第十三話 伝説の真実
扉の先には、真っ赤な絨毯の先には厳めしい雰囲気の玉座があり、そこに鎧を着た魔獣が座っていた。燭台に灯された光が、魔獣の姿を照らす。これまで見てきたどんな魔物よりも巨大だ。怪物の頭を模した紫色の杖を握り、黒い鎧の装飾が炎に揺らめく。レオナは一歩ずつ前に進む。魔獣はレオナを見ると、玉座からゆっくり立ち上がる。虎のような顔に、牛のような巨大な角。燃えるようになびく赤い鬣と、恐ろしげな姿だ。
「……魔法使いか。そなたの目的は分かっている。私に会いに来たのだろう?」
「……うん。みんなにかかった魔法を解いてほしいんだ」
重々しく、威厳のある声で魔獣はレオナに問いかける。レオナは一瞬怯むも、首を縦に振った。魔獣は黄色い目を爛々と輝かせ、一歩前に進む。大地を揺るがす足音が、城内に響き渡る。
「……ならば語るまでもあるまい。そなたが私を倒すか、私がそなたを倒す。それ以外道はないのだ」
魔獣は杖を構え、血のように赤いマントを翻す。レオナも決意に拳を握り締め、筆箒を手に取った。
「行くぞ、小さき魔法使い! 私の名は魔王アダムス! 魔物の王だ!」
魔獣……魔王アダムスは猛々しく咆哮する。この魔王と戦わなければ、人々にかかった魔法は解けない。レオナは覚悟を決め、魔王に向かい合う。魔王は杖を振り、火球を放つ。レオナは身を翻して、火球を避けた。炎は城の床を焼き焦がす。まるでレオナに、“逃げも隠れも許さない”と釘を刺すように。レオナの額に汗がにじむ。魔王は杖をレオナに向かって振り下ろした。レオナは筆箒から冷気を放つも、アダムスはマントで冷気を振り払う。杖は地面を割り、風圧がレオナを襲った。床が半壊し、砂埃が舞い上がる。レオナは砂が目に入らないように、目を手で覆った。
「戦うのだ! そなたの力はそのようなものではないだろう!?」
魔王の声は心臓をえぐり取るように響き、レオナは目を開ける。微かだが、砂塵の中に魔王の影があった。魔王の影が揺れ動き、レオナは後退する。魔王は杖で砂を払いのけ、レオナの目の前に現れた。レオナの肌は魔王から放たれる威厳を感じ取り、電流が走ったように震える。同時にレオナは違和感のようなものも感じていた。だが、そこに確証はない。レオナの筆箒を握る力が僅かに緩む。
「……迷っているな。それとも私が怖いのか? 手が震えているぞ」
「ち……違う。僕は……」
魔王は死神の鎌のように杖を振り上げる。レオナは迷いを指摘され、拭うように首を振った。魔王はレオナ目掛けて杖を振る。レオナは目の前に黄緑色の盾を出現させた。杖と盾がぶつかり合い、激しく火花を散らす。重い一撃だ。レオナは苦しげな声を上げながらも、地面を踏みしめる。衝撃波で、レオナの周りの地面がめり込んだ。やはり何か違和感を感じる。一瞬、レオナに気の迷いができ、盾はガラス片のように砕け散った。レオナは衝撃波に吹き飛ばされ、城の壁に叩き付けられる。レオナの全身に鈍い痛みが走った。桁外れの力だ。これまでの魔物より遙かに強い。魔王は容赦なく次の攻撃を繰り出す。杖が光ると同時に、雷が部屋中にほとばしる。レオナはすぐさま筆箒を振り、土の壁を作り出す。だが、雷の矢は容易く壁を貫き、レオナの腕に命中した。身体中を駆け巡る裂けるような痛みに、レオナは膝をつく。
「小手先だけの技など、私には通用しないぞ!」
魔王はマントを広げる。赤くはためくマントから、火炎が放たれた。レオナは筆箒に祈り、水泡を作り出す。水泡はやがて、揺蕩う水へと変わり、火炎に押し寄せた。だが、魔王の杖の一振りで、水は蒸気に変わる。火の粉がレオナに降りかかり、焼け付くような痛みが走った。
