1969/7/13 (晴天)

「弟弟さん」


 云母がずいっと顔を近づける。無駄に長い髪が鬱陶しい。


「弟弟さん、お願いがあります」


 云母は大哥達の真似をして、僕のことを「弟弟」と呼ぶ。こんな得体の知れないものに弟呼びされても、全く嬉しくないんだけれど。第一、ここでは僕の方が先輩だし。


「お手隙の際で構いませんから、私に中国語を教えてください。貴方達のこと、もっともっと知りたいのです」

「やだよ、面倒くさい」

「そんなことを言わずに、お願いします」


 お願いします、お願いします。云母はロボットのように繰り返す。


「あのねぇ、僕は忙しいの! あんたに付き合ってるヒマないの!」

「そんなことを言わずに」

「邪魔! 付いてくんな!」

「お願いします」


 僕は云母を無視して雑務をこなす。今日は上の店が繁盛していて、云母に構っている余裕がない。

 一応僕たちの組は、表向きは「东方饭店」という料理店をしている。一階二階が飲食店、秘密の通路を抜けて地下が裏稼業と分かれていて、下っ端の僕はどっちも手伝っている。


「いい? 僕は今から一階に行くから、地下で大人しくしてろよ!」

「でしたら、私もついて行きます」

「ダメに決まってるだろ!」


 僕の静止を無視して、云母は店に上がってしまった。もう、ただでさえ忙しいのに!


「おい、厨房にまで連れて来るなよ!」


 案の定先輩に怒られて、ごめんなさいと頭を下げる僕。一方の云母は、飛び交っている中国語に興味津々だった。


「一盘炒饭!」

「快点儿,快点儿!」


 地下では聞こえない日常会話。云母は目をキラキラさせて僕に聞く。


「何と言っているのですか?」「今のは何て?」「何て?」


 あー、もう、うるさい! 僕は云母を無理やり引っ張って、地下へ引き摺り下ろした。


「中国語なら、机の前で教えてやるから! それでいいだろ!」

「はい、よろしくお願いします」


思い通りになったと言わんばかりの、とびっきりの笑顔でムカついた。

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