第十四話 全てが混ざり黒になる

 レオナは鏡を見つめる。そこにはレオナの姿があった。長旅で煤けたマントに、疲れ切った顔。レオナのすべてをありありと写している。何の変哲も無い、ただの鏡だ。


「ごきげんよう。ここにお客さんが来るなんて珍しいね」


どこからか声が聞こえてくる。まだ声変わりしていない、少年とも少女とも分からない声だ。聞いたことの無い声に、レオナは慌てて鏡から離れる。


「だ……誰?」


「僕はエフィル。魔物の子供のエフィルだよ」


声は姿が見えないまま続く。レオナは体中に、今までとは比べものにならないほど凍てつく寒気を感じた。この声の主から感じ取れるのは、激しい憎しみと、誰の介入も許さない不信感だけだ。流れ込む感情の強さに、レオナは胸を押さえる。


「君は一体……どこにいるの?」


「ここにいるよ。この暗闇の中にね」


抑揚の無い声でエフィルは続ける。冷たく、熱が感じられない無機質な声だ。


「お願いだよ、みんなを元に戻してほしいんだ」


「どうして? みんな望んであの姿になったんだよ。僕の魔法で、みんなの中にあった負の感情が、外に出てきただけさ」


レオナの訴えを、暗闇は打ち消す。エフィルの冷たい声が、レオナの周りを駆け巡った。


「君だってそうだろう? 君はあの子と同じだ。僕を殺そうとした、あの子とね」


「あの子……?」


嘲るように暗闇がレオナを縫うように漂う。レオナの筆先の光が、鏡を照らし出した。そこには、一人の少年が映っている。だが、顔立ちはレオナと似ているが、少し大人びていた。銀色の髪の少年は、虚ろな金色の瞳でレオナを見る。


「君は魔王の伝説を知っているだろう? その子はかつて自分の命と引き換えに僕を封印した魔法剣士、ミケラだよ」


鏡に映るかつての英雄。紺色の鎧を身に纏い、白いマントをはためかせている。白銀の剣を手にし、白い盾を携えた姿は英雄らしく勇壮だ。だが、その目は依然として生気が宿っていなかった。


「彼も最初は僕に君と同じことを言っていたよ。だけど、結局はそれが憎しみに変わった。君も同じだよ」


「違う! 僕は……!」


エフィルの声は姿が見えないまま暗闇へと消えていく。それと同時に、レオナの筆先の光がかき消された。辺りに黒いもやが立ちこめ、鏡の表面が怪しく歪む。レオナの足下の感覚がなくなり、上下左右も分からない空間が広がった。レオナは慌てて筆箒に意識を集中させる。しかし、レオナの心は得体の知れない恐怖で満たされていた。筆箒は光りもせず、静止したままだ。レオナは筆箒に願うも、彼の恐怖に筆箒は答えなかった。鏡からミケラが手を伸ばす。レオナは恐怖を振り払うように、魔法の宿っていない筆箒を構えた。ミケラは鏡から姿を現した。レオナが筆箒を持つ手とは反対の手で、ミケラは剣を握りしめている。表情一つ変えることなく、ミケラはレオナに斬りかかった。レオナは筆箒でミケラの一撃を受けるも、衝撃で吹き飛ばされる。ミケラは吹き飛ばされたレオナに、すかさず次の一太刀を浴びせようとした。


「ま、待って! 君は誰なの? どうして僕に襲ってくるの?」


レオナの声を切り捨てるように、ミケラは容赦なくレオナを斬りつけた。レオナの肩が切れ、血が流れる。痛みに慄き、レオナは暗闇の中を逃げ出した。ミケラは焦る事なく、剣を地面に突き立てた。たちまち緋色の雷が、血管のように迸る。レオナを緋色の雷が襲う。身体中を雷に切り裂かれ、レオナは暗闇の中に倒れた。


「どうして……どうして……」 


レオナは疑問と怒りに苛まれ、筆箒を握る。なぜ、みんな戦おうとするのか。どうして、人を傷つけるのか。やり場のない憎しみが、レオナの中から湧き上がった。憎しみに合わせて高鳴る鼓動。筆箒がまるで生き物のように脈動し、筆先を黒く染めた。黒い光に包まれ、筆箒は剣へと姿を変える。武器へと変わった憎しみを、レオナはミケラに突きつけた。

「お前は……お前はっ……!」

レオナは剣を振り、空間を切り裂く。すると、破片が刃物のように変形し、ミケラに襲い来る。ミケラは盾を構え、破片を受け止めた。盾と破片がぶつかり合い、火花を散らす。レオナが振り翳した剣を、ミケラは片手で受け止めた。互いの剣が唸りを上げ、緋色の光が乱反射する。衝撃で両者は弾かれたが、再び斬り結んだ。レオナは攻撃の手を緩めず、剣を振い続けた。