「たわいない。私の元に来た者がこの程度とは」
いかなる術も、この魔王の前では無力だ。レオナは筆箒から緑色の雷を放つが、魔王の雷霆の前にはかき消える。レオナが火球を放つも、魔王は火遊びだと嘲笑うように握り潰した。打つ手がなくなり、レオナはその場に立ち尽くす。無力な魔法使いを、魔王は容赦なく杖で打ちのめした。レオナは筆箒を構えるも、絶望に満ちたレオナに、魔法は応えてくれない。杖の一撃をまともに受け、レオナは扉に吹き飛ばされた。床に転がる魔法使いにとどめを刺そうと、魔王の地響きが近づく。レオナは痛みと無力さに打ちひしがれ、筆箒にすがった。ボロボロになった筆箒は、レオナが旅立った時ほどの頼もしさはない。どんな魔法も効かない。どんな策も魔王には通用しない。レオナに残された選択はたった一つだけだ。魔王を倒す。それしかレオナには残されていない。もう迷う必要はない。レオナの瞳の光が鋭くなる。全身の痛みを忘れ、レオナは筆箒を手にし、立ち上がった。この魔王は倒さないと。レオナの呼吸に呼応するように、筆箒は黒く輝いた。魔王は黒い光に、一瞬たじろぐ。眩く輝く筆箒はその姿を変え、一本の剣へと変わった。銀色に輝く刃は、今までの魔法には無い、強い力を感じる。レオナは初めて握る力を手にし、魔王と相対した。先程とは雰囲気の異なる少年を見て、魔王は満足気に笑う。
「もう僕は迷わない。お前を倒す!」
「……それでいい。さあ、全力でかかって参れ!」
レオナは剣を振り、猛然と魔王に向かう。マントで全身に風を受けて走る様は、レオナを本当の勇者にした。魔王はレオナを焼き尽くさんと、杖から火炎を放つ。レオナは火炎を一閃する。黒い衝撃波が魔王の鎧をいとも簡単に切り裂いた。魔王の裂けた胸元から血が滲む。魔王は胸元を押さえながら咆哮した。魔王の叫びに応えるように、雷が放たれる。レオナは剣で雷を受け止めた。銀色の刃は雷を受けて一層輝く。そのままレオナは魔王に斬りかかった。魔王は杖を振り上げ、レオナの命を打ち砕こうとする。金色の杖と白銀の剣がぶつかり合う。レオナは渾身の力を込め、その瞳には魔王だけを映していた。互いの手にしている武器が……意思が悲鳴を上げる。金属音が轟いた時、杖が折れ、魔王はその場に崩れ落ちた。魔王の鎧は肩からひび割れ、血が溢れている。口の端から血を垂らしながら、魔王は荒い呼吸を吐き出した。レオナの剣には、苦し気な魔王の姿が映る。同時に、返り血の付いた自身の顔が映った。
「見事だ。さあ、私の息の音を止めるがいい。それがそなたが望んでいた事だろう」
魔王はレオナの剣を首元に押し当てる。レオナは我に返り、しばらく呆然としていた。目の前にいる血塗れの魔王。肩から腹にかけて裂けた傷。その傷はレオナにこう言っているように感じられた。これは全部お前がやったのだと。レオナはもう一方の手を胸に当て、問いかけた。これは自分が望んでいたのかと。魔王は安らかな表情で、剣を掴んでいた。
「私を殺さねば、魔法は解けぬのだぞ」
「い……嫌だ。こんなの……こんなの間違ってるよ……」
レオナは剣を落とし、咽び泣く。剣は元の筆箒に戻り、罪の意識に慄く魔法使いの側にいた。
こんな戦いは続ける必要は無い。レオナは絨毯を強く握り締めた。魔王は驚き、レオナを見る。今、身体を震わせている魔法使いは、何も特別でもない、ただの子供のように見えた。
「もう止めよう、こんなこと」
