第十六話 魔法使いの弟子
「……おい、起きろ」
誰かに揺さぶられ、レオナは目を開ける。温かい陽の光が、レオナを照らす。レオナの顔を、長身の青年が覗き込んでいた。青年の青い瞳が、驚くレオナの顔を映す。優しさと厳しさを宿したその目を見るなり、レオナはなりふり構わず青年の懐に飛び込んだ。青年は仕方なさげに、ぎこちなくレオナを撫でる。
「コラコラ、俺が元に戻ったからって、そんなにはしゃぐなよ」
「グリフさん……。よかったぁ、よかったよ……」
その瞳をレオナは忘れるはずがなかった。嬉しさのあまり、レオナは力いっぱいグリフを抱きしめる。二本の足で立つのが久しいのか、グリフはレオナの体重に押されてよろける。
「元に戻った……のか?」
フランシスとおぼしき騎士が、自分の姿を見る。その奥ではアダムスの面影がある中年男性が、エフィルを抱きかかえていた。エフィルはアダムスの腕に包まれて眠っている。
「そうだね。君とエフィルのおかげだよ」
アダムスはにっこりと笑う。その顔には、もう恐ろしい魔物の面影はなかった。窶れていたが、穏やかな顔つきの赤毛の王だ。アダムスはエフィルをそっと床に降ろす。
「君には感謝をしてもしきれないよ。ありがとう。みんなを……エフィルを助けてくれて」
「ううん、僕だけじゃないよ。エフィルも、みんなを元に戻してくれたんだ」
アダムスは穏やかな表情だ。レオナはエフィルに歩み寄る。エフィルはゆっくりと目を開けた。安堵した表情で、エフィルはレオナを見る。
「よかった……。みんな元に戻ったんだね」
「うん、終わったんだよ」
エフィルは弱々しく微笑む。レオナはエフィルの無事な姿を見て、にっこりと笑う。
「さぁ、ここは危ない。早く外に出るぞ」
グリフに促され、レオナはエフィルの手を取る。フランシスが先導し、グリフとアダムスは部屋を出て行く。レオナもエフィルの手を握ったまま、部屋の出口へと走った。
城の外に出ると、空は澄み渡り、温かい風が花畑の間を吹き抜けていた。城は日の光に照らされ、灰色の外壁を白く輝かせていた。
「虹が……虹が空に架かっている……」
アダムスが空を見上げて呟く。レオナとエフィルも顔を上げる。冴え渡る空の中、七色の虹がはっきりと映っていた。虹は島々をつなぐように、空一面に広がる。
「ねぇ、君にお願いがあるんだ」
エフィルはおずおずとレオナに尋ねる。レオナは不思議そうにエフィルの顔を見た。エフィルは落ち着きがなさそうに目を泳がせる。
「その……友達になっても……いいかな? こんな僕だけど、君と一緒にいたいんだ」
エフィルは自信なさげな顔をする。しかし、レオナは笑顔のまま、エフィルの手を取った。
「もちろんだよ」
レオナの言葉に、エフィルはうすら涙を浮かべる。エフィルはレオナを強く抱きしめた。レオナも優しくエフィルを撫でる。抱き合う二人の姿を、虹色の光が包んでいた。
「よーし! ブラウ山まで駆けっこだー!」
「待ってよ~。置いてかないで~」
ブラウの街に、元に戻ったアルマンド達の楽しげな声が響き渡る。道には店が建ち並び、街の入り口にある”ようこそ!”の看板通りに街は賑わっていた。
八百屋に一人の白い髭を蓄えた老人がやってくる。パイプを咥え、気難しそうな皺が刻まれていた。老人の側には、恥ずかしそうに隠れる緑色の髪の少女がいる。
「やあ、ドレイクさん。またリンゴ二個かい?」
「ああ、いつもすまないな」
「いいって事よ。息子夫婦の分だろ」
店の主人はさわやかな笑顔で笑い、リンゴをドレイクに手渡す。ドレイクは少し寂しそうな顔をする。
「たまには、墓参りに行かんとな」
「アンタとセルマちゃんの顔を見れば、きっと天国にいる二人も喜ぶぜ」
主人はドレイクを慰めるように言う。セルマも愛おし気にリンゴを抱えた。
「あ、セルマとじいちゃんじゃねぇか!」
「ねぇ、じいちゃんとセルマも遊ぼうよ」
アルマンド達が二人の姿を見るなり、嬉しそうに寄ってくる。来ている腹巻きを引っ張られ、ドレイクは苦笑した。アルマンドもセルマの手を引く。
「よしよし。ならば、今日は缶蹴りをしよう」
「ハハハ。モテモテだな、ドレイクさん」
子供達と手をつなぎ、ドレイクは店の主人に挨拶をする。街には今日も、ブラウ山から運ばれるさわやかな風が吹いていた。
「お前ら!舵を取れ!」
「アイアイサー!」
ホワイトウェーブ湾に、威勢の良い声が轟く。海賊達は次々と巨大な船に乗り込んでいく。その中にはドッキーやボビーの姿もあった。船からは黒い帆が上がる。
「本当に言っちまうのか?」
ダスティが船長に問いかける。船長は潮風に金髪をなびかせながら豪快に笑う。船長の青い瞳は、波打つ海原をありありと映していた。
「ああ、もう魚を運ぶ必要もなくなったからな。また新しい旅に出るぜ」
船長は地平線を見る。地平線の真上には、夕焼けの光が波を彩っていた。ダスティは名残惜しげに頭を掻く。船長はダスティに手を振り、船へと向かっていく。
