ポム・ダウン
蛸屋 匿
本編
うっそうとした大樹林を、二台の幌馬車が通り抜ける。
「二人はどこを目指しているの?」
ガタンと揺れる馬車の中、同乗していた女性が聞いてくる。窓の外を眺めていた少年は、座面に座り直すと、隣の兄を見上げた。
兄は乳白色と青色が混ざったマーブルの瞳を細め、女性の方を向く。
「俺たちは森を抜けるつもりです」
「じゃあ、行き先は同じなのね」
「……」
兄は含み笑いを浮かべると、少年に向かって「ちゃんと座れたか?」と聞いた。野の花を握りしめた少年は、こくこくと頷いて答える。
――その瞬間、馬車が激しく揺れた。
「わ!」
「っと」
少年が座面から落ちそうになると、兄は腕を伸ばして受け止めてくれた。少年は褐色の腕にしがみつきながら、笑みをこぼす。
「にいちゃ、あいがと」
「ああ」
「ニルグくん、大丈夫?」
「だいじょうぶ!」
少年の笑顔を見て、女性はホッとしたように胸をなでおろした。それからややあって、馬車は停車する。
「すまない、馬車の車輪が壊れたみたいだ……」
現れたのは体の大きな男。彼は馬車の中にいた三人を見回して「怪我はないか」と言う。
「なんとか」
馬車から顔を出した兄は、彼を見上げる。
「ジュマさんと言ったか。すまないな、せっかく同行してもらったのに、歩かせる羽目になって」
「馬車が直る見込みはない?」
「それが、部品が完全に破損していて……」
兄と大きな男は、難しい話を始めてしまった。少年は唇を尖らせると、兄の腕を引く。
「にいちゃ、お腹すいた」
「もう少し待っていろ」
「む……」
少年は機嫌を損ねるように頬を膨らませる。そんな少年を見て、対面に座っていた女性は笑った。
「話し合いもかねて、休憩をしない? ニルグくんもお腹が空いているみたいだし。よければ、一緒に食べない?」
地面を見つめながら考えていた兄は、ふっと顔を上げる。
「いいのですか?」
「そうだな、いいんじゃないか」
「ほら。アルソンもこう言っているし」
大きな男は、アルソンと言うそうだ。アルソンの後押しもあって、馬車の一行は休憩を取ることになった。
少年は兄に抱き上げられ、馬車から降りる。
「あいがと!」
「ああ」
辺りは緑に囲まれており、すぐ近くからは、さわさわと水の流れる音も聞こえる。商隊の隊長であるアルソン曰く、馬車は川に沿って走ってきたようだ。
「すごーい」
「ニルグ、はぐれるなよ」
「あい」
四人で歩いていると、少し先に人だかりが見えた。
「あれが商隊の仲間たちだ」
アルソンの紹介で、今回の同行者を知る。腹が出っ張った男。眼鏡を掛けた男。双子の女性たち。老人がひとり。そして隊長のアルソンと、同乗していた女性のエリナ。
彼らは食材を運ぶ
「……見晴らしの良い場所を探してきます」
眉を寄せながら言ったのは、眼鏡を掛けた男。つっけんどんな態度でその場を離れていく。
「相変わらず、人見知りしているわね……」
エリナが困ったように呟いたのと同時に、腹の出た男が幌馬車の中を確認した。
「今回は残念だけど、荷物を捨てなきゃだなぁ」
「こんな時に荷の心配をしている場合か」
「爺さん。放棄するには勿体ないじゃないか。どうせ猛獣が食べると思うと……あんな獣に味がわかるわけねえ」
腹の出た男は、はあと溜め息をついた。
彼らが荷を確認する一方で、少年たち兄弟はすぐ近くの木陰で休んでいた。少年は鼻で歌いながら、地面に線を引いている。
「何を書いている?」
「うーん、にいちゃ」
少年の手元を覗き込むと、何とも言えない潰れた顔をした何か……変わった物が書かれていた。頭には角があり、青色と注釈が書かれている。
「……上手いぞ」
兄の言葉に少年は、ぱっと笑った。
「お絵かきたのしい」
「ああ。だが、気づかれないように、角は消しておけ」
「!!」
少年は兄の言葉にハッとすると、慌てて地面を擦った。いつもの兄は角があるが、今は隠しているのだ。しかし、土まみれの手で擦ったら、すべて消えてしまった。
「にいちゃ……」
涙を浮かべていると、お肉の嫌な匂いが鼻をくすぐる。
「食事の準備ができたらしい」
「……食べるの?」
「あれは、断ればいいさ」
兄の言葉に頷きながら、少年は立ち上がる。商隊の人たちは、焚き火を囲んでいた。
「手伝えず、すみません」
「あらジュマさん、良いのよ。ニルグくんの面倒を見ているのも大変でしょう?」
エリナは苦笑いを浮かべながら、眼鏡の男をうかがう。
「まあ、ニルグは聞き分けがいいので」
褒められた少年は、誇らしげに兄へ抱き着いた。さっき泣いてしまいそうだったことも、既に忘れている。
「子育てって大変かしら?」
「どうでしょう。ニルグと出会ったのは、この子が四歳のときですし」
「……本当の兄弟じゃないの?」
「いえ。血は繋がっていますよ」
兄は、いつものように含み笑いを浮かべる。エリナも余計な詮索だと思ったのか「さ、食べに行きましょう」と二人を誘った。
「果物はありますか」
「あるわよ?」
「よかった。俺もニルグも、果物が大好きで」
話しながら、三人は隅の方に座る。各自、好きな場所に腰を下ろしており、腹の出た男と老人は少年たちの向かい。双子は斜め前の木の下。眼鏡の男はひとりで黙々と食べているが、兄弟からは離れている。
「あいつ、商隊に関係ない人を入れるのは不吉だって言うんだ」
アルソンが頭を掻きながらやってくる。片手には串焼きの肉を持っていて、少年は眉を寄せた。
「ニルグ、手を拭くぞ」
「……あい」
「なんだ? ちょっと不機嫌じゃないか?」
「こら、アルソン。そんなこと言わない」
エリナがパシッと大柄なアルソンの腕を叩く。二人は『ふうふ』だと言うが、少年にはその言葉の意味が全く分からなかった。兄は「兄弟みたいなものさ」と言っていたけど、何が違うのかは、教えてくれなかった。
「ほら、肉でも食べるか?」
「……あまり食欲がなくて」
「ニルグくんは?」
「うーん。果物がいい!」
「肉も食べなきゃ大きくなれないぞ?」
アルソンの言葉に、少年は「ぼくはいらないの!」と大声で言う。兄は黒い髪に手を当てながら「すみません」と答えた。
「構わないが……好き嫌いは減らした方がいいんじゃないか?」
「まあ、子育てなんてしたことないアルソンが、アドバイスなんて!」
エリナが目を丸くしたところで、ドッと笑いが起こる。少年にはよく分からなかったが、双子が焼いた果物を持ってきてくれたので、夢中になって食べたのだった。
* * *
大人たちが今後のことを話し合っている中。少年は双子から質問責めを受けていた。
「その頭の花飾りは?」
「お父さんとお母さん、どっちと似ているの?」
「お肉が苦手なの?」
「果物が好きって本当?」
様々なことを聞かれて、少年は言葉を詰まらせる。
まず、頭に咲いている白い花は髪飾りじゃなくて、身体の一部だ。でも、兄は「髪飾りと思わせておけ」と言っていたから、たぶん、教えちゃいけないことなのだろう。
次の質問は難しい。気づけば兄の腕の中で眠っていた少年には、両親というものが分からない。これは首を振っておくべきだろう。
頭を横に振ると、続けて他の質問にも答える。
「お肉はきらい。果物の方が、おいちい!」
「そうよねぇ」
「大人の味、だものね」
双子はクスクスと笑うと、少年の真っ白な頭を撫でた。
「お兄ちゃんに愛されているのよね。いいなあ」
「私たちのお兄ちゃんは、ああだから」
「……?」
眼鏡の男性をジッと見る女性たちに、少年はこっくり首を傾げた。彼女たちは分かるように話すつもりがないのか、苦笑いをこぼすと話を終わりにしてしまう。
ちょうどその時、兄たちの話もまとまったようだ。
「ニルグ、出発するぞ」
「にいちゃ!」
腹の出た男と老人は、焚き火の始末をする。双子は出発と聞いて支度を始めた。
