドが演奏を始めた。そして、雪だるまの着ぐるみが堂々とステージの中央に歩いてくる。
「みなさま!明けましておめでとうございます!移動式正月団・団長です!」
マイクを使い、大きな声で団長が挨拶すると、コタツに座る人々が一斉に拍手する。
「あけまして……?」
「お正月には『明けましておめでとうございます』って挨拶するんだって」
聞きなれない言葉に首をかしげると、パパが説明してくれる。
「本日はお越しくださり、ありがとうございます!この1年が、そしてこれからも訪続ける新たな1年が祝福に包まれますよう、本日は我々が全力でお祝いいたします!」
開会の挨拶を彩るように、背後でマーチングバンドがBGMを奏でる。
「さぁ、お正月を始めましょう!」
その言葉が響いた直後、ステージの背後から虹色の光が空に向かって打ち上げられる。そして、七色の花火が青空に咲き誇る。同時にスノーマシンが雪を放ち、ゆっくりと広場を真っ白に染めていく。
初めての雪に興奮した子供たちは、走ったり転んだり、勢いよく起き上がって、また走り出す。僕も弟と一緒に顔から雪に突っ込み、2人で口を大きく開いて笑う。その様子を微笑ましく見ていたパパとママに手を振ると、僕は変なことが気になった。
「あれ?コタツには雪が積もらないね」
「コタツには暖房が付いているから、雪は解けちゃうんだよ」
そういえばさっき、コタツに足を入れていると、やけに身体がポカポカと温かかった。毛布のおかげだと思っていたが、暖房機能があるのか。
そんな僕の発見をよそに、周囲のコタツでは大人たちが一斉に「乾杯!」「おめでとう」と叫び、オトソというお酒の入ったグラス同士をカチンと鳴らす。僕らも急いでコタツに戻り、4人で乾杯を交わす。両親はお酒だが、僕と弟はオレンジジュースを口に含む。
円形ステージでは歌やお芝居が繰り広げられ、酔っぱらった大人たちが囃し立てる。今はキョーゲンという日本の伝統芸能を披露しているらしく、僕らには難しくて分からなかった。
ふと、ステージから離れたところで、他の子どもたちが走っていくのが見えた。何かあるのかと思い、僕は弟を連れて流れに沿って向かう。
いい匂いのする屋台たちを通り抜けた先に、小さなメリーゴーランドがあった。数えてみると12頭の動物がゆっくりと回っていた。
「12頭の動物……そういえば」
お正月にまつわる12頭の動物の伝説を、唐突に思い出した。
「お正月に動物たちが、神様のところへ競争したんだよ。それで先に到着した12頭にご褒美をあげた、みたいな伝説だったかな」
「なんで12頭なの?」
「たしか1年が12か月だから、だったはず」
最初に到着したのは目の前の12頭だろうが、果たして1位は誰だったのか。そこまでは知らないが、目の前のメリーゴーランドを見ていると、楽しそうにかけっこをしているようにも見える。
慣れない4足歩行で走る猿の背後を、飛ぶように走る鳥。前だけ見て駆け抜けるライオンを、必死に追いかけるシマウマ。自然界では見ることのできない景色が、伝説として目の前に繰り広げられる。
「僕、乗ってくるね!お兄ちゃんも一緒に行こう!」
「僕はいいよ。楽しんでおいで」
乗り場の待機列に走る弟の背中を見送り、僕は屋台の方に戻った。
だてまき、くりぜんざい、紅白まんじゅう……聞いたことのない名前の料理を売る屋台が、一列に並んでいる。お客さんは好きなものを受け取り、四角い箱に詰め込んでいく。正月発祥の地では『おせち』と呼び、縁起の良いとされる食べ物を2段や3段に重ねる箱に詰め込んで、家族で集まって突っついたらしい。
僕も後でパパに頼もう……そう思いながら歩いていると、ピエロたちが子どもに囲まれていた。近づいてみると、1人の高身長なピエロと目が合った。
「おや、君もお餅食べるかい?」
「おもち?」
子どもたちの隙間からピエロの手元を覗き込むと、お米の塊のようなものが焼き目を付けて並んでいた。怪獣や飛行機など、丸みを帯びたかわいらしいフォルムで作られている。僕は雪の結晶の形をしたお餅を受け取り、ちびちびと千切っては食べながら他のピエロも見て回る。
「お年玉を配りましょう。さぁみんな、ここへ並んで」
女性のピエロが列を示すと、子どもたちがキャイキャイと楽しそうに笑いながら列を作る。僕も負けないように急いで列の最後尾に滑り込む。1分ほどして、僕の番になった。
「明けましておめでとう。はい、どうぞ」
聞きなれないお正月の挨拶とともに、手のひらくらいの封筒が渡される。
「あ、あけましておめでとう。ありがとうございます」
ぎこちなく返事して受け取る。弟のいるメリーゴーランドに向かいながら、封筒の中身を見る。そこには、今はもう使えない昔の金貨が入っていた。
「その金貨には昔の人々から受け継いだ『想い』が込められている。大切に持っておけば、きっとご先祖様が守ってくれるよ」
近くにいた風船を配っているピエロが、優しく教えてくれた。ピエロは僕と同じくらいの伸長で、素顔を覆う仮面には、左目の周囲に星のマークが描かれていた。
彼の説明を踏まえて、手のひらに置いた金貨を再び見つめる。少しだけ錆や汚れがあり、そこに年季を感じる。
しかし子どもの僕には特別感がイマイチ理解できず、僕は思わずピエロに質問してしまった。
「ただの金貨でしょ?持っているだけで意味あるの?」
優しい雰囲気のピエロは、仮面の下に微笑みを携えたまま、揺れる風船の向こうで囁く。
「そうだね。でも、この世界に意味のあるものがどれだけあるかな?」
「え?」