レオナの胸の内は悲痛な叫びを上げる。悲しみが一気に爆発し、溢れる涙が絨毯を濡らした。レオナの悲しみに呼応するように、筆箒が白く輝く。すると、魔王の傷は塞がりはじめた。レオナは突然現れた魔法に、顔を上げる。傷の癒えた魔王は、レオナに手を差し出した。だが、それは攻撃の手ではなく、子供を優しく撫でる手つきだ。
「…………本当のことを言おう。これ以上隠し事はできぬからな」
魔王はレオナをいたわるように涙を拭き取る。先ほどまでの険しい顔はなく、優しい顔つきになっていた。レオナは涙を浮かべながら、魔王を見る。魔王は決意を固めるように、大きく息を吸った。
「私は、魔王などではない。いや、初めから魔王など存在していなかったのだ」
魔王、アダムスは心苦しげに言う。レオナは驚くも、静かに頷いた。恐ろしげな風貌こそ魔王そのものだが、こちらを心配するような目つきは魔王ができるものではない。アダムスはレオナの無垢な瞳を見る。
「私はかつて、この国の王だった。妻と息子を亡くし、私は絶望に暮れ、国は衰退した」
アダムスの顔が陰る。レオナは黙ってアダムスの話に耳を傾けていた。
「ある日、私は花畑に水をあげに行った時、傷ついた魔物の子供を見つけたんだ」
アダムスは愛おし気な目つきでステンドグラスを眺める。
「魔物の子供は人間を憎んでいた。あの子の巨大な魔力は、人間を魔物に変えてしまうほど強力だ。だけど、私はあの子と一緒に生きることを選んだ。いつしか、私自身も魔物になってしまったが、魔王として、父親としてあの子の側にいたかったんだ」
アダムスは涙目になり、レオナの肩をしっかりと掴む。
「お願いだ! あの子を……エフィルを助けてほしい。あの子はただ、友達が欲しいだけなんだ」
アダムスは真剣な表情でレオナに懇願する。レオナは“エフィル”と言う聞き覚えのない名前に首を傾げた。エフィル……どこか懐かしげな響きだ。レオナは筆箒を取り、アダムスの手を握り返す。
「もちろんだよ。これ以上誰も苦しませたりはしない」
「!!…………ありがとう、小さな魔法使いさん。君なら、きっとあの子を助けられるよ」
アダムスは大きな手でレオナを撫でる。その姿には、もう魔王の面影はなかった。アダムスは立ち上がり、部屋の奥へと向かう。部屋の奥は赤いカーテンで覆われていた。アダムスはカーテンを引き、隠されていた扉を露わにする。二つのステンドグラスの間に、木製の扉があった。城内にあった他の扉とは異なり、おとぎ話の小人の家のような、温かみがある。
「さあ、あの子はこの先にいる。どうか、あの子を助けてくれ」
「この先に……」
アダムスは申し訳なさそうにレオナを見る。レオナは扉を開けた。扉の奥は真っ暗でよく見えない。すると、筆箒が黄色く光り出し、扉の奥を照らし出した。長い回廊が薄暗く光る。
「すまないね。君にすべてを任せてしまって」
「心配しないで、アダムスさん。僕、絶対その子を助けるよ」
アダムスは肩をすぼめる。しかし、レオナは胸に手を当て、アダムスに向かって笑いかける。レオナはアダムスの姿を見送りながら、光に向かって進んでいく。回廊は光が照らせども、暗闇が光を飲み込むように覆っている。まるでレオナの行く先を途絶えさせるように。
回廊は際限なく続く。レオナは光を頼りに先へ先へと歩を進める。火の付いていない燭台が、不気味にレオナを見下ろしていた。レオナの足下はおぼつかず、いつ暗闇に引きずり込まれるかさえ分からないほどだ。レオナは筆先の光を絶やさないように強く祈る。ここは本当に城の一角なのだろうか。先ほどの雰囲気とは全然違う。何もない、静かな暗闇だけが広がる。僅かに見える城壁も、無機質な灰色を帯びていた。ふと、どこからか不気味な声が聞こえる。