「寂しいこと言うなぁ。あばよ、海賊船の船長さん」
ダスティは手を振り返す。船長は船に乗り込み、錨を上げる。
「行くぞ! お前ら!」
「ヘイ! 船長!」
船長のかけ声と共に、船の汽笛が鳴り響く。白波をかき分けて出航する船を後押しするように、水色の触手が水面から顔を出していた。
夜も更けた頃、ロイドは洋館のドアノブに手を掛ける。かつては陰気な雰囲気の洋館だったが、今はガラスが全て直され、伸び放題だった庭の草木もきれいに整えられている。内部も手入れが行き届き、荒れていた面影はない。眠たそうな緑色の目をこすり、ロイドはくしゃくしゃになった金髪をかき分けた。その手には沢山の青いバラが抱えられている。扉を開けようとすると、ロイドはふと、懐かしい気配に振り返った。そこには誰もおらず、ただカーテンが風にそよぐだけだ。だが、ロイドは僅かに笑う。
「エレイン、ドロシー、見ているかい? 庭園に青い薔薇が咲いたんだよ。君達が大好きだった薔薇がね」
ロイドは丁寧に薔薇を包みながら、外へと出て行く。
誰もいなくなった屋敷の中、窓から吹き抜けてくる風が、家具の間を縫うように泳ぐ。その風に乗って、バラの残り香が屋敷内に漂っていた。
朝日が地平線から顔を出す頃、一人の青年騎士が花畑の花に水をやっていた。花は咲き乱れ、甘い香りを放っている。青年騎士は慣れていない手つきでジョウロを握っていた。花畑の奥には、かつて魔王の城と呼ばれた城がひっそりと佇んでいる。主無き城を守るように、青年騎士、フランシスは鎧姿で花の手入れをしていた。
「フランシス、もう君は自由だ。王国はもうない。君も君の好きに生きていいんだよ」
フランシスのジョウロを、アダムスが手に取る。魔物だった時の威厳は無く、ただ一人の人間として、アダムスはそこにいた。
「アダムス様、お言葉ですが、私は王としてではなく、アダムス様個人としてお仕えしていました」
「しかし……私にはもう、人を動かす程の力は無いよ」
アダムスは寂し気に城を見つめる。かつては王国だったこの地には、民も、町ももはや残っていないのだ。
「だったら、新しく始めればいいんだ。昔アンタがやってたみたいにな」
「そうだよそうだよ! 王様ならきっとできるよ!」
アダムスの背後から二人の青年が駆け寄る。少し顔色が良くなったダミアンは、悪戯気にアダムスからジョウロを掬い取った。快活な表情のデイビーも、無邪気な子供のように花畑を走り回った。
「アンタが必要な人はいるんだぜ。王様」
「みんな……」
王様とその家臣を見守るように、花畑は佇む。花畑の中を、蝶々が弾むように飛び回る。城を守る騎士は、その姿を見ると少し頬を緩めた。
二人の賑やかな家臣も、蝶々を指に乗せようと追いかける。頼もしい家臣達の姿を見ると、窶れた王の顔に光が差した。
そして、シルバ山の頂上に佇む小さな家に、レオナとエフィルは住んでいた。二人は昼のうちは麓の花畑で遊び、夕食の時は温かい豆のスープを頬張る。そして、夜寝るときは、グリフが本を読んでくれる。二人はいつも一緒だった。
「ねぇ、まだ起きてるかな?」
ベッドに寝そべりながら、エフィルはレオナに話しかける。もうグリフが明かりを消して、辺りは真っ暗だ。
「うん、起きてるよ」
レオナは起き上がり、返事をする。暗闇で、お互いがどんな表情をしているのかは分からない。
「君はどうして、そんなに強い気持ちを持てるのかな?」
エフィルの言葉を聞き、レオナは首を傾げる。強い気持ち……。それを持っていたから人々を元に戻すことが出来た。その気持ちがどこから来ているのかは、レオナ自身にも分からない。
「よく分からないけど、みんながいたから僕は挫けることがなかったのかな」
「…………そっか、そうだよね」
エフィルは満足げに笑う。そして、毛布を被って寝転がった。
「答えてくれてありがとう。おやすみ、僕の親友」
「また明日も遊ぼうね。エフィル」
ベッドに横になり、レオナはゆっくりと目を閉じた。世界も救われ、長い旅も終わった。しかしまた明日から、レオナの物語は始まる。ただのレオナとして。
今はおやすみ、小さな魔法使い。いつかまた会うときまで。
昔々、魔王が伝説の魔法使いによって封印されました。
けれど魔王は長い時を経て封印を解き、人々を魔物に変えてしまいました。
小さな魔法使いの弟子は数々の困難を乗り越え、ついに魔王と対峙しました。
しかし、そこには魔王などいませんでした。そこにいたのは小さな魔物の子供でした。
魔法使いの弟子は魔物の子供に手をさしのべ、友達になろうとしました。魔物の子供は諦めない魔法使いの心に涙し、魔物になった人々を元に戻すことにしました。二人の力で人々は元の姿に戻り、またいつもの平和な日々が続きました。
小さな魔物の子供は今でも、小さな魔法使いの側にいます。
――おわり――
筆箒の魔法使い 一途貫 @itcan
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