第4話 お姉さんと腕相撲

 水曜日。澪さんの家に居候して3日目。

 毎週水曜日はお店の定休日だそうだ。

 今日は澪さんと二人で役場巡りをすることにした。


「うぅ……。日差しが眩しい……」


 立ち眩みをするような仕草をする澪さん。どうやら外出は苦手なようだった。


「すみません付き合わせちゃって。でも、お店に必要なことも兼ねているので頑張りましょうね」


 まずは警察に行って遺失物届けをすることにした。運転免許証とマイナンバーカード、あとはスマホの紛失の詳細を伝える。


 遺失届出証明書を取得後、役場に行って住民票の移動とマイナンバーカードの紛失届をしておいた。公共料金の明細を持っていたので、いくらかスムーズに住民票の移動はできた。


 続いて保健所に行き、食品衛生責任者の変更手続きを行った。案の定、報告の遅れに少々お咎めがあったが、注意程度で済んだのは良かった。


「仕方ない状況ですからね。次から注意してくださいね」


「はい、ありがとうございました」


 とりあえず役場周りはこれでお終いかな。澪さんはぐったり疲れているようだった。


「食品衛生責任者って講習だけで取れるのね……そんな事すら調べなかった。ホント私ってポンコツだわ……」


「仕方ないっすよ。いきなり亡くなったって話だったし。……事故か何かだったんですか?」


「ううん。心臓発作。元々心臓が弱かったんだよね。だからこそよく調べておかなけりゃいけなかったの。でも、そういう不幸とかって、なかなか想定して動けないよね」


 全くその通りだと思った。うちの両親も事故死だった。当たり前だけど、そんな想定なんてできっこない。


「ちなみに澪さんのご両親って……」


 首を振って答える澪さん。


「事故でね。ふたりとも死んじゃったの」


「そんな……。うちと一緒だなんて……。妙なところで合いますね。俺たち……」


 帰り道、少しだけしんみりした。澪さんの物憂げな雰囲気も、孤独が滲み出ていたのだと思えば……なんとなく納得できた。


 明るく楽しい日々を過ごせたら、彼女も少しずつでも雰囲気変わるのかな?


 やたらと猫背な澪さんの背中をポンと叩く。


「澪さん、姿勢を正しましょう。猫背ではせっかくのいいスタイルが勿体ないっすよ!」


 彼女のスタイルは、スラッとしているのに出るところはしっかり出ているという、理想的なプロポーションだった。


「これね……。昔、胸の大きさでからかわれてたことがあって、目立たなくするように俯いてたら癖になっちゃったの」


 罪深いバカ男子がいたんだな。万死に値する!


 澪さんが意識的に姿勢を正してみると、確かに胸の主張がすごかった。


 やや目隠れ気味の前髪に、伸ばしっぱなしの髪の毛。

 とにかく勿体ない。お洒落をしたら絶対輝くと思う。きっとお店にとってもプラスになるはずだ。

 改善のしどころが多いのは、やりがいも感じるなあ。どれから着手していこうかな。


 帰り道、スーパーに寄って晩の食材を買っていくことにした。


「澪さん、何か食べたいものってあります? わりと何でも作れますよ。俺はお金がない分、料理でがんばります」


「うん~、じゃあ、生姜焼き! たまにはほかほかご飯でお腹いっぱい食べたいな」


「良いっすね! 俺も生姜焼きはめっちゃ好き! じゃあ美味しいの作りますね!」


 家に戻り、早速料理を始める。肉の焼ける香りに釣られ、澪さんは身を乗り出して覗きに来てる。


「湊くん、ホント手際が良いのね~。良い主夫になるよ!」


「じゃあ澪さんが引き取ってくださいね! はい、できあがり~!」


 豚肉の生姜焼きに白いご飯。キャベツの千切りにきゅうりの塩もみ、あとは豆腐の味噌汁。シンプルイズベストな夕食が出来上がった。


 澪さんは嬉しそうに缶ビールをプシュッと開ける、そして俺にも促してくる。毎晩飲まないと駄目なのかな……。


「では役場巡りと警察の用が済んでおめでとう! かんぱーい!」


「かんぱーい……。澪さん乾杯言いたいだけっすよね?」


「そりゃそうよ! 誰かと一緒に飲むってのはね、寂しい喪女には特別なイベントなの!」


「喪女って、澪さんそんなに美人でモテないなんてありえないっしょ!」


「あはは……。正直言えば男の人怖いの。さんざんからかわれたからね。胸が大きいこと、背が高いこと、私が気にしてること平気で言ってくるの。ホントやだったな~」


 懐かしむように言ってるけど、その当時は傷ついたんだろうな。澪さんの周りのバカ男子はホントどうしようもなかったんだな。

 でも、確実に言えるのは、その男子は澪さんの気を引きたかったんだってこと。男ってそんなものだ。


 ただ、引っかかることがある。


「澪さん、男が苦手って、やっぱ俺のこと男って思ってないっしょ!」


 俺の憤りに対して、澪さんは笑いながら答える。


「なんだろね。湊くんは平気なの。きっと襲われても逆にやっつけられそうだからかな」


 あっはっはーと笑って、男心をゴリゴリ削ってくる。ちくしょう、ぎゃふんって言わせたいけど養ってもらってる身だ。


「美味しいねー! この生姜焼き、ご飯がいくらでも進みそうだね!」


 ご飯もビールもどんどん進んでる澪さん。大丈夫かな。また酔っぱらいモードに移行しなけりゃ良いけど……。


 食事が済み、澪さんは引き続きビールを飲み続ける。もう3本目だなあ。一昨日はこの辺りで様子が変わっちゃったんだ。


「湊くん、腕相撲しようよ」


 澪さんがニマニマしながら言ってきた。嫌な予感しかしない。


「……良いっすよ。あまり力入れすぎて怪我しないようにね」


 手を組み合った時点で大体相手の強さって分かるもんだ。澪さんはやっぱり普通の女性っぽいよな。特に力強さは感じない。


「レディーGO!」


 軽く力を入れたものの、――う、うごかねえだと……! どうなってんだ……!


「ふおおおお! おりゃああああ!」


 掛け声をかけようがなにしようが全く動かない。

 やがてジワジワと澪さんが俺の腕を倒しに来た。油圧でゆっくりプレスするかのように、勢いをつけるでもなく、じわじわテーブルに近づく俺の手の甲。


「ふふふ! 私のかちー!」


「えええ! なんでえ?」


 確かに俺は華奢だけど、女の子よりは力はあると思う。いや、思ってたんだ。女の子と腕相撲なんてしたことなかったからな。


 世の女性達の標準がこのぐらいだとしたら、俺はとんでもなくヨワヨワだった。


「んふふー! 勝った人は負けた人を自由にできるんだよー!」


「ちょっと! そんな話きいてない!」


 澪さんは俺に向かって満面の笑みで近づいてくる。


「じゃあね、湊くん。私のこと『お姉ちゃん』って呼んでくれる?」


 まあ、そのぐらいならいっか。


「お、お姉ちゃん。意地悪するお姉ちゃんは嫌いだな」


 澪さんの目は完全にハートマークになっているように見えた。


「いいよう! 湊くん! すっごく良い! お金払わないと駄目だよね! いくら払えばいいかな!」


 澪さんのやばさが加速していく。

 ホントに大丈夫なのか、この人は……。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る