 ミケラの身体は所々裂け、黒い霧が漏れる。レオナの身体にも切り傷が刻まれるが、剣を振る手は止まらない。ミケラは盾でレオナを弾き飛ばす。レオナは怯むも、憎しみに満ちた目でミケラを見た。レオナの剣が激しく脈打つように輝く。剣を振り、レオナは衝撃波を放った。空間を裂き、緋色の衝撃波はミケラの盾に直撃する。衝撃波は盾を食い破り、ミケラの鎧に傷をつけた。よろけたミケラに、レオナは斬りかかる。ミケラは剣でレオナの斬撃を受け止めるも、剣は砕け散った。倒れたミケラの胸元に、レオナは剣を突き付ける。切先はミケラの心臓に向いていた。だが、ミケラは無表情で、レオナを見つめるだけだ。レオナはトドメを刺そうと、柄を握る手が強くなる。暗闇が嘲笑うようにレオナの帽子を吹き飛ばした。

 その時、レオナは刃に映る自身の姿が目に入る。緑色の瞳が怒りに震え、憎悪に満ちた表情は、一瞬自身の顔だと分からなかった。レオナは我に返り、その場に崩れ落ちる。自分の憎悪に恐れ、押し潰されそうになった。手からすり抜けた剣は筆箒に戻り、真っ二つに折れる。


「僕は……僕は……君を殺そうとした……。そんな事思っていなかったのに……なんで……」


レオナは虚ろな瞳で折れた筆箒を見た。レオナがどれだけ祈れども、筆箒はもう元には戻らない。ミケラの傷も治る事なく、絶えず黒い霧が出ていた。


「僕は……どうすればよかったんだ。こんな事……望んでいなかった……」


絶望に沈むレオナを飲み込むように、暗闇が漂った。レオナはそのまま、闇に身を任せようとする。


「レオナ、希望を捨てないで」


ふと、レオナの周りに誰かがいるのを感じる。姿こそ見えないが、落ち着いた、どこか温かい雰囲気だ。見えない気配が、レオナの肩をそっと押す。レオナは顔を上げて、声の正体を探した。


「君は……」


「僕はミケラ。本当のミケラだよ」


声と共に、レオナの前にいるミケラが黒い霧に変わり、消え去った。レオナを気配が優しく包み込んだ。自身より少し大人びた少年の気配を、レオナは確かに感じていた。


「レオナ、君ならエフィルを救える。いや、君にしかできないんだ」


「だけど……筆箒はもう……」


レオナは躊躇い気に、折れた筆箒を見た。筆箒はもう、レオナの意思に応えてくれることはない。


「魔法はいつでも、君の気持ちに応えてくれるはずだよ。ほら、筆箒を持ってみて」


レオナの手に、誰かの手が重なるような気配がした。姿は無いが、大きく柔らかい手つきだ。英雄の手と重なると、レオナの中に温かいものが込み上がった。筆箒を両手に乗せ、レオナはゆっくり目を閉じる。暗闇の中、誰かがレオナに微笑みかけた。


「お願い。もう一度僕に力を貸してほしいんだ」


目を閉じたまま、レオナは筆箒に語りかける。筆箒を握る手が熱くなり、光が漏れ始めた。筆箒が熱を帯び、光が強くなる。


 鏡が割れる音と共に、レオナは目を開けた。

筆箒が眩く輝き、レオナを照らしている。暗闇に飲み込まれてはだめだ。そう鼓舞するように、筆箒は元に戻り、レオナの手に収まる。筆箒から溢れる力が、レオナの手から伝わった。


 鏡が割れると、視界が一気に開けるように、暗闇は消え去った。燭台の火が揺らめき、窓からは光が差し込んでいる。その部屋には、扉とレオナしかいない。レオナは筆箒を持ちながら、その場に立ち尽くしていた。今までの出来事は幻だったのだろうか。茫然とするレオナを、誰かが後押しした。


「僕はエフィルを助けることはできなかった。だけど、憎しみを乗り越えた今の君なら、エフィルを救えるはずだ」


「君は……どうして僕を助けてくれたの?」


レオナが振り向くと、そこにはミケラがいた。鎧に身を包み、剣と盾を携えた英雄は、伝説通りの勇ましい出立ちだ。だが、今は少年のような顔をしていた。白いマントを揺るがせ、ミケラはレオナに歩み寄る。互いの白いマントが揺れ、鏡写しに二人は立っていた。


「お願いだ。エフィルを…………僕の親友を救ってくれ」


ミケラの言葉に、レオナは強く頷いた。目の前の少年の返答を聞くと、英雄は満足気な笑みを浮かべる。かつて自分がただの少年だった時にしていたように。ミケラは魔法使いの弟子の後ろ姿を見届けながら、光の中へと消えていった。


 レオナは決意を新たにして、扉を開く。長旅ですすけたレオナの姿が、扉に吸い込まれるように入っていく。例えそこにどんな真実が待っていようとも、レオナの想いは、もう揺るがなかった。

 

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