問いかけると同時に、ピエロは右手の風船を1つ手放した。黄色い風船が不規則に天空へ漂う。彼の左手には、まだたくさんの風船が残っている。
「あの風船をもし子どもに与えていたら、その子を喜ばせる、意味のある風船だったかもしれない。けど、今はもう自由に空を飛ぶ、意味のない風船だ。ボクがまだ持っている風船たちも、今すぐにでも無意味なものにすることができる」
左手を揺らすと、風船たちは無気力にたゆたうのみ。カラフルな風船たちは、みんな離れたくなさそうにくっついている。
「――――何だって無意味なものばかりなんだよ。だけど、ボクらはその無意味の中に『意味』を見出すんだ」
ピエロが振り返ると、視線の先には広場があった。大人たちがコタツに入って、オトソやビールを飲んで騒いでいる。コタツの中央にはミカンがお皿に山盛りにされ、みんな無尽蔵に食べている。
「あのオトソは、無病長寿を祈って飲む文化ができたんだ。ミカンは『だいだい』という別名で、子孫繁栄を願ったんだね。君の手元にある『お年玉』も、神様の力を分け与える由来があったとか。でもさ、どれも本来は無意味だよね」
たしかに、お酒を飲んで無病になるわけではないし、ミカンを食べて一家が豊かになるわけではない。
それでも大人たちは「そうなんだ~」と納得した様子で、その文化を受け入れる。
「その『無意味』に文化の力で『意味』を与え、人々に幸せを与える。それがこの『お正月』とボクら『移動式正月団』の存在意義だと思う」
ふと、ピエロはメリーゴーランドを見る。僕も同じ方を見ると、巨大なハムスターにまたがる弟が、楽しそうに叫んでいた。
普段、鬼ごっこで走るときよりも、公園でグローブジャングルを全力で回したときよりも、ずっと幸せそうな笑顔だった。
「あの弟くんの笑顔に、特別な意味なんてない……無邪気に笑えば、それでいいじゃないか」
ふと、こちらに気付いた弟が手を振る。こちらも手を振り返すと、僕もつられて笑顔をこぼしてしまった。
「色々教えてくれて、ありが……あれ?」
感謝を伝えようと振り返ると、優しいピエロの姿はなかった。おかしいな……と思いつつ、もっとおかしいことがあったのに気付いた。
「あれ?あのピエロ、どうしてあの男の子が僕の弟だって知ってたんだ?」
空を見上げると、黄色い風船が巨大な凧の下を、無邪気に泳いでいた。
――――今頃、その黄色い風船はどうなったのか。
――――そんなことを無意味に気にしながら、ボクは最後の手紙を開いた。
夕方になり、広場はお正月の余韻だけを残していた。移動式正月団は次の街へ、祝福を抱えて去っていった。片付けの終わった広場で、僕は眠っている弟をおんぶして、両親の帰りを待っている。
広場の修復の最終確認を終えた大人たちが「お疲れ様でしたー!」と大きな声で労い合いながら散会していく。その中で、パパとママは一目散に僕らのもとへやってきた。
「待たせてごめんなさいね」
「さぁ、帰ろうか」
4人でミカン色に染まった帰り道を歩きながら、僕はパパとママに尋ねた。
「ねぇ、僕もいつか、無意味な幸せを誰かに届けられるかな?」
「お!移動式正月団に入りたいのか?」
「いいわね。またこの街にお正月を連れてきてもらおうかしら」
2人が幸せそうに笑って喜ぶ顔を見て、僕も笑顔があふれだす。唯一笑っていない弟は、僕の肩の上で平和な寝息をすぴすぴと漏らしている。
とりあえず、背中の弟が今、いい夢に包まれますように。
「マウンテン・ベジタブル・バード」
ふいに、パパが口ずさんだ。
「あら、何それ?」
「お正月に良い夢を見るためのおまじないらしいよ。ほら、2人も」
「いいわね。マウンテン・ベジタブル・バード」
「マウンテン・ベジタブル・バード!」
僕もママに続いて復唱する。その願いは、近くの小さな幸せを願って。
翌朝、リビングに降りると見覚えのないスノードームが置いてあった。
「ママ、これは?」
「あ、それは昨日パパが移動式正月団の団員さんから貰ったものよ。ほら、途中で家族で記念写真を撮ったでしょ?それを現像して入れてくれたのよ。これもお正月の恒例らしいわ」
中身を見ると、中央に昨日撮影した写真があった。楽しかった時間を切り取って、スノードームに閉じ込めてくれたようだ。これでいつでも、美しい一日のかけらを見ることができる。
おもむろに振ってみると、舞い散る雪が昨日の雪景色を思い出させる。
まるで目の前にお正月があるように、あの聖なる日が蘇る。
移動式正月団が僕の街に、海を渡ってやってきた。
そしてきっといつか、移動式正月団が君の街に、海を渡ってやってくる。
マーチングバンドを従えながら、数えきれない幸せの音色とともに。
何処から来たのか、何処まで行くのか――――誰も知らない。
いつか僕も、移動式正月団に入りたいな。
そしたらまずは家族の元へ、無意味な幸せを届けに行こう。
――――手紙を閉じると、ボクは一目散に部屋を飛び出し、父さんのもとへ行った。仕事に出る準備をする父さんに、ボクは尋ねた。
――――ねぇ父さん、移動式正月団って、どうやったら入れるの?
――――父さんは朗らかに笑ってから、その方法を教えてくれた。それを聞いて、ボクは無意識に手紙をくれた友人の笑顔を思い出す。
――――いつか、また彼に会えたとき、教えられるといいな。
――――雪だるまの着ぐるみを持った父さんを、ボクは星の描かれた仮面を手に取り、追いかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます