列車

「私を讃えることを許します。カーボーイ。」

「御見逸れしました。お嬢様。まさか、ジャイアントキリングが見られるとは。得したな。」


 エリカが買ったサッカーくじのお陰で街を離れる目処がついた。FCエメラルダスとティンバースの試合は、謎の東洋人の八面六臂の活躍でティンバースが勝利した。この勝利でティンバースは降格圏を脱出したのだが、それは別のお話。


 俺たちは汽車に揺られていた。古びた木造の座席がキーキーと音を立て、車輪はレールを踏みしめながら、乾ききった荒野をひた走る。窓の外には、焼けたような黄土色の大地がどこまでも続いている。ところどころに痩せたサボテンと風化した岩肌が見えるだけで、人の気配はない。空は雲一つなく、白く滲んだように明るかった。


「何処まで行くつもりなの、カーボーイ」


 エリカは頬杖をつき、半開きの窓から外を眺めながらぽつりと呟いた。風が流れ込み、彼女の金髪がふわりと浮かぶ。


「アラバマまで。あそこは一面深緑で覆われた素晴らしい土地だ、という話だ。」

「それは、とても楽しみだわ。」


 エリカが髪をかき上げる。日差しが指の間を抜けて、彼女の白い額を照らす。妙に色っぽく見えたその仕草に、柄にもなく「この時間がずっと続けば」と思った——その刹那、殺気が車両に満ちた。


 重い足音。振り返るまでもない。向かってくるのは、大柄な男だ。背筋が無意識に固くなる。俺は立ち上がり、そいつと真正面から視線を交わした。


「また会ったな、カーボーイ。エリカをこちらへ渡してもらおうか。」


 車内の空気が凍る。誰かが息を呑んだ気配。車両の奥で小さな悲鳴が上がった。


「こちらのエリカ嬢であっているのかい。それならお渡しするのもやぶさかではないが、あんたが本当に欲しいものは別にあるだろう?」


 本当に渡しても良かったのだ。それで事は済む。ただ、抗ってみたかった。損得とは別の理由が、俺は欲しかった。


「言い当ててみよう。きっとお前さんは勇気が欲しいのさ、ライオン。ならば、ここは向かってくるしかないだろう?」


「別に勇気など欲しくはない。空虚な物はお前に譲るよ。俺はスケアクロウの命令に従うだけだ。」


 睨み合う中、車内の乗客たちは気配を殺しながら、そっと後方の車両へ移っていく。皮のブーツが床を軋ませ、金属製のドアが鈍く軋んだ音を立てた。


「どうした?その腰に収まっている拳銃を撃ってみろよ。無駄に吠えるな。だから、お前は臆病者に見えるんだよ。」


 挑発が効いたか、ライオンが駆け出す。俺は逃げない。というより、逃げ場がない。細い通路、壁は鉄板。武器はない。やるしかない。正面から叩き伏せるしか、道はない。


 走るライオンの足音が重機のように響く。その一歩一歩が床板を揺らす。俺は呼吸を整え、間合いを見計らい、一気に懐へ潜り込んだ。右手で手首、左で袖を掴み、その巨体を肩越しに投げ飛ばす。


 金属の床に激突する巨体。車両全体が震えた。


「人間には二種類いる。臆病者と馬鹿野郎さ。さて、お前はどっちになりたい?」


 俺は目線を切らずに挑発する。


「そんな事はどうでも良い。俺がお前を追い詰めている。それだけわかれば十分だ。」


 実際のところ、ライオンの言うとおりである。体格差が大きすぎる。2メートル近くの巨体に体重は100キロ近いだろう。対して俺は170センチの体重は60キロそこそこ。まともに格闘戦をして勝てる相手ではない。


「大変そうね、カーボーイ。」


 エリカが余計な口を挟む。まったく、少しは心配でもしてくれれば可愛げもあると言うものだ。

 ライオンの拳が風を切る。かわせない。右から来た大振りの一撃に、俺は身体を預けるように受けた。空中を舞い、背中から床に叩きつけられる。視界がぐるりと回転した。左腕が痺れている。折れてはいないが、使えない。


「いやはや。ドックファイトはお前の勝ちだよ、ライオン。」


「そう思うなら大人しく死んでくれるかい、カーボーイ。」


 死ぬのは嫌だな。と呑気に思う。もう少し時間を稼ぎたかったが仕方ない。


「お困りでしたら、手をお貸ししましょうか、カーボーイ。」


 エリカがそんな事を言う。まったくあいつは気軽なもんだと、俺は思う。大物なのかもしれない。実際に大物ではあるのだが。


「カーボーイ、お得意の得物を使ってもいいんだぞ。」


「お前は使わないのかい?」


 言ってくれるな。言われなくとも使うつもりだったが、もう少し後にするか。

 ライオンはエリカを背後にして立っている。要するにそういうことだろう。どうでも良い。


「エリカ!手を貸せ!!」


 俺はそう叫んで距離を詰めた。さて、勇気を試させてもらおうか。

 ライオンは振り向いた。エリカはデリンジャーを構えている。


バン!


 と。エリカが握っていたデリンジャーが火を吹く。良くやるよ。

 しかし、デリンジャーの弾はライオンの服すら破れもしなかった。ライオンの着ていた革のチョッキが防いでいた。

 俺は構わずライオンのふくらはぎを足裏で押し込む。膝をつくライオン。相手の首が目の前にある。そこへ右拳を全力で叩き込んだ。


「甘いよ。カーボーイ。」


 ライオンはまったく気にもせず立ち上がった。流石に強い。体がでかい。当然、それを支える骨もまた太く硬い。俺の全力の拳でもダメージを与える事はかなわなかった。

 ライオンはエリカからデリンジャーを奪い放り投げた。その隙に距離をとる。


「次の手はあるのかい、カーボーイ。」


 舐められるのも仕方ない。打つ手なし。どうするか。


「ライオン。お前は本物の英雄を見たことあるか。俺はある。銀色の髪をした東洋人の男だった」


「お前も銀の悪魔を見たのか」


「あるよ」


 ライオンが俺を睨む。しかし、その手が震えているのが見えた。


「降参だ。エリカを連れていけよ」


 俺は両手を上げた。


「もう、その手にはのらないよ。」


 しょうがないので上げた手を下げた。ライオンの後ろにはエリカがいる。


「何だ。拳銃が怖いのか?」


「使って良いと言っているだろう?」


「違うよ。お前は自分で拳銃を撃つことが怖いんだろ。あの不死身の銀狼でも思い出すのかい?」


 先住民が言っていた。太陽と共に現れた銀色の狼が必ずお前らを噛み殺す、と。戦争中に幾度も聴いた伝説だ。俺はグリーンブラッドからライオンがあの化物と対峙したという情報を得ていた。

 ライオンが興奮している。昔の記憶を振り払おうと気持ちを高ぶらせている。

 無理もない。何度撃とうが、何度斬ろうが、立ち上がり立ち向かってきたあの人の形をした化物の記憶を振り払おうとしているのだ。

 ライオンが吠えた。襲って来る。俺を殺そうと向かってくる。心臓の鼓動が高鳴って、視界が狭まっていく。後は、いつも通りに動くだけだ。

 俺は殴り飛ばされた。内臓が捻じれたかと思うほどの衝撃。景色が斜めに流れて、着地した感覚もなかった。もう軽口を叩く余裕すらない。それでも立ち上がってやることがある。


「いつ拳銃を抜いた。」


 ライオンが胸を押さえながら聞いてきた。


「気がつかなかったのかい。ゆっくり抜いたつもりだったけどな。」


 俺はそう答えたが、ライオンに届くことはなかった。既に息が切れている。


「私の横を銃弾が通りすぎたわ。当たったらどうするつもりだったのかしら、カーボーイ。」


「その時は、1人に戻るだけだよ。」


 汽笛が鳴った。もうすぐ次の駅に着くのだろう。とにかく休みたい。今願うのはそれだけだ。

 

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