「昔々、ある魔法使いが、魔物の子供を拾いました」
レオナは辺りを見回すが、暗闇で全く見えない。声はどことなくグリフに似ていた。しかし、温かみのない、気味の悪い声だ。レオナは姿無き声の主に不安を覚えながら、先へと進む。
「魔法使いには弟子が一人いました。弟子と魔物はとても仲がよく、いつも一緒でした。二人はお互いを大切な親友だと思っていました」
「ねぇ、君がエフィルなの?」
再び声がレオナの頭の中に響いてくる。レオナは立ち止まり、声に呼びかけた。だが、声は一方的に響く。今度はセルマに似た声だ。だが、口調とは裏腹に憎しみが言葉の一つ一つから感じられる。
「ある日、魔物は一人で村に遊びに行きました。しかし、人ならざる外見を見て、村人達は怯えました。村人達は魔物に石を投げ、棒で叩き、ひどく痛めつけました」
「君を助けに来たんだ! お願い、答えてよ!」
エドガーに似た声が、レオナの体を突き刺すように迫ってくる。レオナの背筋にはひどい寒気が走った。レオナは暗闇に何度も訴えかける。周りに嫌な空気が漂う。まるでレオナを圧し殺すかのように。
「魔物は人間達がやったことに酷く悲しみ、憎しみのあまり他の魔物達を生み出して、人間達を襲いました。その姿はもはや魔物ではなく、魔王そのものでした」
声はどんどん大きくなってくる。ロイドに似た声だ。レオナの足が、床に広がる暗闇に囚われて重くなっていく。
「魔王となった魔物を食い止めるために、魔法使いとその息子と、弟子は魔王と戦いました。親友である弟子にも裏切られ、魔王は深い絶望に落ちました」
次々と聞き覚えのある声に、レオナは戸惑う。レオナの全身に降りかかるデイビーの声は、馴染みのあるそれとは明らかに違った。怒りや絶望が入り交じったような声だ。
「長い戦いの末、魔法使いの弟子は魔王を封印することに成功しました。しかし、魔法使いの弟子も力尽き、魔物達も全員死に、魔王はまた独りぼっちになりました」
魔王のものとおぼしき悲しい記憶が、レオナの頭にも流れ込んでくる。ダミアンに似た声を通じて。
「この記憶は君のものでしょ? 僕は君を傷つけたりしないよ! だから、姿を見せてよ!」
レオナは流れてくる感情の強さに、頭を押さえる。
「何年もの歳月が流れ、魔王の封印は解け、魔王は再び地上に出てきました。しかし、そこには自分を知る者は、誰一人としていませんでした」
アダムスに似た声が、レオナの体のあちこちを打ち付けるように木霊する。姿は見えないが、無慈悲な言葉がレオナの胸を打つ。会ったばかりのアダムスのはずだが、全く違う人物と話しているようだ。レオナの胸の内の不安はますます大きくなる。
「魔王は再び悲しみ、人々を魔物に変える魔法を放ちました。しかし、たった二人、この魔法を防いだ人間がいました。それは老いぼれたかつての魔法使い、パーシヴァルと…………あなただけでした」
今までとは違う声の主に、レオナはぎょっとした。その声は誰よりも聞き慣れている。そう、レオナ自身の声だったのだ。しかしもちろん、レオナが発したものではない。ますます気味が悪くなり、レオナは萎縮する。すると、いつの間にか、レオナの目の前には大きな鏡が一つあった。
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