「ぼくたちは?」
「後ろからついて行けばいいさ」
兄弟の荷物はまとめられているし、すべて兄の大きな鞄の中に入っている。あくまで同行させてもらっているだけの兄弟は、準備万端だった。
荷物を背負った兄が目配せをすると、アルソンは頷いて「森を抜けるまで歩くぞー」と声を上げた。
森の中には、沢山の果物がなっている。そのほとんどが食べられないものと聞いて、少年は残念がった。
「おいしくないの?」
「ああ。人間には、そう感じるかもしれない」
最後尾を歩いているからなのか、兄はいつもよりリラックスしていた。少年の無邪気な質問をはぐらかさないのは、商隊の人間に聞かれていないからだろう。
「しかし、あの眼鏡を掛けた男がいてよかったな」
「んー」
「離れて歩く理由になるだろう」
「ぼく、あの人間、きらい」
「俺もあまり好かないタイプだな」
兄の意外な言葉に、少年はその薄緑色の目を瞬かせた。
「にいちゃ、きらいなもの、あるの?」
「あるさ。俺も生き物だからな」
「ふうん」
返事をした瞬間、兄が足を止めた。そのまま、マーブル色の目で先頭を歩く双子を見つめる。
「……にいちゃ?」
「ニルグ、そっちに行ってはだめだ」
兄の声に、少年は振り返る。商隊の七人は近くにいるけれど、残念なことに兄の声は聞こえなかったようだ。
「どうして?」
「あそこに、リンゴの木があるだろう?」
兄は少年の前で膝をつくと、双子の先に向かって指をさした。そこには真っ赤に
双子もそれに興味を示して、商隊の人たちはワイワイ言いながら近づいた。
「リンゴってあぶないの?」
「……見てれば分かる」
兄が言った瞬間、リンゴはグラグラと揺れて、地面に落下した。それが何個も何個も落ちるから、商隊の彼らも異変だと思ったようだ。
「逃げろ!! リンゴの
害のある植物。それを、世間一般的に害物と呼ぶことは兄から教わっていた。それと同時に、害物は少年たちにとって美味しい果物であることも。
「たすけないの?」
「大森林を通り抜ける商隊だ。守る術ぐらいはあるだろう」
兄は両腕を組みながら、商隊の様子を見守っている。
落ちたリンゴはぐしゃりと潰れた。同時に、骨を砕くようなリンゴの潰れる音がここまで響いてきた。女の人たちは顔を引きつらせて、ぶるぶると震えている。
リンゴから鳴ってはいけないような音が、連続して鳴り続ける。
ぐしゃり。
ごきっ。
べきべき。
少年も、思わず「うるさい」と言って耳をふさいだ。怖いというより、不愉快だったのだ。一方で、バイザーを持ち上げた兄は、目をらんらんと輝かせる。
こういうときの兄は、ちょっと怖いと思う。
「アルソン、どうにかして!!」
そう、エリナが叫んだのと同時に、音を鳴らしていたリンゴが形を変えた。どろりと溶けたようなそれは、すりおろしリンゴに水を加えたみたいな感じ。
「いい匂いだ」
兄は満足そうに笑っていた。
「にいちゃ……みんな、たべられちゃうよ」
「そこは調整するさ」
「……」
最初に狙われたのは、女の人たちだった。リンゴは煮詰めたときみたいに膨らむと、双子にまとわりつく。
「あ、あああああつい!!」
「痛いっ、痛い!」
「シャナ! メリア!」
二人は熱い熱いと叫びながら、倒れてしまう。眼鏡の男が飛び込んだが、その前に……溶け切ってしまった。あとに残ったのは二人の持っていた金属の鍋や、おたま。
「目玉を嫌う習性があるのだな」
……あと、兄の目には、目玉が落ちているのも見えたらしい。少年は耳を塞いでいた手を目の前に持ってくると、見えないように目を閉じる。こういった光景は、あまり好きじゃない。
こういう時、見ないでいるのも怖いと思うのは、自分だけだろうか。
「おわったかな」
「あと、二人は吸収させたいな」
「……うぅ」
「ちょっとの辛抱だ」
兄の言葉通り、別のリンゴは形を変え、腹の出た男に襲い掛かった。
腹の出た男は、脳天を突き刺され、体液をすべて吸われてしまう。じゅうじゅうと吸われたあとは、しぼんで、皮だけの姿になっちゃった。
「キャアア!!」
ついにエリナが、叫んで逃げ出した。アルソンは迷うような目をしたが、やっぱりエリナを追いかけた。それは『ふうふ』だからなのかな? と思いながら、残った二人の男を見つめる。
眼鏡の男性は双子が溶けた場所で膝をついているし、老人は腰が抜けている。
「だ、だれか……わしを……」
老人の前に転がってきたリンゴは、老人の目を串刺しにした。
「目玉が嫌いなのは、個体差なのか?」
「にいちゃ、あの人、寄生されちゃう……」
困ったように裾を握ると、兄は「もう寄生されているが」なんて片眉を上げた。
「あ……あ……」
老人はゆらりと立ち上がると、ナイフを持って眼鏡の男の元へ行く。
「にいちゃ……」
不安そうな声を漏らしたら、兄は頭を左右に振った。
「お前は優しいな」
「あんまり、ふとったリンゴ、やだから」
「はは。やっぱり俺の弟だ」
兄は笑うと、少年を抱き上げた。そして一瞬で老人に間合いを詰める。
「ああああ」
兄の取り出した短槍は、ガッと包丁で防がれる。しかし畳みかけるように、片手で槍を回した。兄の頭には青色の角が生えており、もう『人間でない』ことを隠すつもりがないようだ。
「消えろ」
兄は無表情で告げると、叩き切るように、槍を振り下ろした。老人は真二つに割れて、リンゴに吸収されていく。
「にいちゃ、すごーい」
そう言った少年の腰の辺りにも、尻尾がふらふらと伸びている。角や尻尾は人間にはない特徴。
「……お、まえら、やっぱり人間じゃなかったのか」
助けられたというのに、眼鏡の男は忌々しそうな声を上げる。
「人間でないことが悪いか?」
「お前たちが招いたことなのだろう?」
「さてな」
兄は肩をすくめると、少年を地面に降ろした。そして「存分に味わってきなさい」と言うと、槍の切っ先を眼鏡の男に向ける。
少年は、だらだらと垂れる涎を腕で拭いて、転がっているリンゴに目を向けた。少年の興味は、もう目の前のリンゴへ釘付けだ。リンゴは細かく震えると、丸みを帯びた体を尖らせる。
「いただき、ますっ」
少年は大きく口を開け――尖ったリンゴを丸々と飲み込んだ。ばきっ、ぼきっと骨の音が鳴るのはいただけないが、味はとろけるように美味しい。
それが誰を殺したリンゴなのか、分からないが、バリボリと食べていく。
「ば、化け物が!!」
男は叫ぶように吐き捨てた。
さっきまで仲間を殺して回っていたリンゴを食べているのだから、そう思われるのも仕方がないのかも。でも、美味しいのになぁと不思議に思いながら、リンゴを食べる。
「……都合が悪いな」
「なっ」
ちらり、兄を見上げると、ちょうど男の首をはねているところだった。パンッと飛んだ頭は、またリンゴに吸収されていく。少年は捕まえたリンゴを持って、兄に近寄る。
「あい」
「ああ。ありがとう」
兄はホッとしたように笑って、リンゴをかじる。
「相変わらず、美味しいな」
「……でも、だいじょうぶ?」
「取り逃した二人か? 気にしなくていいんじゃないか」
続けて「女の方は気がふれていそうだ」と兄は嗤う。
少しだけ、親切にしてもらったのに……という気持ちが湧いて出たけれど、目の前の甘美なリンゴには勝てない。全部のリンゴを食べ終わると、兄を見上げた。
「ごちそーさま!」
「ごちそうさま」
口を腕でぬぐうと、二人で笑い合う。やっとお腹いっぱいになった少年は、歩き出した兄の背を追いかける。
その頃には惨劇のことなんか忘れて、ご機嫌にも鼻歌を口ずさんでいるのだった。
(完)
ポム・ダウン 蛸屋 匿 @takoyarou_109
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